「杉野はいずこ!」 副題 軍神広瀬中佐

このタイトルを読んでどんな内容か理解できる人は少ないでしょうね!
NHKドラマ「坂の上の雲」で広瀬中佐を知った方が多いと思います。
私はこの出来事、小学生の頃靖国神社にある大燈籠のレリーフから知りました。
旅順港に在泊するロシア艦隊の出入りをできなくするために、老朽船を港の入口に沈める作戦中におきたことです。
作戦時、少佐であり、戦死したために1階級の昇進で中佐に。

 

第2次閉塞作戦で、福井丸を沈める指揮を執ったのが広瀬少佐。
ロシア軍の砲弾が飛んでくる中での作戦、激しい砲撃にさらされてきたので、総員退船を命令しカッターに乗り移るとき、杉野兵曹が見当たらず船に戻り、「杉野はいずこ!杉野はいずや!」と軍歌に歌われたように探すのですが見当たらず、再びカッターに乗船しようとするときの砲弾に当たり戦死します。

この場面、新東宝映画「明治天皇と日露大戦争」で観ました。

当時、中学生になっていたと思います。
確か、広瀬中佐を俳優宇津井健が演じています。
他にテレビドラマでも、取り上げられ俳優加藤剛が演じ、ロシアの娘と恋愛関係になることを描いていました。
広瀬中佐、柔道をよくしドラマではロシア人を投げる場面などもありました。
そんな知識を持っていたので、ネットのニュース「”軍神”広瀬中佐の恋人に秘密 旧ソ連が偽情報か」の」見出しに関心が行ったのです。

 

記事によれば、
恋人アリアズナの父親と言われるロシア海軍水路部長だったコワレフスキー少将が実在せず、コワリスキー大佐なる情報将校だったと記述していました。
なんで旧ソ連が偽情報として、コワレフスキー少将と言ったのかは、日本の情報将校であった広瀬中佐の接近を許したロシア海軍士官の存在を認めたくなかったからだそうです。

 

結構、歴史にはそんな形で嘘があるのですね。
ネットニュースで知ったのですが、
第2次世界大戦の折、ポーランド人虐殺「カチンの森事件」がありますが、当初ナチス ドイツが行ったとされていましたが、ソ連崩壊後情報が公開され、スターリンの指示で行われたことが暴露されました。
これも、偽情報だったのです。
ドイツにとっては濡れ衣でした。

 

表向きと実際とでは違う事が「旅順港閉塞作戦」にもあったのです。
歴史では、戦死したとされた杉野兵曹は生きていたのです。

戦死という事で兵曹長に昇進。
私、関心もあり本屋で「杉野はいずこ」と言う本を見つけ購入し読んだことがあります。


整理して手元にない(後日、2021.04月に見つける)ので、再度確認のためネットで調べたら、そのことを示す記述が見つかりました。
その記述には、私にはとても驚きの記述でした。

ブログでも触れていますが、
さらば、ホロンバイルよ」の戦争手記を書いた方が、昭和18年新京にいた甘粕正彦大尉を訪問した時、その杉野兵曹長に引き合わされたとあるのです。
びっくりしました。

 

その方、ハイラル特務機関で密偵として軍事行動に携わった横田正二さん。
彼は、札幌にいる私の親友のオヤジさんと友達なのです。
もう亡くなられましたが、このような関わり方に因縁を感じた次第です。

 

何故、帰国しなかったのか、
理由はこう記されていました。
日露戦勝後、朝鮮・釜山まで来て帰国のため電報を打ったところ、
「軍神広瀬中佐とともに、すでに戦死したことになっているうえに、軍神の部下として名誉まで賜って祀られている。頼むから内地に帰らずこのままでいてくれ」と返事があっためと記されていました。
このような記事に触れ、亡くなられる前に一度本人に会ってその話を聞いてみたかったと思ったのです。

 

横田さん、手記でハイラルからソ連軍の手を逃れ、日本まで子供二人を連れての脱出の様子を書き残しています。
親友が読んで見ないかと薦められ読んだのですが、それはもう凄まじい体験記です。
戦争で生き延びた方々、もらった命と思い日本の復興のため一生懸命働いたようです。
親友から聞いた話ですが、修羅場を経験しただけに、それは立派な方と言っていました。
人情に富み、温かな人物と。

 

親友が言うに、
臨終の際の最後の言葉が「みんな逃げろ~、ソ連戦車が来るぞー」と叫んだそうです。
戦争の記憶が、脳裏に焼き付き朦朧としている時、意識がないままに出た言葉。
戦争体験の凄まじさを感じます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS