テレビ番組で、見かけた絵画を放映していたのでよく見ると私が所有している本で、「筑豊炭鉱繪巻」に載っている絵画でした。
この本は私の叔父からもらった本で、
載っている絵画に興味を持ったのです。
装丁がしっかりしており、出版された当時で5000円ですからかなり高価。
その番組では作者山本作兵衛を紹介していました。
番組のテーマは生涯教育について取り上げていたようです。
理由は、作兵衛さん8歳でヤマに入り、炭鉱夫として働きます。
教育を十分に受けられず、文字を独学で学び、絵もよくして、本にまとめ、後世の残したのです。
そのことから、生涯教育の事例として紹介したのでしょう。
「筑豊炭坑物語」の序文に、作兵衛さんはこう書いています。
「ヤマの思い出話と言うても、私の体験した事どもを鈍頭での記憶を、たどって書き記したものであり、何等装飾のない稚趣もない楽書である。先ず、私が明治25年5月生れて数え8歳の春に近くの上三緒坑に親にひかれて流れ込んだので、明治32年以降の実験であり、
それ以前の事情は古老坑夫の舌から出たのを耳に挟んでおるに過ぎず、かの坑内歌にもある様に、
‘七つ八つから、カンテラ提げて、坑内下るも親の罰’
この文句の如く、八歳の時よりヤマの人となって一生ヤマで生きぬいた50余年間の実説である。・・・・・・・」
この本、明治時代の筑豊炭鉱の様子を絵にして、説明文を書く形で構成されています。
昭和27年に、作兵衛さんが記憶をたどりながら書かれたもので、ものすごい記憶力の持ち主と思われます。
8歳で炭鉱夫として働き、字は独学で学び、かつ絵も描いたことで番組で取り上げたのでしょう。
番組で目にしたのが次の絵画、
口説きは、鈴木主水と言うサムライは~ヨイヤサッサノ ヨイヤサノサ・・・・・・
うせたカタナを探さんために ~コラサッサノ ヨイヤサノサ・・・・
女の人が石炭60キロを背負って運ぶ様、腰に棒瘤が出来れば本調子と説明があります。
重労働でしょうが、生きる逞しさを感じます。
“サマ”と言う記述は”彼氏”を意味します。
男と女が組んで採炭作業、一人でやるより効率が良く、歩合なのでしょう。
前回のブログに登場した営業マンさんから、作兵衛さんが遺したこれらの絵画、世界記憶遺産に登録されたと 教わりました。
ネットで確認すると確かにその通りでした。
それを知り意外に感じたのです。
建築物、後世に残すべく指定された自然地域などが強く印象にあり、なんでなのかと思いましたが、
本に載っている絵画を見ると、明治時代、炭鉱で働く人たちの様子、暮らしぶりなどが克明に書き記されているのです。
刀で喧嘩をしている絵画、任侠映画の一場面みたい、4斗樽を抱えて酒を飲んでいる男の絵画、豪傑で仕事は2人前をこなし、7日で全部飲み干して呑死、すごい人がいたもんです。
不倫したからと磔されて叩かれる女の絵画などもありました。
本に載らなかった絵画も多くあるのでしょう。
当時の風俗、歴史などを知るうえで、貴重な資料と認定されたのかもしれません。
記憶として後世に残すべきものなのでしょう。
それで世界記憶遺産。
このような範疇があることを知りました。
参考資料 「筑豊炭鉱繪巻」 出版 葦書房 著者 山本作兵衛
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