2月9日午後3時から、川越地区雇用対策協議会主催の「最近の経済金融情勢について~埼玉県経済を中心として~」を受講してきました。参加者が数十名ほどありました。
主題に経済金融情勢とあり、サブプライムローン破綻から、リーマン ブラザース証券倒産を受け景況が悪化している状況にあるので受講する気になったのです。
会長挨拶で昨今の景況に触れ、昨年10月から景況が極端に落ち始め、更に悪化の様相を呈していることを話し、国会で雇用問題が取り上げられていることにも話が及んでいました。
講師は、財団法人埼玉リソナ産業協力財団 調査部長 島崎 光男氏でした。
受講する前に、「強欲資本主義・ウォール街の自爆」と言う本を読んでいたのでどんな話が聞けるかなと、金融の詳しい話を期待していました。
しかし、講演の冒頭、講師は地元の経済構造を主題にしたいと断りがあり期待した話は聞けないのかなと思いながら聞いていました。
始まると結構興味を引く話なので、メモを取りながら聞いていました。
最初、やはりアメリカのサブプライムローンの話題を取り上げていました。
住宅の価格が上がることを前提にローンを組んで買う人たちが大勢居て、且つ低所得層まで及んだ。日本における土地神話と同じ様相であった。
人間の欲が神話を作り、それが跋扈すると危険だと言う説明がありました。
確か、アメリカ住宅バブルの最中、教会の牧師までが手数料を貰いながら、お客探しに奔走した話を聞きました。欲が聖職者まで狂わした事例でしょう。
「強欲資本主義・ウォール街の自爆」によると、アメリカで崩壊した「住宅バブル」の芽は、グリーンスパン前FRB(連邦準備制度理事会)議長時代に形成された。とあり2001年の頃です。
こんな事態を招いたアメリカは独善的過ぎます。1929年にも同じ事をしでかし、大恐慌を起こしています。80年前の教訓が生かされないのは「歴史から学べない」事にあるのでしょうか。
配られた資料で最初に説明されていたのが、「日本経済動向」で引用しますと次のような判断でした。
「国内経済は、個人消費、設備・住宅投資、輸出のいずれも弱い動きが続いており、景気の牽引役が見当たらない厳しい状況が続いている。サブプライムローン問題や株価の急落、更に円高の影響も加わって、輸出産業を中心に大幅な減産に追い込まれる企業が増えており、景気の調整が長引き、2009年度は2%程度の大幅マイナス成長となろう。」
下線部の記述は、実感します。当社の営業が各取引先を回って聞く話によると、先ずは1ドル100円前後にならないと動きが出ないと判断されているようです。
「埼玉の景気情勢」では次のように書かれていました。
「・・・・・・県内景気が厳しい状況を脱して再び加速するのは、早くても来年度後半以降とみられ、2009年度の埼玉県経済の実質成長率も大幅なマイナスになると予想される。」
国全体の景気動向と同調する形なのでしょう。
地元経済の話は興味深く聞けました。
「埼玉県経済の現状と特徴」でこの様な説明をしていました。
恵まれた地域であるが、1980年代までの優位性は失いつつある。
人口構成からみると、昭和60年代までは若かったが高齢化のスピードが速まっている。
埼玉県の人口動態
この表から見て分かるとおり、社会増加(県への流入人口)が平成19年度の例外を除いて年々落ちてきています。埼玉県は他県からの流入が多く続いてきたが平成9年から極端な落ち方をしている。埼玉都民と言われる人たちが多く流入した時期、埼玉はベットタウン化し、多くの企業はその奥さん達をパート採用して、地元の経済的発展が可能であった。狭山市などは自動車会社誘致で発展している。(※注但し現在、狭山市から他の場所へ移転計画があったが、この景気で頓挫している。しかしいずれは狭山市から県内ではあるが他の場所へは移転する計画。当社の従業員で狭山市に住んでいる者がいるが移転すれば住民税が上がると話していた。)
しかし、海外など他へ移った企業も多くあり、埼玉県として別の産業育成の時期にも来ていると話していた。
老年人口比率
それも、若い人を正規雇用できるような産業でないと若い人たちは定着しないだろうとも話していた。
社会増加しない一因としてバブル崩壊後、都の住宅価格が下がり、都へのゆり戻し現象が起きている。
確かに2010年では65歳以上が20%を超えると表に書かれている。
例ですが私の住む町は老人が増えて、しょっちゅう救急車が走っています。
昭和40年代に入り、急速に住宅化が進み、当時住宅を購入した人達が高齢化しているのです。
高齢化が進み、若い人たちが定着しなければ、県民所得順位は下がり続けるだろうとも話していた。県としても、この流れに対応した施策を企画しなければ、地元経済の発展は見込めない。
講師が住む市の例として市議会選挙では福祉が選挙の目玉になって短期的展望で市政が動いてしまうことを嘆かれていました。
長期的展望に立って、地場産業の育成があってこそ福祉が出来る財源が確保されるのだからと。市議会議員のある方を叱責した事もあるそうです。
一例として、講師の提言で「介護産業の現状を見直し、サービスとして付加価値を高めた介護などもあってもいいのではないか。高い付加価値のある介護サービスを受けたい人もいる筈、一律でないやり方がある筈だ。」とも話していました。
この話に関連して、食料品が中国富裕層を相手に輸出品として注目されて神奈川県、千葉県などがそれに注目している。1%の富裕層、それでも1000万人以上がいることになります。マーケットとしては大きい市場です。
日本が中国人に健全な食料品を供給し、わが国では中国の農薬付けの食料品を食う羽目になると皮肉交じりに話しをしていました。
講師の方が、何度も繰り返し使っていた言葉が「陸蒸気(機関車)ができて、水運から陸運に代った時」と同様時代が変わっていくことを読めずに適応していかないと経済発展のチャンスを逃すことはいつの時代も同じであると。確かに、路線の駅誘致をして地域経済が発展した事例はいくらでもあります。
私の住んでいる町は、新河岸川が流れていますが東上線が出来るまでは水運が隆盛だった時代、廻船問屋を営んでいた方の大きな屋敷が史跡として残っています。
講演の話で、キーワードとして地域経済活性化には若い人の定着が条件となるとの印象を持ちました。ある地域では若者に家賃を援助し定着化を計っていると話がありました。
成長のために資本主義社会では消費していく活力がないと発展は望めないような気がします。いろいろな状況がこの世界で起こっています。満足に食料が満たされない国、北半球、南半球の格差など言われますが生きる事と、向きあう事は今も昔も変わりません。
この講演を聞いて、思い出した事は昭和30年代に製作された「楢山節考」と言う映画でした。ギター奏者だった深沢七郎氏が書いた小説を映画化したものです。
私が小学校六年の時、映画ポスターを見た記憶があります。松竹映画製作で主演高橋貞二、田中絹代で、記憶にある物語の骨子は「ある地域”村”で食料が一定量しか供給できず、孫が生まれると食料を確保するため老人が自ら死を選び、山に篭もって食べずに死んで行く」話しとして記憶に残っています。後に、主演、緒形拳、坂本スミ子でリメイクされています。
この物語で感じることは、人として子孫がくいつないでいけるよう願う気持ちから出来た慣習かなと、福祉も大切なこととして否定出来ませんが、これからは生きていく若い人達に対して政治的にいろいろな面(働く場、子育てしやすい場など)を配慮しなければならない社会になってきたと感じさせる講演でした。
今回のブログ拝読いたしました。
小生も【楢山節考】をリメイク版で観た年代です。つい最近まで日本もこのようだったかと今の平和を有難く感じつつ、人間としてよい枯れ方をしたいものだと思っております。まだまだ修行が足りませんが・・・。