戦後生まれのオヤジの会話 PARTⅡ–相続法の功罪–

3月上旬、ゴルフで知り合った、同世代の友人に電話をして、会ってくれとお願いをしました。

会ってから後に、あの東北関東大震災が来るとは!!。

 

彼、元銀行マン金融関連に詳しくその知恵袋を拝借するのが目的でした。

現在は会社経営から離れ、警備関連の仕事に従事して、のんびりと働いている様子。

駅改札口で会う約束を、その時刻向かって行くと彼がいましたが、すぐにはわかりませんでした。

顔が日に焼けて黒くなっているのです。

今やっている仕事が交通整理なので、屋外のため焼けたというのです。

 

駅近くのダイニングバーと称する居酒屋へと向かい、そこで話し合いを持つことにしました。

その理由、当社に長年勤務していた事務員が重篤になり休んでいて且つ会話できない状況、税務事務を行うのに判断がつかない事が出てきたためです。

彼簿記一級の資格を持っていました。

相談を持ちかけて、色々と聞き会計上の仕組み等の説明を受けてある程度内容が掴め一段落したところで、オヤジの会話が始まりました。

先ずは若者談義です。

私が感じていること、仕事に立ち向かう姿勢が弱く、積極的な面が無いのが残念と感想を話し、自分の会社にいる若手に対してそういう面での指導しているとも話し、それを受けて彼、小学校の先生から教わったことを話してくれました。

先生の言葉、

「周りの者を見て、お前と同等かそれ以下であれば、リーダーになれ」

といわれたそうです。

積極性を諭すのが先生の思いだったと思われます。

おそらく、彼小学生の時、学業が優秀だったのでしょう。

お前が級長になれと暗に言われた時の経験と思われます。

高校でも学年でトップクラス、家の事情で大学には行きませんでしたが、当時一流の銀行に入行している実績からも伺えます。

家督を継ぐ意義とはとそんな話題が出てきました。

彼も私も長男です。

彼も一家、家族の先頭に立ち、家の行事を責任を持ってこなし、私も家業を継ぎ会社を経営し同じような境遇です。

盆正月には 、彼も私も全員集合をかけて家族、親戚を集めてご先祖様への感謝を忘れていません。

偶然にも彼とはご先祖様の墓地が同じ場所なのです。

その事が彼と親しく付き合う切っ掛けにもなりました。

彼から相続法の話が出てきました。

相続法の悪い点がさまざまな問題を起こしていると彼自身感じていたようです。

昔より、家の行事として伝えられていた事を執り行う責任が家督を継いだ者にあり、一族、一家の中心として役割を果たすべき責任があります。

そんな思いを抱くには訳があります。

なくなった父、戦前努めていた塗装工場が戦災で焼失して働き口を失い、戦後露天商、行商などで生計をたて、文具店を起こします。戦後間もない頃ですがそれなりの成功を収め、父を頼って兄弟、親戚、知人が島から上京して、就職するまでの期間の世話をしたりしていました。

オヤジは長男で、家長制度がまだ存続していた頃育っています。

自分の一家を守らねばとの責任感がそうさせていたのだと思います。

その思いは終生持ち続けていたように感じます。

 

それが戦後、マッカーサーの指示の下、相続法が貧富の差を解消するためとの理由で兄弟に平等に分配と変わってから、それが一族、親戚のトラブルを起こす原因になって行くようになりました。

数年前法要、お清めの場での坊さんの言葉、

お坊さん曰く『遺産相続争いで、一族がバラバラになり法要をしなくなって困る』。私はそれを受けてこう答えました。『農地解放で土地をとられ、貰った方が遺産相続争いで法要しなくなっちゃ、商売あがったり、これじゃ踏んだりけったりですね。』、
『その通り』と返事がありました。。

※坊さんの家、戦前は大地主、戦後実施された農地解放で広大な土地を取られます。

この文章、2度ほど引用していますが、現在の相続法の功罪を如実に表しています。

今年、友人からはがきに、遺産相続で揉め苦慮していると文言が添えられていました。

一家の中心がなくなったことで、ご先祖様の供養が疎かに、家長制度がしっかりしていた頃は年をとった両親の面倒は家督を継いだ者の責任となっていましたが、それが崩れて年寄りの孤独化が進み、親戚付き合いが希薄とに変わっていきました。家督を継ぐものに財産も継承させ一族の行事を仕切ってやれる状態にしてやるべきと感じます。

 

盆正月の親戚が一同に集まる慣習は神道によるものだそうです。

いわば「ご先祖様の祭り」。

祖先崇拝が基となっています。

「日本神道がわかる本」ではこう記述してありました。

<<日本人の「祖先崇拝」の中で、古代からもっとも重視されているのが「御魂祭り」、すなわち「ご先祖様の祭り」である。

正月と7月の年二回、古くから収穫後の収納を完了した段階で祖霊を迎え、正月は米の、七月は麦の大規模な祭りを行ったのである。

仏教伝来後、日本に伝統的にあった七月の御魂祭りは、仏教の「ウラバンナ(盂蘭盆)」と一緒になって、今日の盆となった。

正月行事も本来は、鏡餅に象徴されるように穀霊の祭りであるとともに、祖霊に供物を供える祭りだったのである。>>

要はご先祖様に感謝の念を伝えるのがその意義だったのでしょう。

このような大事な儀式は守り続けなければいけないのです。

遺産相続でもめて一族の絆が壊れるようなことがあってはいけないのです。

 

 私が子供のころの世相の違いを強く感じるのが肉親同士の殺し合いの事件が目立つこと。

こんな事件が何故増えて来たのかと考えるに、家族、親戚間の付き合い方に変化が起こり、絆が希薄になってきたことが一因と思うのです。

国をなす、一単位の家族の絆が綻ぶ事は、国家形成の上でもよくないことと思います。

今、日本は大地震で甚大な被害を蒙り、被災地の方々が一致団結して難局に立ち向かい国民すべてが協力し合っています。

一族とは、親戚、家族とは再考すべき時期と考えますが?

 

 参考資料

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