4/29武道館で行われた柔道全日本選手権で、優勝した鈴木桂治選手返し技一本と判定され声を張り上げガッツポーズでその喜びを表わしていました。
彼にしてみれば、08年の北京オリンピック惨敗からの復活、その思いは理解できますが、
大分前から気になる事として、柔道選手のガッツポーズが私の心に引っ掛かっていました。
その理由、武道である柔道のあり方としては本来の精神性に合わないのではないかと思えるからです。
その根幹に有る精神、「礼に始まり、礼に終わる」と標語が示すとおり立ち振る舞いに礼節が求められます。
それを示す試合、東京オリンピック無差別級決勝戦神永対ヘーシンクの試合に見ることが出来ます。
柔道着の着衣が乱れると、正座をして直していました。
試合はアントン・ヘーシンクが神永を袈裟固め、抑え込み一本で勝利します。
その時でした、オランダの関係者と思われる人が、試合場に上がろうとした時ヘーシンクはそれを制してあげませんでした。これも戦いの場を神聖なもの、修行の場としての認識があったからでしょう。
その頃の柔道はまだ、礼節が重んじられていたのだと思います。
ですから、ガッツポーズは敗者の気持ちを汲み思いやって、やることはしませんでした。
それから半世紀近く経った今、柔道選手は当たり前のようにガッツポーズをします。
昔、プロ野球阪神タイガースに藤村富美男というスラッガーがおり、物干し竿と呼ばれるくらい長いバットでホームランを打つ選手でした。
1950年代に活躍した野球選手です。
当時としては珍しくパフォーマンスが派手な人でしたが、その頃の風潮にはそぐわずその立ち振る舞いが非難された事がありました。
喜怒哀楽をあらわにすることは、今と違ってよくないとされていたのでしょう。
ある意味、武道の精神から判断すると当然のことなのですが。
柔道がJUDOと言われるようになり、嘉納治五郎が目指した講道館柔道とは別物に変わり、見て面白い競技スポーツを目指し、それがゆえにガッツポーズも容認されてきたのだと思います。
相撲では、ガッツポーズは今でもご法度。
これなども、力士といわれるように「士」の精神を重んじているからですし、
その点、剣道でも、試合においてガッツポーズをする選手はいないようです。
プロ野球の王選手も一時期ホームランを打っても派手なゼスチャー、ガッツポーズは投手に配慮しやりませんでしたが、
映像的に配慮をするように言われたのか行うようになりました。
柔道からプロの格闘技に転向した石井慧選手などはリップサービスで注目を浴びるように、関心を引くような言動が当たり前になっています。
修業のために行う柔道と、スポーツのJUDOでは目指す方向に違いが出るのでしょう。
大森曹玄著、剣と禅の一節を紹介し、それについて一考の一助とします。
「1970年(昭和45年)、第一回の世界剣道選手権大会が東京・名古屋・大阪の3ヶ所で行われた。
それに参加したヨーロッパ圏の団長二、三の人は、試合を終わって帰国するに際し、全日本剣道連盟会長木村篤太郎氏を訪問して別れの挨拶に、こう言ったそうである。
『私たちは野球とかラグビーだとか、かってそれぞれのスポーツをやったばかりのものである。それが剣道に転じたのは、剣道はそれらのスポーツができないような年齢になってからもできるからだ。私たちは日本の若い選手と勝敗を争って、選手権をとろうなどとは考えていない。本当の剣道を学ぶことによって、日本の古武士のような風格をみにつけたいためにやるのだ』と。
これを聞いたとき木村会長は、非常なショックを受けたという。」
社長、こんにちは。
私の父は若かりし頃柔道をやっていました。高校時代から始めて、確か30代後半
くらいまで続けていたと記憶しています。流石に還暦を過ぎた今はTV中継を見る
程度ですが、中継は欠かさず見て「いました」。
敢えて過去形で表現しましたのは、「今の柔道はつまらん」と言ってあまり熱心
では無くなったのです。
父も、礼節を欠くような行動・身なりを見て、嫌気が差したようです。また、試合
自体もポイント優先主義となってしまって、きれいな技を見ることが出来なくなり
つまらないとも言っていました。
ルールも欧米人好みのものにどんどん変えられてしまい、国際的なスポーツには
なったけれど。。。精神性は失われてしまいましたね。
おはよう! 米の祝福さん。
コメント有難う。
お父さん、柔道をやっていたのですか?
貴兄の体格から察して、6尺豊かな体躯の持ち主と想像します。
私と同世代とお見受けします。
子供の頃、柔道家、「空気投げ」の三船十段が有名でした。
お父さんが修業されていた頃は、精神面での指導も大切にされていた時期ですが、
時代が移り、スポーツとして競技性重視となってしまい、本来の姿からかけ離れてしまったのでしょう。
今でも、その点を忘れず、稽古されている方もいると思いますが。
コメントを寄せて頂き、「そんな感想を抱いている人」がいることを知りうれしく思います。
私自身、コメントを書いて見直すことが出来ました。