シベリア抑留引揚者の物語

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15日の朝、7時頃テレビをつけると、モノクロの古い映画が放送されていました。
スイッチで番組表に切り替えて、映画の内容を確認。
タイトル「帰国、ダモイ」製作年が1949年、監督佐藤武
出演者、藤田進、池部良、李香蘭こと山口淑子、他懐かしい俳優が出ていましたので、
興味が湧き、見ることに。

 

※ダモイ=ロシア語、調べると次のような意味

<<家へ、故郷へ、故国へ、の意帰国>>帰還。第二次大戦後、シベリアからの帰還兵が持ち帰った語。

途中から目にした場面がシベリアから引揚げて来た兵隊さんが、
駅(おそらく上野)前で靴磨きの坊やに、靴を磨いてもらっているシーン、代金20円を払い終え、
タバコがないのでタバコ屋の所在を尋ねると、「僕が買って来てあげる」と言って、
お金を受け取り、坊や銘柄を確認、「いこい、ひかり、ピース」。

因みに亡くなった親父はひかりを吸っていました。

兵隊さん「ピース」を頼みます。
買いに出かけたのですが、何処のお店も品切れです。
昭和24年頃です。
確か、ピースは戦後の販売、そのために「平和の願いをこめて」のネーミングと記憶しています。
何処も品切れ当時人気があったタバコなのでしょうか。

 

兵隊さん、来るのが遅いのでホームに停車中の列車に乗車して待っています。
同席者(演者 俳優田中春夫)との会話。
何度も何度も、車窓から顔を出すので、
「どなたか、待っているのですか。」
「いいえ、坊やにタバコを頼んで、それを待ってます。」
タバコを勧められるのですが断って待ちます。
「シベリアからの引揚げですか、マルクス・レーニン主義を叩き込まれたのでしょう」と言うと、
「そうですが、皆がそれを信じたわけでなく、私は私なりに考えを持っています」と答えます。
「待ってても来ないのではないですか、こんなご時勢ですから。」
「そんな坊やに見えなかったがなー。」

 

そのあいだ、何軒回っても買えず、靴磨きの場所に戻ると兵隊さんはいません。
その場に居たおばさんに尋ねます。
「兵隊さんは何処へ行った?」
「駅の中へ」
坊や、おばさんに訊きます。
「ピース持ってない?なーんだおばさん持ってたの!訊けばよかった。」
手渡され、それを持ってホームへ向かいます。

 

兵隊さんを見つけ、渡そうとすると列車は走り出します。
一生懸命、走り、兵隊さんに投げて渡します。
受け取った兵隊さん、笑顔で礼を言います。
信用しなかった同席者も、車窓から身を乗り出して手を振ります。
坊や、釣りを渡すのを忘れますが、
お駄賃代わりに貰っちゃおーと言いつつ、大声で「おじさん、有難う」
このシーン、ほのぼのとした信頼関係を描いていたので心地よく観ていました。
兵隊さんを演じていた人、顔に見覚えがるのですが芸名が思い出されませんでした。

 

このシーンを観て感じたこと。
シベリヤ抑留者、思想教育を受けて共産主義を叩き込まれて引揚げて来たことは知っていたのですが、
そのことを再確認する結果となりました。
戦後昭和20年代、左翼主義が横行しますが、世の中の風潮もそれに同調していたのでしょう。
労働組合活動、交番焼打ちなど権力に対抗する事件など思い出します。
叔父さんから聞いた話ですが、知り合いの印刷会社、
労働組合が活発になってしまい、経営が立ち行かなくなった事などを聞いたことがあります。

 

次に登場してきたのが、池部良、山口淑子演ずる恋人同士役。
戦場に向かう別れの時、必ず生きて帰ると恋人に告げます。
このシーンの時、当時では珍しいキスシーンがありましたが、
かなり、濃厚なキス、ちょっと驚きました。
時代の変化がそんなシーンとなったのでしょう。

終戦後、彼女は酒場の歌い手になっていました。
役を演じた山口淑子の歌声は良いものでした。
そこへ引揚げてきた彼氏が来て、再会しますが、
彼から出た言葉が別れの言葉。
「別れ様、君と僕とは生きている世界違う、僕は革命家として人類に尽くす。」
というような科白でした。

「おれは人民政府の樹立を目ざして帰ってきた。共産主義社会の実現のためには暴力も辞さぬ。君は資本家にこびをうっている。違った世界の人間だ。さよなら」

ネットで調べると上述の科白でしたが、記憶には前の言葉も発していたと思います。

シベリア抑留で前に出てきた兵隊さんと違い革命、プロレタリアートなどのお題目で、共産主義を信奉したのでしょう。
恋人が激怒して答えます。
「一人の女性をも愛せなくて、どうして人類を救えるの」と。
当時の風潮、左翼主義などの問題点を衝いているのでしょう。

「君は資本家のこびをうっている」との言葉、私が大学生の頃起きた、学園紛争の左翼学生の思想信条が思いだされます。

見方から言えば、資本家=悪との図式でした。

また、国家権力闘争といいつつ、交番、駐在所を襲撃する事件もありました。

資料がありますので、いつかご紹介します。

まさに暴力も辞さぬとはその通りです。

学園紛争も同様、火炎瓶、ゲバ棒、投石と暴力を振るい、傍若無人の暴れ方でした。

場面が変わり、別の引揚者が出てきます。
列車内での会話。
老夫婦が言葉をかけます。
「引揚げてきて、家に帰るのですかね。ご苦労様でした。」

兵隊さんが答えます。

兵隊役は藤田進、戦前黒澤監督の「姿三四郎」を演じて居ます。

その後も黒澤作品に出演して、見ているので懐かしいこと。

彼の奥さん役が清川虹子、この女優も懐かしいですね。

「7年ぶりの帰国です、早く家族にあって安心させたい。」
駅に着き、急いで家路に。
途中、自転車でリヤカーを引いている奥さんと出会います。
強い抱擁を交わし、再会を喜びます。
兵隊さん、リヤカーに奥さんの乗せ、急ぎ家に向かいます。
最初に、無事の帰国をバア様に伝えようと向かいます。
家に入り、大声でバア様と呼びますが、返事がありません。
探し当てるとバア様、かまどで火を焚いていました。
耳が遠くなって聞こえなかったのです。

再会を喜び兵隊さんはバア様を抱き上げて強く抱きしめます。
82歳になるバア様の耳元で「これからはずっとそばに居るよ。」

それを遠巻きに見ていた子供達とも会います。
子供が10人、出兵前小さかった子供は顔が分からないのでしょう。
照れているのかなかなか会おうとしませんが母親に促されてお帰りなさいと告げます。
最後に会ったのが、出兵の時、お腹に居た子供。

素っ裸の子供を高く抱き上げて、生きている喜びを感じます。

親子との会話のシーンで、抑留中の生活の様子を知りたくて子供が聞いたこと。

食事は洋食なの、社会は平等なのでしょう!とありました。

当時の子供の認識をうかがわせていました。

親は「平等でなかった」と答えています。

ロシアだってちっとも平等ぢゃねえ、でけえ赤旗ふりゃメシがよけいもらえた。向うじゃ船が無えってきかされて帰るのがおそくなったが舞鶴にゃ船が一ぱいだ、うそつきだ、一日でも余計にコキ使おうとしやがったんだ」といいきかせた。」出典:ネットより。

 

 

漁師町のようです。
家族、仲間で漁に出かけるシーンがありましたが、
安心し、楽しく働ける様子を映し出して平和を訴えたいのでしょう。

映画の中で、ニュース映画も紹介され当時の引揚者の様子が出ていましたが、
引揚げるにあたって、ソ連とやり取りとの間に困難が多くあったことが想像されます。
32万人生死不明の記述のビラを目にしました。
生きて帰れた人はまだ、幸せなほうなのでしょう。
「岸壁の母」ではありませんが、シベリア抑留中死んだ人達が大勢いたのです。
シベリア抑留経験者、有名人で巨人の元監督水原茂、歌手三波春夫などが記憶にあります。

抑留経験者のご家族に、この映画で紹介された出来事が多くあったことでしょう。

左翼運動、共産主義が荒れ狂った戦後、
共産主義社会にならず良かったと思います。

悲惨な例が、近くの国に見ることが出来ます。

 

8/17追記

「ダモイとは」の検索語で検索したら、「シベリア抑留の体験」を綴ったホームページがありました。

リンクフリーとありましたのでアドレスを記しました。詳しく知りたい方是非ご覧になってください。

「戦争に捧げた青春」

http://www13.plala.or.jp/s_chiba/index.htm

 

 

 

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