「入墨、刺青、タトゥー」・奄美地方では!・

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手元に置いてある「奄美民謡大観(改定増補版)」)著者 文(かざり)英吉 発行が昭和41年12月15日、奄美民謡の理解にと10年ほど前インターネットで手に入れた本。
此の著者、文(かざり)と読ませるのは母から聞いて居たいたので「やっぱり」そうかと母の言葉の裏付けが取れた本。
母の旧姓は文(ふみ)で後に文園(ふみぞの)と変えたと聞き及んでいました。奄美地方の姓は一文字が多くあることは幼心に知っており「基(もとい)」「重(しげ)」「鼎(かない)→金井」「里(さと)」などが思い出されます。

この本、資料的にも貴重らしく購入した際¥20000近い値段がしていました。
折に触れ、読むとその価値に納得するような記述があり、昔のように村々で奄美民謡が伝承された時代と違い、その歴史的背景が忘れ去られている今日、確かに貴重な本と思います。

10月19日第23回東京奄美サンシン会の発表会を済ませた時期、漠然と拾い読みをしていたところ、「入墨」についての項があり読むと「なるほど」と母から聞いていた入れ墨の風習の謂れが書かれていました。

題は「入墨をあこがれた島の娘」
・・・※南島一帯には、入墨の風習が盛んに行われた、奄美大島ではこれを「はずき」(針突き)と、呼んだ、※日本では主として職人の間に全身入墨をなす風があったが、南島では、婦人に限られ限られてい施す場所も手の甲から指先にかけてであった。明治初年から中期まで行われて、その後跡を絶って現在では70歳以上の※老人の極く一部の間にしか見ることはできない。・・・
※子供のころ銭湯に行くと和彫の入墨を施した大人たちを見掛けたものです。
※この時期では出版された昭和40年代でしょう!
※南島一帯とありますが、沖縄、台湾を指すのかな?北海道のアイヌにも入墨の風習がありますね。

ここまでの記述で思う事と母は大正12年生まれ、高齢から中年の婦人に入墨を見ることができたのでしょう!?
母はよく、私が幼いころから出身地である喜界島の言い伝え、風習などを話していましたから私の頭に入墨の風習があることが記憶されたのでしょう。

・・・多くは結婚前に行ったので、早い人は五、六才の頃に施したものである、複雑簡素の差こそあれ、上流階級から一般庶民に至るまで、それぞれ身分に応じてなされた。それには、今の人々の想像に及ばぬ誇りと魅力が感じられたようでそういった入墨に対する娘たちのあこがれを唄った民謡も少なくない。
入墨の起源や意義などを伝える歌は見当たらないが、口碑としては、入墨のないものは死後、あの世え途で通行が許されないとか、やまと人と※結婚しないための護身術としたものだなどと言われている(鎮西八郎為朝が琉球に来た頃、一内地人が琉球王に王女を所望した、それを避けるために王女全部に入墨させたという伝説が残っている)・・・

 

※かすかな記憶では、他の地域でもそのような意味合いで入墨をしていたと聞いたことがある。
喜界島の伝説では、鎮西八郎為朝が来たとあり、
「雁股(かりまた)の泉」伝説:奄美諸島の喜界島の小野津集落には、源為朝が琉球に渡ろうとした途中にシケに遭い喜界島の沖合を漂っているときに島に住人がいるかどうかを確かめるために雁股の矢を放ち、その矢を抜き取った後から清水が湧き出たと伝えられている。るために雁股の矢を放ち、その矢を抜き取った後から清水が湧き出たと伝えられている。ウキペディアより
この伝説も母が小野津の出身であり「雁股(かりまた)の泉」話は聞いていました。

 

・・・また、八重山地方では昔、航行中時化に遭った一団が、或食人島に漂着して土人から襲撃されんとする寸前、手甲に入墨をした婦人が現われ、船を押し出して呉れて難をのがれたので、その恩義を忘れぬために入墨を施すようになったといい伝えられている。
要するに単なる装飾だけでなく、何か信仰的なものがまつわっていたのではないかと思われる、それが何も彼も文明開化の明治新世の風潮に押されて、入墨の持つ固有の意義などは忘れ去られ、技術の上にもそれが反映して次第に優雅さを去って簡略化したばかりでなく、これを施す動機もただ漠然と、友達がやるから自分もやるといった程度のものであった。
ただ、民謡の世界では往時の入墨熱を偲ぶ唄が活きてうたわれている。その代表的なものを二、三紹介することにしよう。
ある三味線ひきの男が
分かれてや いきゅり ぬば形見 うきゆる
汗肌ぬ手拭 うりが形見
と唄ったところ相手の女が即座に
形見こてくれれ はじき墨こてくれれ
うりが後生がれぬ 形見さらめ
と、うたい返した、歌の意味は一生の形見に私の体臭がついた手拭をお上げましょう―と、いったのに対し、それよりも入墨(はじき)を施して下さい、手拭はこの世だけだけですが、はじき墨はあの世までの形見であります―との意である。
むねあけれあけれ 玉乳うがも
うであげれあげれ はじきうがも
(解)胸をあけて下さい、美しいあたなのお乳房を拝みましょう、腕を上げて下さい。はじきを見せて頂きます―と男が歌ったものである。
綾はじきがれや 腕をあげて見せろ
胸あけて 玉乳 見せやならぬ
(解)腕をあげてはじきをおみせすることは、お易いことではあるが、胸をあけてお乳房を御覧にいれることはなりませぬ―と女が答えた。
次に沖永良部島の歌を一つ
たんにゃ ちゆまちがちちゃぬ はじんち
いちむ わすれらぬ 水草ぬ花ぬぐつし
(解)たんにゃは田皆(部落名)はじんちは入墨。永良部の田皆ノ千代松が突いた入墨はいつ迄も忘れることはできない。水草の花を彩ったその美しいはじきは-の意
最期に最も人口にかいしゃされているのは
をと ふしゃむ ちゅとき とじふしゃむちゅとき
あやはじき ふしゃや 命まぎり
の歌である。意味は夫欲しさ(結婚、または男女の営み)も一とき妻欲しさも一ときで、綾はじき欲しさは命がけである-とのことで、入墨に対し如何に深刻なあこがれを抱いてたがわかる。

 

奄美地方では、装飾以上に入墨が大切なもの、女にとっても証となるものだったのでしょう!
時代の流れ、その意義は薄れ伝承されずに今に至り、本土では入墨,刺青が忌避されるようになってしまい、ここに来て多くの外人が観光に来る時代となり、外人が入れている刺青が目立つようになっています。
何度かスイスに行った娘が言っていましたが、かの地では当たり前のように刺青をしている人を見かけるそうです。
また、テレビのスポーツ番組で放映される、サッカー、ラグビー選手たちの入墨が目立つようになりました。
それにつれて、日本でも腕、脚に刺青を施すが若者が目につくようになり,これなどは著者が言うように,「友達が入れるからと真似る」程度のものなのでしょう。
しかし、日本では温泉、大衆浴場、銭湯、ゴルフ場の浴場では御法度です。
この変化に社会がどのように対応するのでしょうか?
改めて入墨の風習文化、その歴史を学ぶべき時かもしれない!?

 

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