阿吽(あうん)の呼吸

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日刊工業新聞、裏面トップに大見出しで、「『阿吽の呼吸』は素晴らしい表現」とありました。この記述に惹かれて記事を読んだのです。
取材された方、アメリカ人 日本おける外資系石油会社の社長、常務などを歴任して退職されたキャリヤの持ち主、これまでどのような視点で日本を見てきたかが記事の目的のようです。名はウィリアム・J・ボガティさん。
日本とかかわる経緯にふれ、
「高校2年生の時、在籍していた高校に補助金による日本語クラスが設置された。学校から日本語を勉強してみてはと助言を受けたのがきっかけだ。・・・・中略・・・・大学2年の時、たまたま東亜外交史のクラスを取ったことで、初めて日本に興味を持った・・・」
その後、日本赴任へ向けて弁護士資格を取得し東京勤務となる。

日本はどのような印象ですかと問われ答えた言葉が次の記述です。
「日本からたくさんのことを学んだ。どのように人々がコミュニケーションをするのか、どのように組織されているかなどだ。例えば日本人は周囲の空気が読めて、気配りできる。『阿吽の呼吸』と言う言葉は素晴らしい」と答えていました。
日本式経営については組織に縛られ過ぎるとも苦言を呈していました。

 

阿吽の呼吸と言う言葉を理解していたのに驚きました。
西洋人の考えでは、黙っていては良くなく、どんどん発言をして意見を述べてコミュニケーションをとるのが当たり前だと思っていたからです。
アメリカ人などはその典型です。
そんな価値観を持っている人が、阿吽の呼吸は素晴らしいというのです。
中には変わったアメリカ人もいるものです。
しかし、それを理解してくれたことにはうれしさも感じました。
このケースは、以心伝心として阿吽の呼吸を解釈しています。
日本人特有の伝達方法でしょう。
しかし、このコミュニケーションは国際社会では通用しないのが残念、
日本人言葉足りずで、誤解を受けるケースもあります。
一長一短と言うことですか。

 

相撲では、立ち合いは両者その機を阿吽の呼吸ではかり仕切りを行います。気合充実しここぞと立ち合います。
剣術の世界では調息法と捉えられています。
剣と禅と言う本に次のように説明されていました。
「・・・一体、呼吸を調えるということは、剣、禅はもちろんのこと、あらゆる芸道においてその要領をのみこむことを「呼吸を知る」という言葉があるくらいの大事であるが、その割に案外重要視されていないのではないだろうか。現在の剣道場などでは、稽古の前後に形式的に数分間「正座」をさせるようだが、特に呼吸についての指導が行われているようすでもない。今もって呼吸をやかましくいって、いわゆる「阿吽の呼吸」を練らせるのは、直心影流の法定だけではないだろうか。・・・」

 

学生の頃、呼吸法を学ぶために古神道の修行に行った事がありましたが、腹にたまった邪気を取ると説明を受け、呼気、吸気を静かにゆっくりと行うよう指導され、
内なるものに集中して繰り返すと次第に集中心が高まり雑念が頭から払われてきて、
終わるとすっきりとした気分になりました。
呼吸は精神を落ち着かせ、臍下丹田を鍛えるのにはよいものと知りました。
コツはゆっくりとできるだけ長く息を口から吐き、同じように鼻から吸うのです。

 

直心影流の法定も、息を鍛錬することで、肚を創り、身体の能力を高める手段として稽古されるのではないでしょうか。

阿吽の意味=梵語 「阿(あ)」は口を開いて発する音声で字音の初め、「吽(うん)」は閉じる音声で字音の終わり。万物の初めと終りを象徴。
寺院山門の仁王や狛犬などの相。一つは口を開き、他は口を閉じる。呼気と吸気。<広辞苑より>
さらにその効果を、東洋医学大家、竹内大真博士の説明を引用して次のように記していました。
「・・・その第一は、丹田に力がこめられ、腹圧が加えられると、そのために肝臓や脾臓に貯溜されている血液が駆出され、毛細管に血液を送り込むことによって、全血流に革命的な生理現象(第二の心臓の出現)を起こす。(略) その場合、頸部神経叢を通って、脳中枢に赤血球に富む新鮮な血流を送る結果、(略) 第二は、腹圧(丹田)を媒介として、副交感神経系のコリン作動系統が働き出し、アドレナリン交感神経性反応過程の全体を、中和的に調整することである・・・」
呼吸鍛錬の効果として、血流がよくなり、ホルモンバランスが計れるというのだと思います。
いずれにしろ、健康な体つくりにも適していると言っているのでしょう。
私も、経験から呼吸法を行うとすっきりとした体感を持ちました。

 

さらに実際、実技にも及んで呼吸について触れていました。
「剣をふるうにも呼吸がある。綿々として尽きず、脈々として絶えないところの、止観にいう「息(そく)」の状態に心・身をやすらわせつつ、ここぞと思う瞬間にムーッと末広がりの強い呼気とともに打撃を加えるなどの技術的な呼吸ももちろんそれであろうが、同時に気息の調整は、おのずから心・身を統一し、無我とか三昧とかの心境に剣者を誘い込んだことも考えられる。・・・」

息と動きとの関連を、深く掘り下げて稽古していく過程でわかってきた事と思います。
力を出し切るときは「う」と言いつつ体を使います。
呼吸と発する言葉とも関連して息を先人たちは稽古していてと想像します。

 

合気道開祖植芝盛平も神道の影響を受けて鎮魂帰神の行から、調息を身に付けていたと考えられます。

ビデオで70代半ばの頃の演武映像を見ましたが、紹介で何時間も疲れずに稽古できると紹介していました。

それに関して記述に、「要するに心・身の条件を媒介し、調和するものが呼吸である。(略) 武士達が息が切れないことから呼吸の大事に気付くと、やがて剣法の重要な教修過程として調息の修業をその中に取り入れることを思い立つにいたるのは当然である。・・・」

開祖はそれを体現できたのでしょう。

武道、芸道にも呼吸法が大切な事とおさらいができた記事でした。

 

参考資料 「剣と禅」 著者 大森曹玄 出版 春秋社

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コメントが 2件あります

  1. Doiさんより2010年12月22日12:04 PM

    記事拝見しました。
    簡単にですがコメントさせていただきます。
    日本人特有のコミュニケーションとされる「阿吽の呼吸」
    その体現には、それぞれの目線が同じになることが重要だと考えます。
    教育レベル、思想レベルでの同調が、空気を読む、気配りするということつながる。
    そこには氏も上げておられるように、日本人の根底となる思想は仏教、儒教、そして武道であることが、「間」を理解することになります。
    私はこの「間」の理解が「阿吽の呼吸」の理解だとも思います。
    「間」のお話はまたお会いしたときにでも。

  2. 上野2010年12月22日1:43 PM

    Doi様
    コメント有難うございました。
    ご指摘の通りと私も考えます。
    以心伝心とも言われますが、
    同調するものを共有してこそ、
    成り立つコミュニケーションと思います。
    剣術の修業においても、
    気、気配を察知する能力を磨き上げて、
    先の先、後の先から勝機を掴み取る事が、
    稽古の対象にも成りうるのでしょう。
    動きの中の虚と実を「間」に感じることと考えます。
    貴兄の考え方から勉強させていただきました。

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