本の題名を表題にしました。
この本30数年前、川越に住んでいた義理の伯父の家を訪問した時、書棚にあるのを見つけ頼んで貰ったもの。
関心が行ったのは題名に「戦後主要左翼事件」と記述があり目に留まったのです。
理由は、学生時代、左翼暴力学生が傍若無人な振る舞いで授業妨害し暴れまわり、他の学生に多大なる迷惑をかけていたため排除しようと賛同する学生と共に彼らと戦った経験があったからです。
昭和43年~44年の頃の出来事です。
大学紛争時代と呼ばれていました。
・・・大学紛争 という呼称が一般的に使われる。 日本では特に 1960年代 末の、 全共闘運動 による場合を指す。 また、この時期は 高等学校 や 予備校 までが闘争状態になった場合も多く、総称して 学園紛争 という呼称もある。・・・ネット記事より。
この経験が、社会主義、共産主義の不条理(筋が通らないこと。道理が立たないこと。また,そのさま。)な行動に不信感を持つようになったのです。
それは何をもって「授業妨害」をするのか。
心では「お前らにそんな権利はないだろう」と思って、彼らを学園から排除しようと仲間たちと考えを共有したのです。
この経験から、左翼系の政治思想・活動に関しそのような視点で観るようになって行きました。
この本を読んで感じた事、左翼暴力学生がやっている行動の基は同じ理屈と理解したのです。
目次を見れば殺人事件まで起こしています。
この目次のページだけでもたくさんの事件が書かれています。
戦後生まれで、私が幼い頃は日共が事件を起こし騒然していた時代っだようです。
右端の赤の傍線部、54ページに書かれている文言は、
次女誕生日祝いの白米も食べず、不帰の人となった夫、
―――労働争議をめぐり、共産党員らに撲殺された駐在巡査の遺族―――
事件当時の当事者、現在(昭和40年代)の詳細記述は省く。
次の傍線部、
白鳥警部射殺事件、
昭和27年1月27日午後7時40分ごろ、札幌市警察本部・・・・・・背後から何者かによってけん銃で狙撃され・・・
昭和20年代、戦後混乱期に日共(日本共産党)が起こした事件の一端です。
この回想の「序」の記述に太文字部に答えがあります。
赤の傍線部の記述は次の通りです。
・・・代議制度を軸とする議会制民主主義が厳然と存在し、法の支配、国民の言論、表現の自由が確保されている平和な民主国家において、大衆の名をかざした多数の暴力によって現存秩序を破壊しようというのは、如何に美辞麗句を連ねて、その正当性を訴えようとも、あるいはまた、どのように究極の意図を隠蔽しようとも、それは民主主義を破壊しようとする以外のなにものでもない。
真の民主主義と暴力とは絶対に相容れない。・・・
あの頃、社会主義、共産主義者たちは革命をして社会主義社会を造ろうとしていたわけですが、この記述にあるように暴力は許されないのです。
日共はこの本に記されている事件だけでも275ページ及びます。
この時代は「革命」という名の下暴れ放題です。
11年前に書いたブログに「シベリア抑留者の物語」に次のような言葉あります。
シベリア抑留者の物語より。
映画『帰国 ダモイ」から、
共産主義者:池辺良、恋人役:山口淑子。
・・・彼から出た言葉が別れの言葉。
「別れ様、君と僕とは生きている世界違う、僕は革命家として人類に尽くす。」
というような科白でした。
「おれは人民政府の樹立を目ざして帰ってきた。共産主義社会の実現のためには暴力も辞さぬ。君は資本家にこびをうっている。違った世界の人間だ。さよなら」、ネットで調べると上述の科白でしたが、記憶には前の言葉も発していたと思います。シベリア抑留で前に出てきた兵隊さんと違い革命、プロレタリアートなどのお題目で、共産主義を信奉したのでしょう。
恋人が激怒して答えます。
「一人の女性をも愛せなくて、どうして人類を救えるの」と。
当時の風潮、左翼主義などの問題点を衝いているのでしょう。・・・
この場面でも、革命の為なら暴力も辞さぬと表現されています。学生運動も日本共産党のやり方を踏襲したのでしょう。
彼等が使った武器、ゲバ棒、投石、火炎瓶、硝酸、硫酸、鉄パイプに5寸釘を装着した鑓もどき、正義(彼らの思い込み)なら殺人も辞さぬと思い込みに酔って傍若無人な行動があの時代の共産党員とダブるのです。
彼らのアジテ―ションは、まず校庭で、「我々はぁー」と始まります。
アジテーションのセリフによってトランス状態に、彼等にして正義を行っているとマスターベーションでいい気持ちな状態です。
アジテーションのキーワード、資本主義の搾取でした。
地方、田舎から出てきた純朴な青年が民青のオルグに引き込まれ、弱者を救う社会主義の社会にと吹き込まれるとそんなに思いにかかれるのでしょう。
仄聞ですが、彼らは下宿に押しかけオルグするそうです。私は自宅からの通学でそんな経験はないですが、当時、そのような活動が盛んだと聞いています。
でなければ大学紛争など起こりませんからね。
日本は当時、GDPが世界第二位なった頃ですが、国民の平均所得額が世界21位だった記憶しています。
彼等は資本主義の搾取と叫んでいました。
ある時、仕事で同じ大学の一級下の方と商談で出会ったことがありました。
雑談中に彼が当時左翼側の学生と分かり当時の体験談を絡めながら彼に言った言葉があります。
君達は「反権力、資本主義打破」と運動しながら、卒業と同時に今日まで資本主義社会で安寧に暮らしているのは何ななんだと話し、「ふざけるな、宗旨替えしてのうのうと暮らす態度は」恥ずかしくないのかと!
結論から言えば、ただの独りよがりだけ、自分が育てられた社会に感謝の念も湧かない我儘の人ということでしょう。
あの時代に生き育った典型的な人物が彼女です。
・・・国際テロ組織「日本赤軍」の重信房子元最高幹部が、出所後、初めて講演を行いました。10月16日に京都市東山区で行われた反戦集会。拍手で迎えられたのは日本赤軍の重信房子元最高幹部(77)です。・・・ネット記事より。
テロリスト、殺人を犯してなおかつ反省しない独善性、戦後教育の負の典型です。
怖さを感じたのは今の世の中になっても彼女の講演を聴く人がいる事、歪んた社会とつくづく思います。
当時、警官達は命を懸けて暴力に屈せず職務を遂行して頂いた御蔭で、中国、北朝鮮、ソ連みたいな国にならずに済んなのだと思います。
まだ、日本の政治に入り込み混乱を企てる亜流の連中がいること忘れないようにしましょう。
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