一億総評論家時代

この言葉、「大宅壮一のことば」の著書に書かれていた。
それと併せて思い出すのが「一億総白痴化」も評論家大宅壮一の造語です。
テレビ放送が開始されて5年経った昭和33年に初出された言葉。

テレビ時代になって戦前とは変わった現象が出てきたのでしょう。
敗戦により、占領軍の社会改革(?)が行われて放送が戦前と違う体制になった事から起因します。

「・・・だが、戦後には放送がアメリカ式に民主化され、さらに民放というものができて、聴取者の立場が強化された。テレビともなると、タレントの言葉の一つ一つが、直接個人的に話しかけるような形をとるばかりでなく、その言葉のニュアンス、表情、ゼスチャアもすっかり観取される。そこで芸能人の場合でも、遠く離れた観覧席から見るのとはちがったうけとりかたをされるようになったから、人気の基準も変わってきた。政治家についても同じことがいえる。彼らはマイクやカメラの前に裸で立って、国民に与える「印象」という形で。実は大衆からきびしい批判を受けているのだ。したがって、国民の間に、しだいに批判精神が養われ、「一億総評論家」的傾向が発生しつつあって、これはマス・コミの新しい強力な機能として見逃せない。・・・」著書より。

一億総評論家という現象は、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞等、広く観取、聴取者の意見の聴こうする傾向が生まれ各分野の意見、感想を取り込むようにした結果から、
スポーツに限っても様々な種類があり、△△△評論家という呼び方が生まれて来るのでしょう。
正に一億評論家時代が現出したのです。

この文書が書かれた昭和33年から64年が過ぎ、マス・コミが変質していると感じています。マス・コミはマスゴミと呼ばれ、偏向報道が当たりまえ、政治、時事に関する報道は公平にファクトを伝えるジャーナリズムは消えせ、NHKをはじめ民放も左翼思想の色眼鏡を掛けて報道をおこない、政治的問題を歪めて本来の役割を忘れて、国民を目くらましている。

佐藤栄作首相のテレビ会見での言葉が思い出されます。
この動画を見た印象は佐藤栄作首相の凛とした政治家の印象を持ちます。

今で云う、切り取り記事、印象操作で強調するインパクトある画像編集を用いることが、51年前から存在し、正しく伝えないメデイァの有り方があったと推測できます。
当時、佐藤栄作首相がマスコミの印象操作を知っていたからこそ発言と思います。

「実は大衆からきびしい批判を受けているのだ。」と、昭和33年当時、健全な観取を評価しているが、今はどうなのか?
経年劣化で、当時より観取者の目は鈍り、マスゴミに印象操作され政治的課題が解決されないままの状況から、時代変化から脱出できるようになってきた。
32年の時を経て大きく変わる時代が、平成に入り現出して来た。

1990年代にはいるとインターネット社会が形成されて、マスメディアだけの情報発信が一個人でも可能となった現在、様々な分野の見識者から情報が手に入るようになり、観取者も偏向した報道に気づくようになった。

私自身、youtubeで国会中継の本質を知り、いかに野党が国を良くしようと政策論争できない理由を知りました。
頭脳から発言出来るのは感情的な野次だけ、外見からそんな発言をするとは思えない女性議員から「アホンダラ―」の言葉が、これがそのまま中継されば、その議員の人品が問われ、ボケた選挙民でも投票しないでしょう。
報道も映像を加工しないで、正しく実情を伝えるべきです。

前述した「一億総評論家」、今ではお笑い芸人をはじめ、タレントと呼ばれる人たちが、コメンテーターとなり、政治、時事問題に考え、意見の述べて観取者に影響を与える時代にもなってきた。
学識経験者とは違い、井戸端会議的な発言でも世論形成に一役担うようになっている。
そんな程度の人達の中に「ジャーナリスト」の肩書を使い、実質的な裏付けも持たないまま意見を述べることを軽々しく行い、顰蹙を買う事態を引き起こしている。
正しく、総評論家時代となっています。

付記)
2023.05.08
40代のスタッフにこのブログを読んでもらい感想を求めると、今は若い人はテレビ、新聞を見ず、SNSなどからニュースを知る時代になっていると。
フェイクかファクトとかとその情報を判断する姿勢を持っていると感想を話した。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS