4月上旬、ある専門学校の入学式に参列してきました。
この機会を持ったのは、私の子供が某エレベータ会社を辞して、時計修理技術を学びたいと言い出したからです。親から見れば大学に行かせて専門知識を学び、就職して生活の安定を得ている状況なのにと思う気持ちはありましたが、子供の決意を信頼して入学を許しました。この選択をする気持ち分からないわけではありませんでした。子供の頃から、技能、技術的な物事に興味を持つ性格でしたので。また会社で、マネジメント的な仕事より、モノ造りにかかわりたく思いながらもそれが果たせなく不満にも感じた点があったのでしょう。
学費は大学並みにかかるようですが、自分でその費用を貯めていました。自分の子供ながらその点は、私よりしっかりしていると感心しました。
入学式は渋谷の某所で行われました。
その専門学校は、宝飾、時計修理技術、製靴、製鞄のコースがあり、入学者はそれぞれのコースを選択するのです。
式の冒頭、校長の挨拶がありました。
特に強調されていたのが就職率の高さでした。かなり歴史のある専門学校のようで、卒業生も多く社会に出て実績もある様子でした。
こんな、不景気の中就職率は90%以上、内定取り消しは一件しか無かったと説明がありました。
技能を学ぶ学校らしく、校長からしっかりと技能を身に付け社会で活躍するようにと激励の言葉もありました。
入学式の雰囲気は、厳粛な感じで入学生にはある緊張感があり、式の最中、身じろぎもせず真剣に臨んでいました。私ら夫婦は2階席で式に参列していたのですが、後ろから見ていて少しも頭が動かずその雰囲気は伝わってきました。それぞれ強い決意でこの学校に入学してきた経緯がそうさせるのだと感じました。
入学生の中には、子供同様、就職しているにもかかわらず、会社を辞して入学した人もいました。
モノ造りに関心と興味を見出した結果なのでしょう。
昔より、手に職を持つなどという言い方をしますが、作る喜びは他の仕事より強い達成感が持てるためなのでしょうか。
入学式の行事の中に、講演があり私にとって興味が持てたので聞く事にしました。
講師は、テレビ番組「出没!アド街ック天国」コメンテータ 山田五郎と式次第に書かれていました。それも興味を引いた所です。
講演を聞く中、私にとっても関心の持てた話があったので、感想を述べたいと思います。
講演の最初に、少子化時代の中で育った特徴として、指示待ち型の若者が育っていることに触れていました。
親から、手取り足取りで面倒見られる傾向が、そんな人たちを育てたと見ているようです。
そんな理由から講師は、学生に向かって「積極性」の大切さを強調されていました。技能、腕一本で生きていくためにも強い気持ちを持ち、技能を修得していく過程で、叱り、注意も受けるだろうがそれに負けず、打たれ強くなって、自分自身の考えなどが否定されることの意義の大切を理解できるようになっても貰いたいとも言っていました。
最近の若者の傾向で、「自分探し」という言葉を用いるが、これは誤謬だとも言っていました。自分という存在は、ある形で存在するものでなく、自分自身、自らが作り出していくことで自分となり得るものという言い方をされていました。アンデルセンの童話「青い鳥」を例え話として引用していました。要は、探すものでなく、作る物と言いたかったのでしょう。
仕事に取り組むにも、自分が仕事しやすい環境を作る努力をしてほしいとも訴えていました。この言葉、どのような意図があって使ったのか自分なりに考えてみると、指示待ち型でなく自分自身、自ら進んで道を切り開いて、自分なりのスタイルを作り、納得できるものを掴んで仕事をしてほしいと願っているのではないでしょうか。一流の技術者になるにはそのぐらいの気概が必要ですと言いたいのでしょう。
前にもブログで触れたことですが、私の会社にここ数年で3名の20代の青年が入社しました。入社動機として履歴書に手に職を持ちたいと同じように書いてありました。不況期に育った環境がそのような考えを持たせたのでしょう。
しかし、冒頭で触れた指示待ち型なのか、塗装に関する専門知識を覚えるでもなく、自ら進んで先輩たちに技術的質問をするでもなく向上していこうとする気持ちが見えないのです。徒弟制度の中で技能、技術を習得してきた経験を持つ60歳を超えた先輩2人が当社には居るのですが、仕事に必要な知識をメモすらとらず、覚える気持ちが弱いことを嘆いていました。時代のなせる仕業なのでしょうか。
今月になり、訓練のためと考え彼等と一緒にある一定期間同じ仕事をさせることにしました。仕事の姿勢を見習いさせるのが目的です。
話を戻します。
講師は、独創性は単純作業の積み重ねから生まれると話していました。
含蓄のある言葉と思います。宝飾もいろいろな工程を経て輝くばかりの装飾品となるのですが、研磨のような単純な作業も欠かせません。
なるほどと思います。
この学校で学ぶ技術は、西洋で生まれた技術です。
そういう点で、日本には明治以降150年の歴史しかありません。
伝統とその技術の蓄積の点ではいえば、先に行って高い技術レベルの競争になると勝てません。西洋とでは桁違いに蓄積が違うと強調していました。
例えば、スイスの時計技術の歴史の長さ、日本とは比較にならないほどのものがある。
学生に向かって研修でヨーロッパへ行く機会があれば歴史、文化などを博物館などに行って勉強してほしいと話していました。あわせて日本の伝統文化なども勉強してほしいとも話していました。そのような経験知識の蓄積が技術向上には必要なのでしょう。美意識を高めるためにも。
小手先の仕事を習得するには、若い頃が良いと時期について触れていました。
大田区の町工場に、神業と称される職人さんがいるが彼等は、中学を出て仕事に就き、長い間の時間をかけてそのレベルになっている実例を自分が取材したときの経験から話していました。
この点は、オリンピック選手が子供の頃から競技に取り組んでいることからも分かります。
講師は、こうした特殊技術を持つ人達が社会的に評価されていないことを、ドイツのマイスター制度を取り上げて説明していました。ドイツではマイスターの称号はドクターに匹敵するものだそうです。
この点は、私も同感です。
まして、日本は今後もモノ造りで経済成長しなければなりません。教育制度も受験一点張りでなく、若い頃に技能習得できる仕組みを制度の中に設ける必要があるのではないでしょうか。
そういう点から言えば、昔の徒弟制度は技能習得に関しては悪くはないと思います。尋常小学校卒であれば12歳から技能習得が出来ます。
最近、シルク印刷技術の件で都立産業技術研究センターデザイングループの方と相談することがあったのですが、技術指導する担当者が現在は居ないというのです。「おいおい、何のための施設か」というと担当者は今、若い人達がモノ造りの下支えをするような産業技術の仕事に就かなくなっているのを憂えていました。
講演の中で、NHK番組の「プロジェクトX」で取り上げられた仕事の取り組み方をあげていました。日本人はそのような話に感銘を受けるが、番組で取り上げられた仕事の仕方には無理があるからと言って、無理をする仕事をしないようにと注意を促していました。西洋人の仕事の仕方と比較しながら、無理には必ずツケがあるからと言っていました。そのような見方もあるのだと思った次第です。確かに、無理しなければならないこと自体がおかしいかもしれません。また、無理は長続きしませんし、そんなことを心配して話題にしたのでしょうか。
この講演を聴いた入学生はどのような思いを抱いたか分かりませんが、これから技術を学ぶ学生にとって適切な講演内容と思えました。
ただ、私が気にかかった言葉に「指示待ち」あります。
講師も、積極性を説いていましたが、事を成すには欠点となりうる要素です。
大成するためにも、そのような姿勢を改めて積極果敢な若者に変身してもらいたいものです。将来の日本を背負うわけですから。
彼等に送る言葉として、「仰げば尊し」の一節を紹介します。
2番
互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば
太文字の箇所の詩が気に入ってます。
世のため人のため、頑張って社会貢献しなさいといっている様に思えるのです。
「大志」を持つ大切さを教えています。
なんで、こんな良い詩なのに卒業式で歌われなくなったのでしょうか。
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