合間を見て、最近買った「日本人養成講座 著者・三島由紀夫」を読んでいますが、難解な部分もありますが興味深く読んでいます。
「葉隠」についても強い思い入れがある事を読んで知りましたが、日本の精神、文化、国に対する深い理解と強い共感を持っていることも知りました。
この本、折に触れ三島が雑誌に寄稿した文章をまとめた本のようです。
「葉隠」はサムライの心得―小説家の休暇―と言う章で触れていました。
読んで共鳴できた文章を紹介したいと思います。
それは「ニッポン人のための日本入門―お茶漬けナショナリズム―」に書かれている記述です。
「文芸春秋」昭和41年4月号に寄稿されたもの。
時代背景として戦後復興を果たし高度成長期に入り先進国と肩を並べ、日本人が自慢できるものを獲得できた時代、物は溢れ家電、自動車が普及してきた頃です。
「・・・そして今日の「日本は大したもんだ派」は、みんなこの上に立脚しているのである。私がお茶漬けナショナリストというのは、彼等のナショナリズムの根拠を追いつめていくと、舌の上で感じるもの「ものの味」という、どうにも否定できない、しかも主観的で説得力のない、そういうもののエモーション(情緒)を一方に持ちながら、一方では文明開化以来の迷妄に乗っかっていることだ。では、「日本はまだ貧しい」とか、「日本はどうして大したもんだ」とか言わないで、問題を大きくしないで、ただ、「お茶漬けはうまいもんだ」とだけ言ったらどうだろうか?比較は一切やめたらどうだろう?大体、お茶漬けの味とビフテキの味をくらべて見るのからしてナンセンスで、どちらが上とも下とも言えたものではない.また「フランス料理なら、本場のフランス料理より、日本で喰べる奴のほうが旨い」なんてバカなことを言わないで、フランスにはフランス料理というものがあるが、日本にも日本式フランス料理というものがある。と言うに止めたらどうだろうか?ここらで一切、もう西洋を鏡にするのをよしたらどうだろうか、というのが私のナショナリズムである。・・・」
>みんなこの上に立脚しているのである。
という意味は「西洋近代の物質文明に立脚している」とのことらしいです。
>一方では文明開化以来の迷妄に乗っかっていることだ。
これはどう理解したいいのか、私なりに解釈すると文明開花と言って西洋文明を模倣したりして近代化を成し遂げてきた精神状態を指しているのでしょうか。
盲目的に真似ている日本人への批判でしょうか。
彼の思想性から判断すると日本文化を蔑ろにしてきたと言っているかもしれません。
>ここらで一切、もう西洋を鏡にするのをよしたらどうだろうか、というのが私のナショナリズムである。
三島はこう批判しています。「オリンピックの時、外人に恥ずかしいからと、トルコ風呂の閉鎖、風俗営業の禁止等、官僚などに巣食っている文明開化的思考」と。
これから察するに、日本人らしさを取り戻せと言っているのでしょう。
共感できる記述と思いました。
武道(剣道、柔道、合気道)に関して言えば海外、特にフランス、アメリカの方が武道を修行する目的が適っていて、本家の方が忘却しているくらいですから。
最後、こう締めくくっています。
「・・・私の言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。」
昭和41年に書いています。
私は大学生でした。
それが老境になる年齢になりましたが、自分なりに武道を通して学んできた中に三島が言う「それ」を多少は身につけたと思います。
>ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。
三島由紀夫の思いが切々と伝わってきます。
本題の意図がよくわかりました。
参考資料
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