この事例は市長がX(ツイッター)に投稿した内容に使われた言辞がよくないと非難されたもの。
「長野県飯山市の江沢岸生市長は22日の定例記者会見で、昨年12月に自身のX(旧ツイッター)への投稿内容に対する批判を受け、投稿を削除したことを明らかにした。
江沢市長は昨年12月16日、下水道に下着やマスクを流す人に触れ「全くどういう神経してんだよ 人間が腐ってきてるな」と投稿。当時、市内で不織布マスクなどが流され下水道のパイプが詰まった事案があり、広く周知したいとの思いがあったという。」ネット記事より。
「人間が腐ってきてるな」この言葉が「人権侵害に当たる」との非難、でも基本的な社会ルールを守れない人に対して注意喚起で言っているのでは?
ニュアンスをくみ取れば、市長が尤もと思うのですが。
ネット記事より。
人権を有するに値する人、「公徳心」があるかどうかが問題としての発言です。
人権、人権といえば、皆が納得すると思う風潮が気になる。
注意に際し語気が強くなるのは当たり前、それを大げさに人権侵害と断じてしまう傾向が、昨今様々な局面で、言われるケースが目立つような気がする。
この精神を持ち合わせのない市民は糾弾されても致し方ないのでは?
サッカーでいえば「イエローカード」ペナルティに当たります。
ルール破りをしただんまりを決め込んでいる市民、そんな人たちを教導するには一喝する必要があると思いますよ!。
「今月6日の市議会3月定例会の一般質問で、見解をただされた副市長と教育長が「少しきつい表現」「人権侵害に当たるのではないか」と答弁。21日の同定例会閉会時に、江沢市長は「不愉快な思いを抱かせる部分があった」などと述べ、直後に投稿を削除した。
江沢市長は会見で、「自分としては人権侵害に当たらないと認識している」としながらも、「品位が疑われる表現があったことは反省している」と陳謝した。」ネット記事より。
「江沢市長は『不愉快な思いを抱かせる部分があった』」と言っていますが、だれが不愉快な思いを抱くのかと疑いたくなります。
常識的に考えても、そのようなルールを守らない人に対しての発言、当たり前だと思わない人がいるのでしょうか?
市の運営を任されている市長、公共の施設、「下水道に下着やマスク」が詰まり他の人に迷惑がかかるわけだから叱責して当然だし、職務上注意喚起をし不具合はない、言葉狩りみたいな騒ぎ方する人、善魔ではないではないでしょうか。
「自分の考えだけが何時も正しいと信じている者、自分の思想や行動が決して間違っていないと信じている者、そしてそのために周りへの影響や迷惑に気づかぬ者、そのために他人を不幸にしているのに一向に無頓着な者――それを善魔という。」ネット記事より。
ハラスメントなる言葉が出てきてから定義が増幅され過剰に反応し、SNS上でいじめだ、嫌がらせだ、言辞(不当と判断された)が不適格などと非難する行為が増えてきている中、だれでもが考え・意見を発信できることは素敵だが、社会のためにと注意喚起した言葉をハラスメント扱いするのはどうだろうか。
ここは、市長の言辞を「尤も」と了承してしかるべきと思います。
何故クレーム対象になるのか?
日本人の徐々に変質しているのか。
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