東京電力福島第1原発の敷地に並ぶ処理水のタンク=福島県大熊町(大塚聡彦撮影)
日本教職員組合(日教組)が札幌市で開催している教育研究全国集会(教研集会)の社会科教育分科会で、東京電力福島第1原発から放出される処理水を「汚染水」と表現する教材を使った授業実践例のリポートが発表されたことが27日、分かった。学習指導要領は教員に科学的な観点での指導を求めており、子供たちに誤解を与えかねない授業の広がりを危惧する声も上がっている。
リポートの発表者は神奈川県の中学教員。「日本の資源・エネルギーと電力」に関する授業実践例として、福島の原発事故や廃炉工程を取り上げている。授業で使ったプリントとして、「日本政府は何をしようとしているか」との見出しで「汚染水の放出を強行」などと記載していた。ネット記事より。
・・・学習指導要領は教員に科学的な観点での指導を求めており、子供たちに誤解を与えかねない授業の広がりを危惧する声も上がっている。・・・
正に偏向と言うもの、「科学的態度」を身につけさせるのが教育の目的の一つでは?
少学生の時、先生から「迷信」を信じてはいけない、古いしきたりは間違いもあり良くないなどと教わり何がいけないか考える様に教わった記憶があります。
今思えば、日教組の教職員ではない先生ではなかったか。
私の小学生時代は昭和27年から32年の間です。まだ師範学校の薫陶を受けていた先生ほとんどだったのでは。
学校の始業終業式には袴を穿く先生もおり戦前の慣習に従っていたのでしょう。
今はもう見られない風景となっているのでしょう。
1950年(昭和25年)以降、「教育の国家統制」に反対する立場から国旗掲揚と国歌斉唱の強制に対して反対している(なお、この様な方針を掲げる教職員組合は世界では日本のみである)。ネット記事より。
ここに、「教育の国家統制」との文言がありますが、「教育の日教組統制」になっていません?
日教組の成り立ち…
ためらわず児ら待つ職場の還りたりスト決行の集い離れて
返ってきた言葉は、
「日教組は自らの格を貶め、ただのお金欲しさの労働者になり下がった人たち」と。
「教師は職業ではない」という自覚で労働者と表現したのでしょう。
師範学校で教師としての自覚、矜持、責務を確りと身に着けられた叔母、恩師が回顧されます。
恩師は教師として大切な第一歩は「自らを律する事」と明言されていました。
聖職としての自負なのでしょう。
※日教組の教職員方も戦前の学制なので師範学校を出て教師になっているはず、恩師のような考えが何故持てなかったのかな!
戦後優秀な先生は悉く追放されたとも話していました。
※マッカーサー指令での追放か?
昨今、教師の猥褻行為が度々報道される世の中になっている
恩師は、戦後マッカーサー指令により修身教育が廃止されるに当り、心の教育をなくせば心が乱れると、教師をしていた姉共々憂いたと話していました。
ズバリ的中だね。
私が今までに戦後の教育制度について参考にと読んだ本。
一番古い本は「日本をダメにした戦後教育」で昭和51年の出版です。
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