神道といえば、神主さんがお祓いをしてお清めをしてくれる祭事と子供の頃から認識はあります。
身近な行事と言えば子供の頃に体験する七五三、そしてお祭り、神輿、山車そして初詣。
地域でいえば、鎮守様と言われ村々に神社が存在し日本人の生活の慣習に溶け込んでいる存在です。
子どもの頃、近くにあった神社といえば靖国神社、そして東京大神宮でした。
その程度の認識でしたが、
大学2年の時に、合気道部に在籍していた関係で呼吸法を学ぶ目的で※修行を友人から勧められた時「古神道」と言う言葉を耳にしたのです。3泊4日泊まり込んでの修行、正座をし祝詞を読み上げて、「とほかみゑみため」と呪文を唱えながら鈴を振るものでした。
※この本の修行案内に「初学修行座」といい、古神道の重要なる修行とあります。
そんな経験と、合気道開祖の植芝盛平翁の書籍、講演テープから古事記、日本書紀などになんとなく関心を持ちつつ、折に触れ関連の本を買っていました。特に開祖の講演テープから言霊学に関心が行きました。そのテープから耳に残った言葉として、「言霊と言えどもアオウエイであります。言霊学になってはいけません。」「これ、フトマニよ」など神々の名と共に使われた言葉でした。そんな経験が何気なく関心を持続させ、最近書棚にあった「古神道の秘術」を読み返し、開祖が言われる話が具体的に整理されてきたのでした。
開祖の講演テープ、書籍「合気神髄」「武産合気」などに触れられている事柄が理解されてきたのです。
『古事記』や『日本書紀』の神々との関係については下記のように説明がありました。
「古神道も記紀の神々をベースにしています。ただし、神々を幽冥的にとらえるため、従来の神々とイメージはかなり異なっています。たとえば、最初の「別天神(ことあまつ)の五神」は古神道の身心エネルギー論「一霊四魂」をあらわしていると考えます。・・・」
開祖は、「・・・四魂を奇霊(くすみたま)、荒霊(あらみたま)、和霊(にぎみたま)、幸霊(さちみたま)であります。これはどこから現れるというと、二つの元、水火の二元の御振舞の緩急の度合から生まれたのです。・・・」、この記述を明確に理解したのではないですが、上記の説明から精神的、身体的なエネルギーを合気道の稽古に活かすべきことと言っているのでしょうか。まだそれ以上は分かりませんが!
18歳の時、新宿若松の本部道場で聴いた開祖のお話は古神道におけるフトマニから来ていることは間違いないようです。
今の神社神道と、古神道の違いをこの本は次のように記しています。
「・・・古神道の「古」とは神道の持つ普遍的な霊性や幽冥観を重視しているわけで、神社神道が「顕」とすると、古神道は「密(幽)」であり、神道神社に本来のパワーを甦らせる運動ととらえてよいでしょう。」
開祖が口にした、鎮魂帰神法、言霊学・布斗麻邇は古神道が伝えてきたものであり、大本教に入信したことでフトマニをしり、「武産合気」の口述筆記もその発現なのでしょう。
開祖が残した「宇宙即我」という言葉は、心を宇宙とみる言霊学から感得したものなのでしょう?
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