一言時に一生を救う、「人生山河ここにあり」より。

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この本で、一番印象に残った文章。
不良学生を学校生活(中学、高校?)の節目に当る卒業式間近な時期、校長室へ呼び出し更生すべき事を諭し、社会人として確かな道を歩ませた教導の仕方に感銘、まさに教師の鑑。
タイトル通り「一言時に一生を救う」の実践です。

前回のブログ、防諜(スパイ活動防止)に関するお話を紹介しましたが、「佐々木説法の魅力」とあるように示唆の富んだお話がたくさん書かれています。
その一つが、「一言時に一生を救う」です。
そのお話に惹かれました。

・・・吉田松陰の松下村塾の例をあげるまでもなく、感激、感動のない教育は無意味である。
即ち2年間の松陰の教育は、実質は1年間であったが、”一言一生”を救うものだった。先生の生きた言霊(ことだま)は、学ぶ者の心と触れ合って子弟の心に感応し、ためらいもなく自分の命をささげせしめたのである。将に教育とは火付け役で、何時間教えたかでなく何を教えたかである。3月の卒業式がち近ずくにつれ、何時も思い出すのは次の話である。
東京のある学校の卒業式1週間前に、一人の不良学生が校長室に呼び出された。
常日頃悪行を重ねていた学生は、叱られるのを覚悟して、校長室のドアを叩いのだ。
「入れ」という威厳のある声と共に、
「鍵を掛けなさい」と言って鍵を渡しながら校長は、自らカーテンを閉めた。
学生は逃げられないようにして殴られると観念した。
「腰をかけ給え」といいながら、校長は、右に左にと歩きつつ、
「お前のいたずらは有名であり、他の先生も手を焼き・・・・・云々」と切り出した。
学生は「きたなあー」と奥歯を噛みしめて身構えた。
「然しよくよく考えてみるに、君はお母さんを亡くし、その後来たお母さんにいじめられ、本当は可哀想だと世間のうわさだが、大変だったなー。
思えば、そのうっ憤ばらしに、悪いと知りながら、やった事であると私は思う。そうだな。」
学生はおもわず拳を握りしめ、うなずきつつ、胸の熱くなるのをおぼえた。

「然し、ここでよく考えてみなさい。今さら母さんの死を悔いても仕方がない。昔から”散る桜残る桜も散る桜”といって、たとえ位人臣を極めた王侯といえども、必ず死ぬ。いづれの日か死ぬという人生を、今日一日を価値高く生きよと、母の死は教えているのだ。
君のお母さんは、若くしてこの世を去ったが、立派なお母さんだった。

少し君には難しいと思うが、
人生というものは、客観的に幸福そうに見えても、主観的に自分自身が生きがいのある幸せを自覚していなければ人間として生まれた甲斐がない。
いかに長生きしても、財産をつくっても、それは真の”生きがい”ではないのだ。
どうだい、どんな人間でも「お前は犬みたいな奴だ」といわれて怒らない奴は無いだろう。
なぜ人間は、何の為に、この世に生まれてきたのか考えたことがあるかい。凡そ、この世に存在するものに目的のないものは一つもない。例えば腐敗菌のバクテリアでも、この世の浄化の為にあるのだ。
だとすれば、諸行無常の現象の世界は、日々新たにして、日々新たにならしめようとしているのだ。

さてそこでだ、人間の世界だけが、なぜ、進歩と発達があるのかだ。
それは、この宇宙の創造主がもたれているアイデアは、進歩と効用であり、人間は、それに順応すべく約束づけられて生まれて来たからだよ。
今、君が、すぐやるべきことは親孝行だ。これは人間だけにある行為なのだよ。
『生活とは、生かされるもののために活きよ』ということなのだ。”まま母”に対する孝行は、則父親に対する孝行であり、ひいては亡くなった母に対する孝行でもある。
君のお父さんが”まま母”と、君との間に立って、どれほど、気を遣い、心を痛められているかを考えたことがあるかい。
人間だけが、神の立場や相手の立場に立って考えることが出来るのだ。
自分を捨てて、心から親孝行すれば、どんなひどい”まま母”でも、必ず感動する時が来る。

こんな話をするのも、亡くなった君のお母さんが、草葉の陰から手を合わせて、私を通じて話をしているような気がしてならない。
まして、君は、数多い卒業生の中で、将来大人物になる素質がある。長年教育をやって来た私の立場から、それはよく判る。だが一歩誤れば犯罪者にもなる。今が分岐点だ。
だから、これからは、本来の君に戻り、心を明るくし朗らかにし、清く正しく持つことを心がけ、人の為、母の為になるよう生きて欲しい。
とはいっても、人間は照れくさいもので、すぐには出来ない。昔から人間は転機が大切だ。だから、卒業式を君の転機としたらどうだ。

淳々と道を説く校長の前に、その学生はハラハラと涙を流しながら、今までの悪行を詫び、そしてこれほどまでに、自分の事を見ていてくれた校長先生に対し心より感動し、先生の為には命まで惜しくないと、み教えに従うことを誓った。
それをみながら校長は「そうか判ってくれたか、本当に有難う。やはり、私の目には狂いはなかった。さあ男は泣くんじゃない」と、学生にハンカチを渡す校長がまた、涙、涙であった。

そして最後に「全校生の中に、君だけが大人物になる素質があり、君の将来こそ、私の唯一の楽しみだ。然し校長の立場上、君だけを可愛がる訳にはいかないからこそ、鍵をかけ、カーテンを閉めて、他人に分からないようにして話をしたのだ。いいかい、男と男の約束だ。このことは絶対人に言うなよ」と言って、かたい握手をして別れた。
学生は卒業後、世間でも驚くほどの親孝行者となり、勤勉努力し、校長の予言通り大会社の社長となった。
この学校の卒業生は、ある者は政治家に、ある者は実業家に、ある者は大学の先生にと、各方面で大活躍している。
さて舞台が回って、星霜幾十年、すでに白髪になった校長を囲む会が、盛大に催された。
その席上、かっては不良学生だった社長が立って、卒業1週間前の感動をそのままに、
「私の現在があるのは、あの時の校長先生の一言です。
男と男の約束として、今まで胸の奥にしまってきたが、もうどうにも、我慢が出来ません。ここで皆さんに告白することがご恩返しであると思います。先生、本当に有難うございました」
と言って、涙ながらに挨拶しながら、先生のところへ駆け寄っていった。
これを聞いていた人々は、一瞬水を打ったような静けさになった。
そして、アッと驚きの顔を見合わせながら、「俺も言われた」「僕もだ」と驚きが感動の渦になって広がっていった。
思えば、ある人は喫茶店で、ある者は自宅に呼び出されながら、所を変え、時を変えて、その少年の心の中にある”命”の力を引き出したのだ。
そして、最後には、
『男と男の約束だ。他言はあいならんぞ』
と釘までさした校長の教育の見事さを思うにつけ、科学だけが学問としている現代、まして聖職であるべき教師が、知識の切り売り的な労働者であると自ら卑下している現代に、先生方の一服の清涼剤になれば幸甚。・・・

この文章から、私は小学校の恩師を思い浮かべるのです。
ケースは違いますが、小学校5年生の時、風邪で3日間程休んでいた時、お見舞いに来ていただき母親といろいろとお話をして帰られた時のエピソードを後年クラス会でお会いした時話してくれました。
「恒ちゃんがこんな遠くから通学している事を知り、帰る時に涙が出てしまったのよ」
都電で「志村橋」~「九段上」迄の通学、1時間ほどかかっていましたから健気に思えたのでしょう。
また、母親の印象を語ってくれました。
「あなたのお母さん、心の美しい方ね」と、
それを聞き嬉しくなった思い出があります。
越境通学をしている生徒と気に掛けておられたようです。

家庭の事情で板橋区蓮根に引っ越し、千代田区にある富士見小学校まで通っていたのです。
クラス会で何度か会う機会がありましたが、途絶えて20年位空いた時期、仕事の都合で麹町迄行く用事がった時、偶然出会うのです。
ビルの角から甲高い声、聞き覚えのある声、ビルの角を曲がって来る二人連れの一人が恩師でした。
私、「アッ、先生」と呼び掛けると、私の顔を見て、
「あら、恒ちゃん」と幼名を言ったのです。久しぶりの再会、立ち話をし、またクラス会で会いましょうと云ってお別れしたのですが、たくさんの生徒を受け持ったでしょうに、私の名を覚えてくれていた事に感動した経験がありました。
家の都合で、6年に進学する時、地元の学校に転校し、恩師にお世話になったのは1年の期間でした。

12年前に頂いた年賀状に「同感、共鳴する事多々あり、嬉しゅうございます」と書いてあり、それまで先生に質問した内容について話し合った事柄が胸に響いていたことを知り感動したこともありました。
そして、最後になったクラス会の幹事を担当したのが私でした。卒寿となられた先生、お祝いは簡素にしてと釘を刺されたので、娘に頼み色紙に似顔絵を書いて貰い、クラス会に参加した同級生の添え書きを記し、それを恩師は大層喜んで頂いたことが最後の別れとなったのです。

「先生の愛情」は今でも心に残り、折に触れ思い出します。

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