産経新聞9/3付け、産經抄に目を落とし読むと、冒頭佐藤愛子さんの名が出てきて、彼女の経験談が書かれていました。
女性がインタビューの際発した言葉、「独特の常識の持ち主だから気を付けろと言われました」。インタビューの際、佐藤愛子さんは「常識不足」のこの発言を面白がる。確かに、「常識」の言葉の形容に「独特」を使えば意味が相反することなり言葉が成り立たなくなってしまう。
記事には、編集長が悪口にならないよう「独特の」という言葉を考え出したのだろうと察したとあります。
この記事から佐藤愛子さんの人柄の察しがつくよう感じ。
多くの本を出している作家、出版社にはいろいろと噂があるのでしょう。
ウキペディアによると、
佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年11月5日 )は、日本の小説家。
大阪市生まれ・西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。
お兄さんにあの有名な詩人サトウハチロー氏がいますね。
どうやら文才の血筋の家に生まれたようです。
産経抄より
佐藤愛子さん、広辞苑を引くと常識・情識と並んでいたとか!
普段使われる頻度の高い言葉ですが、今一度確認を!
「常識 の解説
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」」
世間では多用されますね!
それに反して次の「ジョウシキ」めったに使わないですね。
「日本国語大辞典では、じょう‐しき ジャウ‥【情識】
〘名〙
① 仏語。心。迷いの心。本能のままの心の作用。
※米沢本沙石集(1283)二「先づ応用(おうゆう)を以て情識(シャウシキ)を助け」
② (形動) 強情、頑固であること。また、そのさま。
※風姿花伝(1400‐02頃)序「稽古はつよかれ、情識(ジャウシキ)はなかれと也」
※ぎやどぺかどる(1599)下「模様といふは、我慢情識にして、存分を立んと論ずる事勿れ」
[語誌]鎌倉時代は主として禅僧の用語か。禅籍の抄物等では室町時代以後も原義を保っているが、やがて通俗の世界で「自分の考えに執着して改めようとしないこと(=我執)」の意が生じ、それがキリシタン資料において特徴的に認められる形容動詞形をも生んだ。」
この産經抄に書いてある2年前の池袋の自動車事故、飯島被告の頑なな態度をその言葉で言い表しています、
「自分の考えに執着して改めようとしないこと(=我執)」、年を取れば頑迷固陋になりがちですが、母子を車で跳ねて命を奪っている罪の重さを鑑みれば、
結びに、悔い改めるべきでは、人の情けがあればと!
90才とはいえ、幼い頃に両親からは嘘をつくなと躾られていると思うが!?
辞書の説明の冒頭に仏語とあるのが、人の心の持ちようを諭しているような気がする。
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