工場近辺の風土

DCIM2471.jpgいつもの様に、工場近辺の散歩道を歩いていると、神社の手前に立つ住宅の庭にイチジクが多く生っていました。多く生っているので、ついその家の奥さんであろうお年寄りに声を掛け、「たくさん生っていますね」と。

写真を撮らしてくださいと撮影を済ませると、説明してくれました。「暑い日が続き、雨が多いと多くの実が生ります。植えて20年経っていますが、こんなに生ったのは初めて」と言っていました。

こんな気候の時は、土の上に生るものにはよくて、下の生るものにはよくないと教えてくれました。

会話は続き、本人のここに住むまでの経緯とその頃の暮らしぶりの話が出てきました。

このあたり、住むには買い物が不便でしょ?というと、御用聞きが売りに来たり、上福岡近辺まで自転車で買い物に行ったとか。まだ土地も安く、昭和40年代に移り住んだそうです、本人は佐渡、寺泊出身、関東近辺にはその様に移り住んでいる人が多いですねと。

その頃のここのあたりの農家は豚を飼っており、ハエが多くて移り住んだ頃は驚いたとか、まだ電気もとおっていなかった地域もあり、相当な田舎だったようだ。

私も、川越に工場を建てたのが昭和57年頃、その頃聞いた話しがこの地域、朝霞、新座の二男、三男坊が入植して畑を開墾したと聞いていたので、そんな説明を受けた時納得でした。

今でこそ、この辺の農家土地を売れば金になった時代の恩恵を受けて豊かにはなっているが、当時は豚を飼って、それを売って現金収入に充てていたそうです。

これも工業国として、発展した恩恵を受けた口でしょう。

関越道が作られるときにも土地買収で多くの収入を得た百姓が多くいたとか。

 

確かに工場が多くありますが、しかし、平成大不況のあおりで大きな敷地を持った工場などは土地を切り売りし凌いでします。その跡地には、住宅、ショッピングモール、流通センターなどがとってかわって建てられています。

移りゆくのは世の習い、でも製造業が衰退している現実を見る思いです。

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