漢字表記に一言!

当用漢字が決められた背景には占領軍の方針などの影響からと知ったのは、成人した後の事でしたが、我々、戦後世代は漢字を当用漢字として教わりました。

旧漢字などの知識があった私は画数を減らし、書きやすくして利便性を高めたぐらいの物と思っていましたが、後々高校生になった頃、漢字に制限を持つことに疑問を持つようになっていました。

高校の先生(当時70歳過ぎ)が言ってたことですが、「今の学生は漢字をしらいない」。

戦前の教育を受けている先生からすれば、そうなりますが、漢字制限された当用漢字しか知らない世代ではしょうがないです。しかし、子供の頃に旧漢字の本を読んだ経験を持っていたので、その言葉に納得でした。

ウキペディアに拠れば、

「当用漢字(とうようかんじ)は、1946年(昭和21年)11月5日に国語審議会が答申し、同年11月16日に内閣が告示した「当用漢字表」に掲載された1850の漢字を指す。広義には、当用漢字表(1946年〈昭和21年〉11月16日)、当用漢字別表(1948年〈昭和23年〉2月16日)、当用漢字音訓表(同)、当用漢字字体表(1949年〈昭和24年〉4月28日)および当用漢字改定音訓表(1973年〈昭和48年〉6月18日)という一連の内閣告示を総称する。なお「当用」は「将来はわからないが、しばらくの間さしあたって用いる」の意[1]。1981年(昭和56年)、常用漢字表が告示されたのに伴って当用漢字表は廃止された。」とあります。

現在は、常用漢字として漢字を用いる目安が示されています。

ところが、この目安にとらわれ新聞記事の漢字表記が分かりにくい事、人名など固有な漢字を勝手に変えて常用文字にあてはめて書かれる例があり、疑問に思っているのです。

最近、携帯電話の修理へ行ったのですが、受付の待ち時間が長く、本でも読もうと近場の本屋へ行って本を物色していると次の本と出会いました。

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「漢字と日本語」と言う本。

子供の頃から漢字には関心が高く、気に掛けているので買って待ち時間を利用して読むことに、まだ読み切っていませんが、なるほどと思わせる「漢字表記」についての記述がありました。

「・・・先日の某紙、一面トップの見出しに、<ビキニ被ばく追跡調査>とあった。見苦しいね。意味も分からない。・・・」。

私も同感なのです。

漢字の特徴として、特定の意味が分かりやすい「表意文字」、「会意文字」なので目にすればすぐその意味が理解できるのです。

しかし、被曝・被爆と書くところを被ばくと書いてしまうとわかりずらいのです。著者が言う「見苦しいね。意味も分からない。」とは、そこを指しているのだと思います。

著者続けて、

「・・・ばくとは何か、どんな字を書くのか、何も書いていないが、「被爆」なら漢字で書くだろうから、「被曝」のつもりだろう。それなら被曝とかくがよい。振り仮名をつけない方針ならば、被曝(ひばく)とすればよい。被曝だなんて難しい漢字を使ったんじゃ何のことか読者にはわからない、被ばくだったらやさしいから誰にも意味がわかる、というのだとしたらバカバカしい。・・・」。

昨今、若い人とお付き合いしているとわかることですが、漢字を知らなさすぎます。

このように新聞記事などが、常用漢字の目安に縛られ使わないからなおさらそうなるのでしょう。

飽くまでも目安、やはり特定する意味を伝えるには漢字を用いた方が意味は分かり易いと思います。

使わなければ「目にしない」、「覚えない」の悪循環です。

目安は撤廃して、漢字を用いた表記に変えるべきと思います。

最近、私自身の経験でしたが、知り合いの名前「おさむ・收」とすべきところを「収」としてしまい、お詫びした経験がありました。名前を勝手に変えて申し訳ないと。

大正5年の初版の辞書のよれば、「收」が正しく、「収」は俗字とありましたが、戦後の漢字改定で、

俗字の「収」が常用漢字として扱われていました。

地名人名が本来の漢字を使うべきです。台湾の小学校の教科書、日本でいえばすべて旧漢字の部類、ルビを振ってあり読むことができます。

漢字を小さい時から目にしていれば決して画数が多いからと言って難しい漢字とはなりません。

「漢字を知ることは日本を知ること」、その通りと思う。

常用漢字の目安に縛られず、使うべきと思いますが!!

 

 

コメントが 2件あります

  1. 森川 達也さんより2016年11月11日11:28 AM

    いつもお世話になっております。
    いつも怒られてばかりで、すみません( ´艸`)

    地域の会議で、「障害者」、「障がい者」と並記された資料がありました。以前からある法律では「障害者」、市の資料は「障がい者」。
    とても読みにくいので、「障害者」で統一していただきたい、と要望したのですが、却下されました。
    障害を持つ方やその関係者から「害」という漢字は使わないで欲しい、との要望があれば考えなくもないですが、ほとんどの方は差別的に使っている意識はないと思います。そこまで気を遣わなくても・・・、と思いました。
    そんなことを言い出したら、「障」も差し障りあるのでは?と申し上げましたが、無言でした。
    そんなことを思い出しました。

    • 有限会社フジックス 上野2016年11月11日2:02 PM

      コメント有難うございます。
      差別用語、いつ頃から言われだしたのでしょう?
      なるほど、核心を突いたお話です。呼称は、物事、事柄を区別するために出来た言葉と思います。
      そんな「気の使い方」であれば、障害者である反対語、健常者にある立場の憐みで使われているように思えるのですが?。
      そんな思いで気を使っているのであれば、逆な見方をすればその意識が差別意識だと感じるね~。
      障害者が「使わないで欲しいとの要望があれば」とありましたが、その通りですよ。本人にしてみれば余計なお節介とも感じる方もいるような感じがします。
      言葉による感じ方は、その言葉に「悪意の調べ」をのせれば、不快に思うだろだろうし、人によっては差別との思いも抱くこともある。
      呼称となる言葉、本来の役割は「区別」です。使い方は使う本人の裁量に任せ、差別語、不快語と言って「差別」するのはどうかな?
      「ミンシュシュギ」であれば、使う本人の裁量任せでしょう。

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