この呼称を知る人が少ないのではと思い取り上げてみました。
私が大日本武徳会を知ったのはおそらく30歳頃と思います。
その頃、よく武道関連の本を購入して読んでいました。
「開祖植芝盛平伝」著者植芝吉祥丸か「日本傳柔術」著者望月稔かどちらかと思います。
そんな組織が戦前にあったのかと思う程度でしたが、強く関心が行くようになった理由が、
「ヘーシンクを育てた男・道上伯」を読んでからです。
それと昨日、BS放送で柔道の特番「日本柔道再興の鍵は?」ということで組まれ、
山口香(柔道6段 筑波大学大学院准教授)、村田直樹 (柔道7段 財団法人講道館図書資料部長)、
古森 義久、(日本のジャーナリスト、産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員)他司会者含め6人での討論が行われました。
論点として、競技化された柔道の問題点、ルールの問題、武道必修化と競技者の育成、世界柔道連盟における発言力の低下、日本柔道の行く末、など。
山口女史、「ビジョンを示す」、村田氏、「王道を行く」、古森氏、「開放、発信」。
この討論で、戦前の大日本武徳会-武道専門学校・武専柔道に触れなかったことも取り上げた理由の一つです。
我々の世代ですと柔道といえば、講道館ですが戦前は国策として武道専門学校、略して「武専」があり柔道、剣道の教師を育てる養成機関があり、
武道普及の中核をなしていたのです。
武専は東の東京高師(東京高等師範学校=現・筑波大学)、西の武専」と並び称された存在。
ここで大日本武徳会の設立の経緯を記します。
「・・・武専の母体となった大日本武徳会について、若干説明しておく必要があるだろう。
明治維新後、「廃刀令」その他で武士階級の優越性が失われるとともに、一時は武術そのものの価値が失われたかと思われた。
が、明治10年の西南の役で苦戦する政府軍を武術家が助けたこともあり、武術の価値が再び見直されることになる。
さらに明治27年(1894)、朝鮮で起こった甲午農民戦争(東学の乱)をきっかけに日清戦争が起こると、再び国民の間に武道への関心が高まった。
今度この動きを一過性にはするまいと、旧武士階級を中心とする関係者が動き始めた。この動きを組織化するため、「武道を奨励し武徳を涵養する」ことを目的に、設立されたのが大日本武徳会だった。・・」
要するに大日本武徳会は、講道館を始めとする各流派、町道場に属する人々も個人の資格で参加することが出来る武道統括団体。
合気道部も作られ、その任にあたったのが植芝盛平と親交のあったの平井稔氏、戦後光輪洞合気道を創始します。
「・・・この新たに結成された大日本武徳会の大きな課題になったのは、各地方支部で武術の指導にあたる人材育成であった。
そのために武徳会本部に講習料が設けられ、何回かの組織改編を経て明治44年、柔道、剣道旧制中学の正課とされると同時に、
そのための教員養成学校(武徳学校}に発展する。さらに大正8年(1919)には武道専門学校と改名、やがて卒業生には国語・漢文の教師免許も与えられるようになった。
以来武専の卒業生の多くが、中学校の柔剣道、国語、漢文の教師として、又警察や地域の指導者として全国に散らばり、柔剣道のイニシアチブを握っていくことになるのである。・・・」
戦後占領軍に活動を許された講道館が以後イニシアチブを握って普及していくのですが、武徳会の出身者達は冷や飯を食わされる境遇になって行きます。
そんな方々が欧州の普及に尽力されて柔道が根付くのです。
ブログで紹介した道上伯、川石酒造之介等です。
武専の柔道、実力では講道館柔道を凌ぐと言われたのです。
討論会では取り上げられなかった理由はこのあたりにあるのでしょうか。
戦後マッカーサー司令部の命令で、学校の全教科から封建的、軍国的な色彩を払拭するためにとの目的から学校教育では「全面的禁止」とされ、大日本武徳会も消滅します。
それでも私が通った高校では※体育では剣道は授業として行われていました。
私立であったからでしょうか。
※ 1950年に学校体育で柔道を教えられるようになったとの事、剣道も同様にその頃には正課として教えられる様になっていたのかも。
マッカーサーは「日本人の団結心と勇気を恐れた」と子供の頃聴いたことがあります。
それから67年マッカーサーの狙い通り草食系男子と呼ばれる男が育ちました。
講道館の村田氏は戦後生まれ、山口女史も同様、また古森氏は1941年の生まれですから詳しく知らないとしても不思議はありません。
しかし、戦前の指導体制、温故知新として見直すべきことと思うのですが。
しかし、大日本武徳会・武専出身者の柔道家道上伯氏も大正初期の生まれ歴史になってしまいました。
現在大日本武徳会と名乗る団体があるそうですが戦後に出来た組織で別物だそうです。
フランスの指導体制、柔道教師としての資格を国家が与え柔道クラブの設立を許可して国家が推進しています。
そういう点では戦前の日本の指導体制に似ています。
草食系男子を一掃するためにも、武道必修化の体制を強化して※厳しい鍛錬にも耐える強い精神力を身につけさせるべきと強く思うこの頃です。
※ 現実には正課としての授業ですから無理でしょうが、心構え、精神と身体(心とからだ)の繋がりは指導してもらいたいもの。
道上伯氏の回想の言葉、
「・・・青春時代において、自己の限界を知る、あるいは自己の極限を試してみることも無意味ではない。いやむしろ、国際社会における厳しい競争に勝ち抜いて行くためには必要なことではなかろうか、と当時を振り返ってつくづく思う・・・」
参考資料
「ヘーシンクを育てた男・道上伯」著者 眞神 博
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