無神経と非難される取材者、テレビ報道。

4/23、女優、タレントである岡江久美子さんが新型コロナウイルス肺炎で亡くなられたと報道があり、志村けんさんと同様、時期が時期だけに衝撃的に報道されていました。
私自身もそのニュースを知り驚きました。

非難を浴びた報道は、遺骨となって自宅に戻って玄関前で引き渡され、夫である大和田獏さんが、遺骨を抱きながら、玄関前で報道陣に挨拶する場面でした。
憔悴した様子の夫の大和田獏さんが報道陣に生真面目に挨拶をしている最中、無数のフラッシュがたかれ、痛々しく見える場面となって居たからでしょう。

注目度の高いニュースソースというわけで現地に赴き取材するわけですが、取材される側の立場に立ってみると無神経に見えてきます。
この様子は、志村けんさんの場合も同様な印象として映ってきます。
悲しみに打ちひしがれている人に対する態度かと思いやりの無さが、一層無神経と見えてくるのでしょう。

報道する側からすれば、注目度の高いソースを放ってはおけないと飛びつくわけです。
テレビであれば視聴率に反映するし、新聞、雑誌であれば売れ行きに繋がるニュースです。

これとは違いますが、芸能レポーターが不倫の当事者に対する質問にも無神経な印象を持ちます。

がしかし、昔からこれに似たような報道は行われているような気がします。
特に、芸能界の離婚劇、不倫など醜聞が大衆に受けるためによく新聞、雑誌などに取り上げられていました。

それで思い出した映画があります。
黒澤明監督、主演三船敏郎で製作された※映画「醜聞」1950年製作で当時のマスコミのあり方をテーマにしていました。
※過剰なジャーナリズムによる問題を描いた社会派ドラマ。無責任なマスコミの言論の暴力を不愉快に思っていた黒澤が、電車の雑誌広告のセンセーショナルな見出しをヒントに製作した。ウキペディアより。
70年経った今でもこの体質は変わっていないな~。

あらすじは、
「バイクを愛する画家、青江(三船敏郎)は、絵を描くために山へいく。そこで有名な声楽家美也子(山口淑子)と出会い、一緒にいるところを、雑誌社のカメラマンに撮られてしまい嘘の熱愛報道が出てしまう。素直でハッキリとした男、青江はこれに激怒し、雑誌社に乗り込んで編集長殴り飛ばしてしまう。更に騒ぎが大きくなり、収集がつかない騒ぎに。そんな中、青江の下に弁護士が現われた…」ネット記事より引用。
映画では記者がこれの場面に遭遇し、ネタになると思い、記事として取り上げるが誤報だと抗議することから始まるストーリー。
誤報から起こる問題を取り上げて、マスコミ批判している内容の映画です。。
スクープになればと大衆が飛びつくネタを探し回る仕事。

トップ屋という言葉もありました。
その言葉を知ったのはテレビからでした。
今は亡き丹波哲郎が演じたテレビドラマ、フジテレビで昭和30年代半ばに放映されていました。
トップ屋(トップや)とは昭和30年代週刊誌創刊ブームの頃、出版社の依頼で週刊誌の記事を書くフリーランスジャーナリストライターのこと。雑誌の巻頭記事(トップ記事)を依頼されて書くことでこの名称が生まれ、当時活躍した草柳大蔵梶山季之などが有名。テレビドラマ『トップ屋』によって、その存在が一般にも知られるようになった。 」ウイキペディアより。

岡江久美子さんが無言の帰宅となったネット記事の批評に、
「「3月29日に亡くなった志村けんさんのときも、お兄さんがご遺骨を抱えながらマスコミに対応していました。そのときも、ネットでは同じようなコメントが溢れていました。メディアとしても報じるという仕事上、心苦しい面も正直、あります。これは怒っている人たちに、理解してほしいと言っても無理だとは思っています……」と、ワイドショースタッフも困惑する。」の記述がありましたが、70年前黒澤明が映画「醜聞」で取り上げたように、大衆が関心を示すニュースソース、今後もマスコミは取り上げて報道するのでしょう。
一般人の悲報に関する報道姿勢には見直しをすべきでは、悲しみの内に居る遺族への取材、当事者にすればそっとして欲しい気持ち、そんな思いを無視するかのように無神経に取材をする態度はどうかと思います。
ただゴシップは井戸端会議的な話題、昔から大衆が好むもの、この様な議論なくならないような気がします。

江戸時代、「瓦版」があったように。

 

 

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