修身とは

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ある日、都内に出かける用事があり、電車の待ち時間を利用して構内にある本屋を覗いた時、店頭に並べてあった本の中から「精選 尋常小學校修身書」と言う本を見つけました。
私の母親が「戦前、修身を教わった」とよく口にしていた事。それと初代神武天皇から歴代の天皇を暗誦できることを自慢していた事。私は戦後の「道徳」に相当する授業だと認識していた事。などから多少関心がありました。
実際、教科書を見たことが無いので、どんな内容が書かれているのか興味を持ち、購入したのです。
タイトルの副題として、次のような言葉が書かれていました。
『「偽」時代の今こそ学びたい、日本人の徳育―正直、責任、謙遜、礼儀、友情 勇気、自己規律』
この副題を読んだとき、今の世相から見て取れる日本人の行動規範を憂えて出版された本だと感じます。
修身の授業は、明治37年から始まり、敗戦まで続いたもので、父母の恩を忘れるな、兄弟は仲良く、友達は助け合う、約束は守る、先生の言いつけを守る、年寄りを大切に、など日常生活の中で基本的な徳目を掲げ、規範を教えています。
「ゆうき(勇気)」の項に木口小平の「死んでもラッパを放さなかった」との記述がありました。この話は、母方のおばあちゃんから子供の頃聞いたことがあり、子供心に凄いなと感じた覚えがあります。
今思えば、おばあちゃんは「修身」で知ったのかもしれません。
中学生の頃、映画で日清戦争であった出来事と知りました。
このブログを書くにあたり、詳しく知りたいと考え、小学校の先生にお電話し「修身」のことを聞くことに思い立ちました
電話で会話する中、修身について次のような説明がありました。
尋常小学校で修身を教える時間帯は、月曜第一時限と決まっており、人物をお手本として書かれていた。週の最初に修身の授業をあてた意図はなんとなく理解できます。
購入した本を読んでいたのでなるほどと感じ、先生はどんな話が印象に残っていますかとお聞きすると、一番記憶に残っているのが「毛利元就」”三本の矢”で「協同一致」「団結」を教えられたと話されました。
尋常小学校2年で教えたのが、木口小平ラッパ兵の「死んでもラッパを放さなかった」ですと教えてくれました。
先生は、尋常小学校(6)年、東京府女子師範学校付属小学校高等科(2年)、東京第一師範学校 女子部(6年)を経て昭和23年の卒業だそうです。
私はお手本という言葉に教育の原点を感じていたので、先生に質問したのです。
「何故、戦後修身の授業をやめたのでしょうか?」
先生のご返事はこうでした。
「アメリカの占領政策は、大和魂を壊すことに重点が置かれた。」
この言葉を聞いて、先生は大和魂を「日本人の精神、こころ」という意味で使われていると理解しました。
私などは、以前は「戦う心」敢闘精神と頭にありましたが、当時は先生のような認識だったのでしょうか。
大和魂の言葉について、本で読んだことを思い出します。
本とは「技法 日本傳柔術 黒帯合気道 」です。
30年以上前に出版された本です。ここで敢えて大和魂について述べさせてもらうのは、伝統的な言葉、精神がわすれ去られているので説明を入れたほうがよいと感じるからです。
武士道の項に次のように説明していました。
『「武士道とは死ぬことと見付けたり・・・・」とか、「君の御馬前に討ち死にする以外に、武士道ありまじき・・・・」という。もとより全くのあやまりでない・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・その根源はどこにあるかと追求すれば、「大和心」ということにある。これは「やまとごころ」と読むのが普通であるが、「いやあまたごころ」の転化である。・・・・・・中略・・・・
いやあまた(非常に、多くの人人の)心(真心)である。この「大和心」――いやあまた人の共感としての真心―――これこそが日本精神文化の華たる「武士道」なのである。』
著者は明治40年生まれの方です。当時の日本人は「大和魂」をこのように認識していたのかと、この本を読んだ時感じいった記憶があります。
私は学校で性教育の授業を受けた記憶はありません。無かったのだと思います。
しかし、7年程前に購入した本「教育黒書」でその内容を知りました。
性行為♂♀仕組みの有様を教えるだけで、その行為の背景にある「生命の尊厳性」を教える内容が無いのは教育にならないのではと判断しました。
先生はどんな見解をお持ちなのかお聞きしました。
「性教育では、快楽だけを教えるだけ」と言い切りました。「だから欲望の果てに出来た子供を守ることもせず邪魔なので棄ててしまうのです。」と。
その本の帯にこんな文言が書いてありました。
「だって、先生が『ピルを飲めば絶対大丈夫』って言ったんだもん」
先生の言葉に実感です。
たしか、私が高校生の頃から始まったのではないでしょうか?
当時、性教育先進国、北欧の国、デンマーク、スウェーデンを範として取り入れられたと思います。当時の日本で、進歩的文化人ぶっている人達が「性の解放」と声高に言っていた時期があったと記憶しています。
当時、デンマーク、スウェーデンでは高校生ぐらいで、未婚のまま妊娠した女の子は国が面倒を看るような事を、ニュースで「見た」か「聞いた」かして記憶に残っています。
今振り返れば、ただ単に「倫理観が崩れていただけではないでしょうか、どこかの国と同じように」
先生は言葉を続けて、「現場の教育者、教師は親の干渉に困っている。」と言うのです。先生は現役を離れて25,6年は経っていると思いますが「モンスターペアレント」の存在はかなり前からあったのでしょう。
このことは、母校大学で実感したことがあります。毎年、後輩と合気道の合同稽古があるのですが、先輩から昔みたいな稽古をして怪我させない様にと注意を受けたことがあり、その背景には保護者のクレームに配慮しての事でしょう。
何かにつけ、大学にクレームをつける風潮になっているのだそうです。
教師を敬う気持ちを忘れた結果なのでしょうか。
私は前々から「エリート教育の大切さ」を感じていたので、その考えを話したら、今の横並び教育は「悪平等」と見解を話してくれました。
私は、テレビ番組で知ったことを話したのです。
それは、対談番組で、出演者は女優 岸恵子、ジャーナリスト鳥越何某、国家の品格を書いた藤原氏が出ていました。岸恵子が言うのです。「フランスでは、エリート教育が徹底されていて、あらゆる文学、文化に精通する知識を身につけて政治家になっていく。日本の横並び教育を受けた政治家では太刀打ちできないでしょう」と。その話を聞いて先生は、「もっと才能が伸びる人にはさらに上に導き、とどまっている生徒にはその人なりの教導をしていくべき道を示す教育が出来るのに」と話されていました。
私の母がよく山中鹿之助の話を持ち出して「願わくば、我に七難八苦を与えたまえと神仏に祈った」といっていましたが、これは修身で教わる話ですかと聞いたら先生はこう教えてくれました。
尋常小学校五年の国語の授業で山中鹿之助「三日月の影」という主題で教科書に使われていたと説明を受けました。
戦国時代の毛利家、尼子家の戦いを書いたものだそうです.
そうだったのかと亡くなった母が山中鹿之助を覚えた経緯が判りました。
先生は私の問いに真摯に答えてくれました。
今の日本の現状を教師という立場で大変憂えていることが話の節々に感じ取れました。「敗戦するということはこんなにも国を変えてしまうことなのですね」と嘆かれても居ました。私がブログで先生から聞いたことなどを公表しますと言いましたら、是非そうしてくださいと言うのです。今のこの日本が変わってしまったことが残念でならないのでしょう。
毎月1回、当社へ訪れる置き薬屋さんの営業マンの方から2、3ケ月前に
伺った話ですが、規範が無い例としてある出来事を紹介します。
県内の某市在住で、工場を営んでいる社長さんが、近所の某公園へ犬を散歩に連れて行った時に起こりました。散歩していると前から母親と子供の二人が犬を連れて散歩して来たのです。子供が転んだ弾みで手綱を放し、犬が社長さんの犬に近寄ってきたのでケンカしないようにと、軽く足で遮ったのです。
それを見て、その子供は「蹴った、蹴った」と言いがかりをつけるのです。「謝れ、謝れ」と怒鳴り声を上げて迫るので、社長さんは「坊や、いい加減にしないか」と窘めるように後頭部を平手で軽く押したのです。この行為が出来事の発端となりました。この親子、傷害事件として警察に届けたのです。結果的に
警察は傷害事件として扱い、社長さんは罰金10万円払わなければならなくなりました。
子供が転んでしまい、犬が離れて近寄ってきたので足で遮る羽目になったのです。この母親、子供自分たちが切掛けを作ったのに「非」は無いと思っているのでしょう。謙虚さがあれば事件になりえない出来事なのですが。こんなタイプの親が、教師に干渉するのでしょう。
警察も、親の話と社長さんの言い分を聞いて和解させる配慮をしたのでしょうか、
平手で、後頭部を押したことが、拳骨で殴った事になり傷害事件になったのです。警察もマニュアル的な対応しかしていないのでしょう。
こんな例で分かるように、先生は、修身で教えていた規範がなくなったことが世の中をおかしくしていると感じているのだと思います。
当時先生が勤務されていた小学校を私は6年生に上がる時、転校してお別れしたのですが、50年以上経った今もこうして会話できることをうれしく思います。
先生とのかかわりは1年でしたが、お電話を切る際に、幼名を使って注意してくれるのです。「つねちゃん、いつかクラス会で会いましょうね。体に気をつけて、健康が一番ですから」、あの頃の先生等の心情を感じました。
こんな年で、幼名で呼ばれるのは何となく心地いいものです。
参考資料「技法 日本傳柔術 黒帯合気道 」 著者 望月稔 出版 講談社
「精選 尋常小學校修身書」 監修 八木秀次 出版 小学館文庫
「教育黒書」 編者 八木秀次 出版 PHP研究所
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1件のコメントがあります

  1. T.Mさんより2009年4月21日11:33 PM

    お世話になっています。T.Mです。
    遅くなりましたが、修身の感想を書きます。
    私自身も、修身のような教育は父母、先生達から教わった記憶はありません。しかし祖母が仏教の信者でしたので、兄弟3人ですが、四季折々の出来事の中で小さいころから修身に近いようなことを、仏教のたとえ話で教わってきたように思えます。
    何も判らない小さい時から、生活の中で自然に人としての生き方を教えてもらったことに年を取るにつれ感謝しています。
     修身とは自己犠牲の精神を作ることではないかと考えていす。今の世の中、誰も彼も知識の詰め込みすぎで判断出来ない日本人が多すぎると思います。小さいころから余裕がなく知識だけを詰め込まされた人が、人間として1番大事な感性を持ち合わせられないと思います。言葉や文字からでなく、身体で判るようにするには、小学校低学年から修身のような道徳観念を教えるのはいいことだと思います。

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