戦前までの教育のベースに有った「教育勅語」、そして戦後はそれを排斥した教育となった点が「日本人らしさの喪失」を考察するポイントになると思います。
敗戦直後に後藤静香が著した「権威」(昭和21年7月25日発行)という詩集に「日本の姿」が載っています。
剣を棄てた
それでいい
剣を棄ててこそ
眞の日本の姿がひかる
神話は神話だ
それでいい
神話に宿る魂に
眞の日本の姿がひかる
三千年の歴史が汚れた
悲しむな
これからの作る永い歴史に
眞の日本の姿がひかる
現在、戦後教育を受けた戦後生まれが大半になり、年寄りから若い人まで、太文字の「神話に宿る魂に」の一節の意味を理解できる人が何人いるだろうか?
明治17年生まれの著者が詩に記す背景には明治以降の教育が影響しているのです。
手元にある喜界島の郷土史(昭和14年発行、昭和55年8月復刻版)に戦前の皇室のルーツを教える教化資料にその答えがあります。
日本が造られた国生みの物語、その一部を参考のために抜粋します。
第一
天地の初發
天地初發之時於高天原成神名(あめつちはじめのときたかあまはらになりませるかみのなは・古事記)
アメノミナカミヌシノカミ、タカムスビノカミ、カミムスビノカミ
次ニ國ワカウ、ウキアブラノ如クシテ、クラゲナス、タダヨヘル時ニアジガヒ、
ノゴトモエアガルモノヨリテ、成リマセル神ノ御名ハ
ウシマアシカビヒコヂノ神、アメトノコタチノ神
次ニ成リマセル神ノ御名ハ
クニトコタチノ神 トヨクモヌノ神 ウヒヂニノ神 スヒヂニノ神
ツヌグヒノ神 イクグヒノ神 オホトノヂノ神 オホトノベノ神
オモタルノ神 アヤカシコネノ神 イザナギノ神 イザナミノ神
第二 別 天 神(ことあまつかみ)
一 造化三神
1 天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)
2 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
3 神皇産靈神(かみむすぼのかみ)
以下省略・・・第三十六の章まで国生みの話から禊祓い(天津祝詞)を教えています。
日子 日女と言う呼称使っているので何歳から教えたのでしょう。
調べると、私が想像していた幼子(男、女)とは違うようですが、郷土史の使われ方から判断すると少年、少女と認識しています。
「詩」に続いてこの記述を示したのは、教化資料として日本の歴史に始まりと、神話による国生みの物語、宇宙観、宗教観(神道)を教え日本民族の成り立ちを教えたのでしょう。
この教育を受けていた戦前までの人たちは「神話に宿る魂に」の一節で日本人のナショナリティを揺さぶられたことでしょう。
翻って、日本民族の先人たちがこの国を築き、守り我々子孫のために残してくれた歴史を忘れ日本の基軸たる精神文化を忘れ、外来文化を鵜呑みにして咀嚼せず、後世に伝えるべき伝統、文化を失いつつあることに事に気づかないのは何故なのか。
それは占領政策の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)の成果なのでしょう。
「日本人らしさの喪失」は「WGIP」で仕掛けられ、戦後日本人がなくした精神性と言えば「大和魂」「武士道精神」ではないでしょうか。
この現象を一番感じたのが「安倍元首相の国葬儀」でした。
日本人には、死者を冒涜するような考えを持っておらず、神となった者を黄泉の国へ安らかに送る心を大切にしてきた。
過去の因習「村八分」でも火事、葬儀に対して協力するものと定められていた。
村の掟破りの者に対しても恩讐を越えて許容したのである。
それだが、国葬儀の反対デモした人たちにそんな「情」の欠片さえ見えない「日本人らしからぬ」振る舞い、
まして、政治家として立派な業績を残した人物です。
これなどは、伝統的に大切にされた振る舞いが「WGIP」によって壊された例でしょう。
反対とデモで騒いだ人達に日本人らしさが見えないのは外来種側の人たちもいるのでは?
他にも、戦後日本人らしさが無くなった面と言えば次の本に具体的に記されていました。
「・・・すなわち「祈る」前にじつは褒め称え」、「感謝する」ことが非常に重要だというのだ・・・中略・・・昔の祝詞を見ると、あまり願い事を言っていません。なぜかいっていないかというと、やはり、昔の日本人は”お蔭様”という気持ちが強かったからだと思います。それは、昔は共同体全体が、”お蔭様”という意識で神様の向かっていたからだと思います。つまり、日本人には共同体として一つの命、という意識があったものが、日本が戦争に負けて、共同体が解体されてしまった。その事が関係していると思います。・・・」
簡潔に言えば、「感謝する思いが大事」となるのでしょう。
稲作文化の日本、自然と深くかかわり、その恵みによって命を繋いできた営みの歴史から感謝する思いが育まれた来たのでしょう 。
それが皇室の伝統行事として「祭礼の儀式」に現れています。
神嘗祭(かんなめさい)
※天皇がその年の新米を伊勢神宮に供える祭事。
新嘗祭(にいなめさい)
※天皇が新穀を天地の神に供え、自らもこれを食する祭事。
国民の一員である、政治家も例外ではないと思う。
今や政治家も戦後の教育で育だって居るわけで、明治生まれの政治家と違い、皇室文化の理解、大和民族の自覚など「WGIP」の教育で成人した人たちだからその影響も十分に受けている。
この本では次のように記していた。
「・・・久保田禰宜によれば、昔の日本には「敬神愛民」という言葉があり、「民を愛するのが(政治家の)務め)」とされた。つまり、いまの政治家たちに決定的に欠けているものは、日本の神々を崇めることもさることながら、「国民への愛」ということになるのだ。
いまの政治家がますます劣化してきているのも、日本政治の原点の理想を教えずに育ってしまった戦後教育の悲劇であろう。その意味で、民主党政権に限らず、いまの日本の政治に足りないのは少なからず三つある。
かって生きてきた人たちへの「感謝」と「御礼」の心であり、日本人の自然観・宇宙観であり、日本の歴史と伝統という「縦の連続性」である。・・・」
かく言う私ももろに戦後教育で育って人物、なぜこのようなブログを書くような考えを持つに至ったかというと、多分に合気道開祖の影響で古事記を自分なりに学び、開祖の講話テープ聴いたことが影響しています。
それと小学校の恩師が話したお言葉「マッカーサーは大和魂を貶めるために修身教育を廃止させた」、この言葉を聞き戦後の日本のあり方に疑問を持っていた私は「腑に落ちました」。
戦後間もない頃、良識ある日本人は皆、先生と同じ思いを抱かれたのではないでしょうか!?
さらに、次のように記されていた興味深い言葉がありました。
「・・・日本建国のもう一つの理念とされる「橿原遷都の詔」では、記紀にこう明記されている。「苟も(いやしくも)民に利(かが)あらば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ」
現代語でいえば。「すべての国民の利益のあることならば、それをつくり上げるのが当然であり、正しい事である」という意味になる。
いってみれば、日本は最初から、国民が皆で話し合いをおこない、その上で多数決でなく、少数の意見でも積極的に採り入れ、優れたものであれば、その意見も尊重するという理想の「まつりごと」だったのである・・・」
今風に言えば民主主義と同じ考え方。
「・・・「まつりごと」の理念は、神を敬い、民を愛する日本国原初の「民主主義」といえるだろう。
民主主義は、戦後GHQからはじめて教えられたと考えている日本人が少なくないが、それは日本人が洗脳されてしまった結果とも言えるのではなかろうか。・・・」
この本、この記述部に傍線が引いてあり、私自身も全くその通りと思ったのでしょう。
戦後は国民が民主、民主と唱え、今までの仕組みを変えて現在に至っています。
小さな会社を経営している身の私には技能、技術の継承という面では徒弟制度が無くなったことを残念に思っています。
マッカーサーはおそらくイタリアのムソリーニ、ドイツのヒットラーの独裁政治を天皇が行っていると勘違いし深遠なるの日本の長い歴史で育まれその背景にあった「皇祖皇宗の遺訓」が治世の柱として存在していた事は理解できなかったのでしょう。
200年程の歴史しかないアメリカ人には無理でしょう。
最後に小学校の恩師が残したお言葉を結びとして紹介します。
「恒ちゃん、戦争で敗戦するということは、こんなに国を変えてしまうもなのですね!」
教育者として、「修身教育」が廃止されることで「心の乱れ」を心配されていたお言葉を思い出します。
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