5月19日に開催された総会へ初めて出席をしました。
正式名:川越地域雇用対策協議会。
正月に行われる賀詞交換会へは欠かさず出ているのですが、今回の大震災でどのような影響が出ているか知りたく思い出席した次第です。
総会次第に沿って会はすすめられ、副会長が挨拶、経済情勢が下火、求人関連も滞っていると話し、次に会長が行いました。
会長、挨拶の中で、稀にみる厳しい環境であるがと前置きし今回の大震災の影響、原発放射能もれ等に触れ、14年間務めた会長を辞任するとの言葉があり、長き亘る任期中、平成大不況の最中、平成11年地元信用金庫の破綻、リーマンショック等、あまり良いことはなかったが皆様のお力添えで無事務めることができましたと語っていました。
ご多分に漏れず、金融破綻は不動産関連融資が原因。
私が、会社を引き継いだ頃が平成6年、その頃は銀行、企業など大型倒産相次いで起る大不況で、挨拶を聞きながらそんなことを思い出していました。
ハローワーク所長が挨拶に立ち、雇用環境が厳しいとの見解を話、平成21年3400人に、平成22年3200人の求職者、
求人状況は平成22年10月頃までは増加が続いていたが震災以降落ち込むなどの説明がありました。
被災者支援の一環として就職の斡旋に取り組んでいる。
3月末までの高校生の内定率が97%と説明があり、100%を目指していると抱負を語っていました。
議事1~6号案を議論し、最後に役員改選が行われ新会長、新役員が決まりました。
来賓として招かれた、埼玉労働局の方が挨拶に立ち、現状埼玉の雇用状況の説明があり、避難している福島の方々に就職の世話などを行い、福島県には5人の職員を派遣して6月末まで活動すると語っていました。
被災された方々、生活費を得るためにも仕事に就かなければなりません。
いろいろな形でそれぞれの立場の人が応援していることを実感しました。
また、各ハローワーク、1ヶ所1大学(川越は川越職業安定所と東京国際大学)の原則で連携して就職斡旋、その成果として昨年70%から今年80%の就職率となった事にも触れていました。
矢張り、やり方ひとつでまだまだ就職先が見つかるようですし、就職する学生もこの景況ではと考え方が変わってきたのでしょう。
次に県雇対協の専務理事が挨拶、
就職面接会開催では、震災後申し込む会社のキャンセルが相次ぎ、ある会場では半減し開催も危ぶまれる状態にまでに。
県では、既卒者も対象に行ったので東京の大学からも問い合わせがあったそうです。
様々な形で影を落とした震災と言えますね。
会議が終わり、懇親会に移り、それぞれに参加者がテーブルについて名刺交換など挨拶を済ませて懇談が始まります。
乾杯は、シャンペンで、私としては日本酒が妥当と思うのですが!
ビールはほどほどにして、冷酒をお願いしました。
会の初めに、新会長が自粛を止め大いに飲んで経済を回しましょうと挨拶、それを受けての飲酒です。
日本酒を飲む方、やはり少ないのです。
周りの人にどうですかと勧めながら、個々の会社の景況などを訊きました。
車関連の会社の方が言うによくないですね。
この大震災、本当に広範囲に亘って影響を与えています。
左隣にすわっていた方が同年でした。
いわゆる大学紛争があった頃が大学生です。
学生時代革マル派に入り左翼活動の経験がありましたと言われたので、
私は、逆の立場にいたことを話し、あの頃のゲバ学生は地方の出身者に多かった事を話したら、青森出身との事。
やっぱりと感じた次第です。
純朴な田舎青年、あの頃の時代背景もあり、弱者の味方(いわゆる社会主義思想)になるとの思いから傾倒してしまい、それが高じてゲバ棒(角材、鉄パイプ等)を振り回したのです。
中には、鉄パイプに5寸釘を装着したものまでありました。
思想が高じると「正義」と思えて、何をやってもよいと思うようになったのだと思います。
最たるものが、授業妨害のための学園占拠でした。
そんな学生をゲバ学生と呼んでいました。
確か、独逸語のゲバルトが語源で、暴力と言う意味です。
本当にあの頃を思い出すと今でも彼らに怒りを感じます。
その人には、私襲われて全治3ヶ月の重傷を負った経験を話すと、
私、おかしいと考え活動を止めたと言っていました。
このような会に出ると色々な出会いがあり、見聞を広げることができ、それも楽しみの一つです。
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