テレビ報道の功罪

私はテレビ放送が始まる以前は、娯楽として映画を毎週のように見る機会がありました。
1950年代がその時期に当たります。
やがて昭和28年(1953年)にテレビ放送が行われるようになりました。
昨今日本テレビが開局70周年と言ってます。
調べると、本放送開始、開局記念日テレビ塔(麹町)展望台を一般公開の記事がありました。
その頃、千代田区飯田町に住んで居ましたので、そのテレビ塔を上った事があるのです。
飯田町から麹町までどんな道順で行ったのか?
展望台まで登ったのですが、細い板状の鉄板で台が作られおり、隙間があって下を見ると足元がすくんだ記憶があります。

テレビ草創期、映画が全盛期でしたが、十数年で立場が逆転しテレビ局の全盛期を迎えました。
娯楽番組、報道番組と高視聴率を稼ぎ、NHK紅白歌合戦などの大晦日の恒例となり歌手のあこがれの舞台となっていきました。
テレビ局は視聴率優先で視聴者がより関心を持って貰おうと歪曲した(大袈裟な)報道が目立つようになり、松本サリン事件では第一発見者を犯人扱い、
「サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。 また、第一通報者で被害者の河野義行が容疑者として扱われた報道被害事件でもある。」ネット記事より。
誤報であったが河野さんは世間に誤解されたままさらし者になる羽目に。

そして「坂本弁護士殺人事件」を引き起こしたTBS、坂本弁護士がオウム真理教を調査している情報を漏らしたのが切っ掛けで殺人事件が起きる。

引用元:ネット記事

TBSはこの件に関して謝罪はしたのかな?
また、オウム真理教の修行内情(空中浮遊など)を報道したのも確かTBSだったと記憶しています。サリン事件は平成に入って衝撃的な大事件でした。

そして、平成に入り新しい通信網(インターネット)の登場により、既存のメディアが報道していなかったファクトがインターネットで知ることができるようになりました。
このことは、メディアだけでなく一般の人たちにも調査が可能になり、隠されていた事実が陽の目を見るような時代へと変化してきました。
オウム真理教の事件の本質はインターネットで詳しく知ったものです。

令和に入り、今までのテレビ局の報道姿勢が問われる局面を迎えました。
傲慢さ、コンプライアンス無視、ジャーナリズムの欠如、偏向報道などなど。

私が若い頃の経験談がその一例(記者がとった行動)と思うので記述します。
「ある場所で交通規制の警備を任された時でした。一台の黒塗りの車が軍艦旗をはためかせて、侵入禁止の道路に来て、警備している私に『通せ』と強引な口調で言うのです、『通すな』と言われていますと答えると、『私は新聞記者だ』と傲慢な態度を見せたので、しっかりと通行を拒否したこと」を思い出します。

このような傲慢な例は今でも罷り通っているのでは?。
そんな姿勢が大谷選手の新居報道、日テレ、フジテレがプライバシー侵害の大問題を起こし、引っ越しを余儀なくされています。
24時間テレビで寄付金の着服事件を起こした日テレ、日テレに限らずすでに『ヤラセ』などはテレビが開局した頃からあったようです。
また、
「2023年10~12月に放送された日本テレビ系ドラマ「セクシー田中さん」の脚本などを巡り、ドラマ制作者側と原作者側との間にトラブルが起き、原作者が亡くなるという結果になった問題」ネット記事より。
認識の齟齬があったと言っているが、原作者の意向を無視したために起きたようです。

テレビ局だからと特別な立場と思い込み知らず知らずに傲慢、非常識となってきたのでしょう。
責任者が正式に謝罪もせず、アナウンサーにさせておいて知らんぷり。
この辺などは非常識の典型。
既得権にふんぞり返っているテレビ局、お灸をすえる必要があるのでは。

総務省よ!

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