大相撲、八百長発覚

連日のように、テレビで八百長疑惑を取り上げています。
八百長のやり取りをメールで行い、それが発覚したのです。
八百長を認めた十両力士、千代白鵬、三段目、恵那司、元幕内春日錦。
野球賭博問題がらみで、押収した携帯電話のメールのやり取りが動かぬ証拠として、
発表されてしまいました。
放駒理事長は、弁明が出来なくなり窮地に追い込まれ春場所開催は中止となりました。

 

八百長問題として取り上げられたのが、柏戸、大鵬の取組、私が高校生の時だったと思います。

確か記憶によれば柏戸が4場所連続休場し、休場明けに千秋楽で大鵬と全勝対決の取り組みがあり、一気の寄りで大鵬を破り全勝優勝を成し遂げたのですが、この一番に石原慎太郎が八百長だと言い出したのです。
柏戸のファンであった私は憤慨したものです。

 

大相撲問題をブログに書いていますとおり、相撲は子供の頃大変な人気もありテレビ中継が昭和28年から開始されました。
私、それ以来相撲はテレビ観戦で昭和60年代までは毎場所の様に見ていました。
北の湖が引退してからは関心が薄れ、今日に至っています。

 

その頃は千代の山が強くて人気もありましたし、映画にも出るくらいでした。
千代の山の横綱返上問題で騒がれた事が記憶にあります。
当時の横綱、吉葉山、鏡里、東富士です。
その後、栃錦、若乃花が出てきて栃若時代を築き、柏鵬時代と全盛時代が続いたのです。
横綱、大関は興業的側面でいえば大看板です。

相撲を面白くする名脇役的な個性あふれる力士たちがおり、土俵で繰り広げられる取組が盛り上がるようなパターンになっていました。
下位の力士が強い横綱に立ち向かい、横綱、大関はその挑戦を受けて戦う形に相撲の醍醐味が生まれるのです。
例えば、初代若乃花、前頭の出羽錦の一番では相撲が長引き、3度の水入りをしたくらいです。
最強の横綱でも、苦手としたのでしょうか、それとも出羽錦が強かったか。
出羽錦は塩をまく際に、つまむ程度でした。
その仕草がまた滑稽でした。

 

しかし、最近の大相撲、その図式が崩れ個性派力士が少なくなり、相撲の取り組みも大味になったような気がします。
小学1年生からテレビ観戦で相撲を見てきた私にとっては。

今回の八百長事件、野球賭博事件とは違って、その舞台裏を見せてしまったような気がします。
以前にもブログで触れていますが、昔慶大の教授であった池田弥三郎が相撲を評してこういっています。
「髷を結い、花道があれば芸能」、
この言葉相撲ファンであった彼が、八百長、八百長と騒ぐことは野暮と言いたかったようです。
相撲は、伝統芸能、様式美、エンターティメント性を楽しめばいいじゃないかと言っているように思えるのです。

 

昔ですが、松登という大関が居ました。
初代若乃花の一戦で負ければ大関陥落となります。
ファンは若乃花に対し、「勝」を譲れと言う風潮の中、悩んだ末勝利します。
この例などは、暗に八百長しろと言っているようなもの、ファンにも暗黙の了解(八百長のススメ)があるから、若乃花も悩んだのだと推測します。

追記 「注」: 松登大関陥落場所 昭和34年11月場所2度目のカド番 初代若乃花と7敗目で対戦となり負けて陥落。

 

花相撲という言葉がありますが、地方巡業の際、お客を楽しませるために、初っ切り、相撲甚句を演じて楽しませる工夫をし、ご当地出身者の力士が居れば花を持たせて勝たせてやるくらいです。
「ガチンコ」なる言葉がある以上、そうでない取り組みもあるということ。

 

興業面も考慮しながら、連綿と伝統を築いてきた相撲協会今後どうなるでしょうか?
舞台裏を覗かれた以上、今まで通りには行かなくなりました。
公益法人としても、認可されなくなる気配、「株式会社大相撲」とでも改組するのですかね。

 

私は今の力士には同情する面があります。
前にも触れましたが、年6場所は多すぎます
厳しい稽古で体力を造りますが、大型化が進んで怪我も多くなりました。
力士の体調維持を考えれば、せめて4場所に減らしてやるべきです。
そうでなければ「ガチンコ」相撲は取れません。

比較するに無理があるかもしれませんが、

ボクシングの世界チャンピョンがリングに上がるのは多くて年2回です。

※ H25・3・12大相撲に関してこんなブログも

http://blog.goo.ne.jp/update_2010/e/e8b2bd7533d1ee6485a51df4dc8af072

 

コメントが 4件あります

  1. 米の祝福さんより2011年2月9日7:33 PM

    社長、こんばんわ
    私は「八百長」はそれをされて損をする人がいるから「八百長」と呼ばれるのであって、誰も損をしないのであればそれは「八百長」では無いのでは?と感じます。誰か損した人がいるのかなぁ?
    何か、騒ぎ過ぎでちょっとうんざりです。八百長があろうがなかろうが、春場所を楽しみにしていた人は多いと思います。多くのファンは「相撲に幻滅」というよりは「騒動にうんざり」と言うのでは?

  2. 上野2011年2月10日9:53 AM

    米の祝福さん、
    おはようございます。
    >「騒動にうんざり」
    そうかもしれませんね。
    八百長、八百長とマスコミは大騒ぎ、
    他にもっと取り上げるべき、事柄があるのに。
    いろいろな人が、意見を述べて、
    尤もらしくいっていますが、
    所詮、興業的要素の高い性質を有しています。
    昔から、その様な視点から、ファンは稽古で鍛え上げられた力士の、
    土俵でみせるパフォーマンスを楽しんでいたのだと思います。
    伝統芸能、様式美、神事など要素を取り込んでいるからこそ、
    髷廃止となった明治の御代でも髷が許されたのだと思います。
    目の肥えたファンは、十分に楽しんでいるはずです。
    西洋人から見ると、仕切りに時間をかける過程をあまり理解できませんが、
    日本人から見ると、その仕切りの過程も楽しめたのです。
    だから、昔は仕切り時間は無制限。
    競技性ばかりに目を向けていると、
    そんな、楽しみ方も見えてきません。
    力士とて人間です。
    15日間緊張を持続させるだけでも大変です。
    気合が入らないこともあるでしょう。
    ロボットではないのですから。
    ですから、体調管理面でも年6場所は多いと思うのですが。
    相撲観戦の楽しみ方を再考すべき時期だと思います。
    本当の意味でのファンは分かっていると感じます。
    何か、世の中ギスギスしてきました。
    コメント、有難うございます。

  3. 青柳さんより2011年2月12日5:09 PM

    社長、こんにちは。
    大相撲の八百長発覚問題は、いろいろな捉え方があるとは思いますが、私には『野暮なこと』にしか思えません。
    この国は、いつからこんな野暮な国になったのでしょうか・・。
    GHQの占領下に遡るのか、高度成長経済を標榜した時代に遡るのか、バブルが崩壊した時に遡るのか。
    私は、この国が柱を失っているからだと思います。
    柱を失ったまま、欲望肥大の資本主義に与したがために、余裕も何もない成果至上主義がたどり着いた所なのだと思います。
    もう程なく、この国はしっかりとした柱を打ち立てることになります。
    これは明治維新など足下にも及ばぬ大変革の時になるのではないか、と思います。
    そしてこの柱を打ち立てなくば、この国は中国に呑み込まれてしまうからです。
    その時に至れば、何が野暮なことか、これもまた分かるのではないかと思います。
    社長!こんど是非、国家論を語って下さい!!

  4. 上野2011年2月13日8:44 AM

    青柳さん、コメント有難うございます。
    大相撲八百長問題に関して、
    同様な見解ですね。
    マスコミ報道にもうんざりしています。
    取材する側も、時代とともに、
    相撲を見る目の変質を感じます。
    池田弥三郎氏が提言した言葉を吟味し、
    「相撲興行は何たるか」を再考してもいいのでは、
    私見として、書きましたが本場所は、
    減らすべきです。
    力士も大型になり、怪我を抱えた力士が増えています。
    体への負担が多いと思われます。
    体調管理から言っても、今後の相撲興行面から言っても、
    やるべきと思っています。
    生身の人間なのですから。

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