「侍」とは!

3月5日より開催されたWBC(World Baseball Classic)に出場した日本チーム名に「侍Japan」と使われ、放送で連呼され何度も耳にしました。
「侍ジャパン」は3月24日、ドジャースタジアムで行われた決勝戦に進出し、韓国に5対3で勝利して優勝し翌日のインタビューでイチローは「侍」のネーミングに触れ、それにふさわしく優勝できたことを喜びの中、語っていました。「侍」らしい戦いぶりが出来、その結果としての優勝、イチローは「侍」を自分なりにその意味を認識し、その自覚を持って戦いに臨んで「心構え」通りの結果に素直に喜べたのでしょう。
彼はどのようなイメージを「侍」に描いていたのでしょう。
私などは、時代劇映画を観た影響から「侍」像を描いていました。
子供の頃(昭和26年~28年の時期)、まだテレビ放送がなく映画が娯楽の主流でした。当時、神楽坂にあった映画館で、東映の時代劇映画をよく見たものです。神田神保町にある映画館にも行った記憶があります。
多くの作品を見ましたが、「笛吹童子」、「三日月童子」「紅孔雀」などが印象強く残っています。これらの映画、続き物で何部かに分けて上映されていました。中村錦之助(後年萬屋錦之助)、東千代之介の映画スターを知りました。他に思い出される映画俳優は片岡千恵蔵、市川歌右衛門(北大路欣也の父)、月形龍之介(元祖水戸黄門役)、大友柳太郎、伏見扇太郎、大川橋蔵、女優で記憶に残っているのが、千原しのぶ、高千穂ひづる、田代百合子、などなど。
時代劇映画を通して、主人公が演じた「侍」「武士」などから子供心に感じ取った印象は、「正義の味方」、「弱きを助け、強きを挫く」「忠義」「忠誠」などです。
当時の時代劇のシナリオの大体が「勧善懲悪」がテーマでしたから当然の帰結かもしれません。
「忠臣蔵」などは、忠義、忠誠が物語の柱です。大物俳優が大石内蔵介を演じたがるのか何度も映画化されています。余談ですが忠臣内蔵介の三文字を取って「忠臣蔵」となったと本で読んだ事があります。
「サムライ」の言葉が海外に知られるようになったのは、監督 黒澤明の作った「七人の侍」、「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」などの作品の影響があると思います。高校生の頃、リバイバルで観たのが、「七人の侍」、野武士から百性を助ける義に感じて7人の侍が戦う物語、出世、栄達に関係ないのに身命をなげうって立ち向かう姿勢に「侍」を感じます。義を重んじた行為がそんな印象を持たせるのでしょう。
中学生の頃見た映画が「隠し砦の三悪人」でした。同盟の藩に、逃げるため敵中を突破する物語。
主人公 真壁六郎太を演じた、三船敏郎 ライバルの武将、田所兵衛(ひょうえ)を演じた、藤田進、雪姫を演じた上原美佐、2,3年前テレビ放映があり録画して観ましたが何度観ても楽しく、活劇時代劇として堪能できる映画です。中でも一番印象に残るシーンが敵に捕まり、囚われの身となった、六郎太、雪姫、百性娘を兵衛が検分する所でした。百性娘が姫の身代わりになろうと「私が姫です」とかばう所、兵衛が部屋に入る時様子がおかしいと六郎太は感じて声を掛けるのですが返事がありません。兵衛の顔がアップで映され、顔にひどい傷跡があることを知ると「どうした、人がかわったな」と声を掛けるのです。
兵衛は言うのです。「何故、決闘で負けた俺の首を刎ねなかったのだ、殿に満座の中、鞭でしたたかに打かれた顔の傷を見ろ。」叫ぶのです。
それを聞いて雪姫は「そなたが音に聞こえた田所兵衛か・・・・、人の情けを生かすも殺すも己の器量次第」と不甲斐なく感じて彼の言動を叱責します。
いよいよ、処刑されることとなり、馬に乗せられ刑場に向かう時、雪姫が後ろを振り向き早川領に目をやり覚悟を決めた様子をみて、3人を助ける行為に兵衛が打って出るのです。姫の人柄に惹かれ助ける気になったのです。
3人を逃がす時に、六郎太に言うのです。「姫は将たる器、姫を助けい」、雑兵相手に槍を振るっている所、姫が彼に叫ぶのです。「犬死無用、志あらば、姫に続け」と、兵衛「はっと」感じて「裏切り御免」と叫び、馬に飛び乗り共に早川領へと逃げ去り、目出度し、目出度し。
敵同士でありながら六郎太、兵衛の友情、若い姫ながら将たる器を持った雪姫などの役柄が絡んで印象に残る場面でした。
女ながら、将たる器、器量を発揮して部下を束ねる雪姫、武士武将として義を重んじる二人の行為に清々しさを感じた次第です。
大学生の頃、合気道部に所属して武術と向き合った経験もあり、武士、侍の行動規範に興味があったのか、その後折に触れ、武士道に関する本を購入しました。
昭和44年「葉隠」 昭和49年「日本武士道史」 昭和51年「武道初心集」
同年「山岡鉄舟 剣禅話」 昭和54年「剣のこころ 勝海舟と直心影流」
昭和59年「武士道」他に武術関連の本も持っています。
「侍」とは!と私が読んで印象に残った記述を引用し紹介したいと思います。
先ず葉隠ですが、以前にもブログで紹介していますが、若い人達には馴染みが
ないので著者の「はしがき」の一部を紹介して理解の一助とします。
「葉隠」が書かれた経緯を先ず説明します。
約300年以上前に書かれた”武士の心構えに関する教え”であって、隠遁した佐賀鍋島藩士・山本常朝(1659~1719)の7年間にわたる談話を同藩の田代陣基(たしろつらもと)(1678~1719)が筆録し、これを編纂したもの。
はしがきに著者の見解が述べてあります。
「『葉隠』という文字を見たとき、現代人の反応はさまざまであろう。戦前派、戦中派の、あるものは懐旧の思いをめぐらし、あるものはホロにがい表情を示すに違いない。・・・・・・中略・・・・・・”武士道とは死ぬ事と見付けたり”の一節によってのみ記憶され、戦時中、若者達を死地にかりたてるスローガンとして乱用されたことのために、この古典が現在、正統な評価を受けていないのは、やむを得ないことであったろう。終戦直後、占領軍の目をおそれこの本を焼いた者もあったと聞く・・・・・中略・・・・・葉隠が書き記されたのは、徳川政権が確立して約百年、人々は泰平ムードに安住しつつあるときであった。その中で忘却されようとする厳しい生き方―――葉隠はそれを示している。・・・・・・中略・・・・・・だが危機不感症的な泰平ムードの今日こそ葉隠の中から前向きに取り組むべきものが少なくないのではあるまいか、・・・・・中略・・・・・・集団共通の目的を遂げるための個人のあり方、その心構え、さらに生活技術的な処世術までが具体的に記されている。」
最初に書かれているのが、”武士道といふは死ぬ事と見附けたり”
その真意は決死の覚悟で臨み、ことにあたれと言う意味で死に急ぎなどはもってのほかと理解しました。訳者は強烈な使命感と解説しています。
初版が昭和39年、この頃、戦争体験者が中年と言われる30代、40代の時期に書かれています。
序章、「夜陰の閑談」で解説された文言に今日でも通じる話として組織体の基本原則としてこう書かれていました。
「ところが組織が固まり、安定してくるに従って、その中に在る人々は組織体の基本理念を忘れ、大樹の陰によって日々の安隠をだけむさぼるようになってくる。もちろん創業の精神といえども時代とともに発展させなければならないが、これはあくまでも伝統を正しくふまえた上でのことである。もともと伝統など知ろうとしない人々には”余所(よそ)の仏を尊ぶ”ほかはない。
かくして創業の精神を忘れた組織体は、どのように堅個に見えても。やがて内部から腐朽し、滅びていくのである。」
これなど読んで、ここ数年でもいろいろの会社が潰れて行く事例を見るにつけ成る程と思います。
時代が変わろうとも、変わってはならないものがあるという事です。
「武道初心集」もほぼ同時期に書かれた書物で、著者は大道寺友山、やはり泰平の世になり、戦国時代の遺風が薄れつつある時、武士の行動規範を見直し、
教育すべき項目を掲げた本になっています。
訳者がこの本の成立と普及に言及している記述があるので紹介します。
「友山が『武道初心集』を著わした年代が明らかではないが、その晩年での作である事は間違いないとされる。その内容から見て、諸国を遍歴し、その内情をつぶさに見聞した友山が泰平の世に馴れて自覚が薄れていくばかりの下級武士の再教育を目指して筆を執ったものと思われる。・・・・・・・」
この文言、そのまま今の日本に置き換えてもおかしくないと思います。
葉隠と同様、行動規範を立て直す機運が高まった時期なのでしょう。
56の徳目を掲げ、規範を教えています。その最初が「一、つねに死を思い、生をまっとうする。」
簡潔に言えば日々の一日を大切に生きよと教えていると解説にありました。
時代が変わろうとも、人としての行き方に変わりはないと感じます。
しかし、封建制度の武士階級に起こる問題点を指摘した時代劇「上意討ち 拝領妻始末」もあります。三船敏郎主演で主君の勝手な振る舞いに立ち向かい戦う物語で、封建制度を批判した内容となっています。
「武士道残酷物語」と言う映画もありました。忠義(武士道)が逆用され理不尽さを指摘した物語です。人格が無視されてしまう点は悲しい話です。
高校の頃観た映画「切腹」監督 小林正樹 主演 仲代達也がありますが、娯楽時代劇というより、武士と生まれたため悲惨な生き方を強いられる暗い物語と言う印象が記憶にあります。時代劇の作り方に変化が起きた時期なのでしょう。
しかし、だからと言って武士道精神がよくないとは言えません。
5、6年前トム クルーズ主演の映画「ラスト サムライ」が作られましたが、テーマは名誉、誇りに生きる者としてサムライを描いています。
この時、その影響で新渡戸稲造が書いた「武士道」が数十万部売れたと聞き及んでいます。
その映画から崇高な精神と気付き、詳しく知りたいと感じた日本人が居たから売れたのでしょう。
映画で啓発される前に日本人として、読んでいて欲しかったと思います。
WBCから帰国した時、原監督はインタビューに答え選手達がサムライとして礼儀、礼節を守ってくれたとコメントした時、テレビで選手たちが茶髪を止めた様子を流していました。
それだけの意味だけではないと思いますが、「サムライ」の行動規範がお手本になったことは喜ばしいと思います。
私が「サムライ、侍」のイメージをまとめるとこうなります。
「義を重んじる」「筋を通す」「死生観を持っている」「勇気」「忠義」などが主な規範となるのではないでしょうか。
最後に「日本武士道史」に副題に書かれている記述を結びとします。
従容として果てる心、日本民族の魂の遺産をもう一度見直そう。
参考資料「葉隠」原著山本常朝、田代陣基 編訳者 神子侃 出版 徳間書店
「武道初心集」原著 大道寺友山 訳者 吉田 豊 出版 徳間書店
「日本武士道史」著者 森川哲郎 出版 日本文芸社
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1件のコメントがあります

  1. T.Mさんより2009年4月22日8:01 PM

    お世話になっています。T.Mです。
    侍についての感想を書きます。
     侍と言えば武士道ですが、武士道でまず頭に浮かぶのは、恥を知ると言ううことです。子供の頃、両親から恥ずかしいことはするなとよく言われたような記憶があります。多分悪さばかりしていたからかもしれませんが。
    侍、武士道には、勇ましいイメージがありますが、日常生活する上での秩序とか調和を問いただしているようにも思えます。侍達の中で延々と練り上げられた武士道の精神は、日本人として誇るべき物だと思っています。
    WBCでの(侍Japan)のネーミングは良かったと思います。
    原監督の行動は、良い印象を受けましたが、イチローについては、すごい選手なのですが、侍のイメージがわきませんでした。

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