大隅半島肝属に行ってきました。内之浦宇宙ロケットセンターの見学後に向かった先が鹿屋海上自衛隊基地、施設の中には史料館があり特攻隊員の遺書を見ることが目的でした。
史料館内は撮影禁止、日露戦争から大東亜戦争までの歴史が展示されていました。零戦丙52型の復元機がおいてあり、錦江湾に沈んでいたものを三菱重工の協力で復元された。
20ミリ機関砲も初めて目にしました。そして目的の特攻隊員の遺書の展示室へ、たくさんの遺影がアルミ板に転写され掲げてありました。四方の壁に所狭しと。こんな大勢の方々が!遺書を読ませてもらいましたが、お国のためにと純真な心で綴っています。
戦後、特攻攻撃を批判する声もありますが、当時のあの局面において戦士たちは祖国を守る一心で飛び立ったことでしょうね。
その思いを想像するとさすがに胸に迫るものを感じました。
純粋な心ただそれだけです。
戦後、反戦映画がつくられ非難批判をしますが、兵役に就いた若者の心情を察するに、もう一度先の大戦は歴史的に何であったか日本人による総括が必要です。ますは東京裁判史観を払拭せねばいけません。
敷地内におかれた石碑、ここは海軍で、知覧が陸軍、開聞岳を目印に沖縄へと飛んで行った。攻撃第二五四飛行隊と刻まれていました。
魚雷と爆弾、やはり迫力を感じます。
飛行艇です。日本の飛行艇は優秀なようで、某司会者のヨット遭難の救助は見事でした。戦後GHQに兵器製造を禁止されてしまい、飛行機生産技術が遅れてしまったが、その片鱗は飛行艇にある。
ジェット戦闘機でも戦後禁止されず、製造していればたくさんの技術が生かされ国産ジェット戦闘機も自前で造れたのに、マッカーサーの狙い通りということか。
日本人、もう一度国家とはと国家観を持たねば、隣国に侵食されてしまいます。
政治で、報道関連でその片鱗がチラチラと見えています。
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