私は趣味で、合気道、居合を稽古しています。それぞれその世界で、古来より修行する上で大事な事を言い伝え、また伝書などで伝承されています。合気道は開祖植芝盛平翁が古来より伝わっていた柔術を基にして作られた近代武道の範疇(はんちゅう)ですが開祖が修行から掴んだ極意を口伝にして残しています。それは稽古の心得、実技などに及んでいます。
例えば『和合』『調和』という言葉です。
若い頃は、ただ単に精神面の心得と言う程度としか理解できませんでしたが稽古を続けていくなか、合気道として実技上でとても大切な技術要素となりうることだと理解するようになりました。敵の力にぶつかるのでなく、敵の動きと調和する身体の動き(投げる、制する)を身に付けることの稽古と変化していきました。争わない、ぶつからない、無理のない動きが稽古の要諦です。『和合』『調和』の2文字に集約されています。
『合わせを取る』という言葉は敵の攻撃に際し、起こりに合わせて対処する心得を教えています。先の先でもなく、後の先でもないと直弟子にあたる先生から教わりました。それを身に付けるために技の型を反復練習します。
開祖は他にも和歌にして修行上の心得をたくさん残しています。
一例を挙げれば、
『敵多勢 我をかこみて攻むるとも 一人の敵と思いたたかえ』。
大勢の敵に対処する仕方の心得です。
私の居合の師は、前にもブログに書きましたが、刀匠を生業としている方で、夢想神伝重信流を学ばれています。現在は、昔と違って技を公表するようになり、武術関連の本も出版されているので、私は居合関連の本を数冊ほど持っています。本から学ぶこともあり、学んだことを詳しく知るため師に聞くと、技の理合を詳しく体得されている事もあり、簡潔な言葉で且つ具体的に教えてくれます。
居合にも伝書から伝わる口伝があります。
田宮流居合術の流儀には腰の使いを腰詰と称し、次のように説明しています。
『右膝と左の腰を矩(かね)にして、打つかすがいを腰詰という』、意味は「正しく腰と膝を据えて置かないと、打ち込む刀も正しくならない」です。
修行、稽古を正しくやるための指針が口伝として残り、その意味を体得するまでそれが目標となります。
翻って実社会にも家訓、諺、伝書などから生まれた多くの口伝が伝承され残っています。
先人たちが残した言葉、生きていく上で人生の指針となりうる言い伝えだと思います。
若い頃、葉隠の『武士道とは死ぬ事と見つけたり』という言葉を知りました。
戦意高揚に使われたという知識はありましたが、昭和44年22歳の時その本を偶然京都の本屋で見つけ、その真意は何かと知りたいため購入しました。
注)『葉隠』今から約300年ほど前に”武士の心構えに関する教え”であって、隠遁(いんとん)した佐賀鍋島藩の山本常朝(1659~1719)の7年間にわたる談話を同藩の後輩・田代陣基(つらもと)(1678~1748)が筆録し、編纂したもの。
この本を書いた著者は、はしがきに「・・・・だが、危機不感症的な泰平ムードの今日こそ、葉隠の中から前向きにくみとるべきものが少なくないのではあるまいか。と綴り、解説には「・・・だが、この書が時代や体制の差を越えて現代人に迫ってくるのは、何故だろうか。・・・中略・・・聞書第一の冒頭に言う。武士たる者は、武道を心掛くべきこと珍しからずといえども、皆人油断と見えたり。その仔細は『武道の大意は何と御心得候や』と問い掛けたる時、言下に答ふる人稀なり。かねがね胸に落着きなきゆえなり。さては、武道不心掛けの事知られたり。油断千万なき事なり。」
この”武士””武道”ということを、それぞれの立場におきかえてみたらどうだろうか。経営者とは何か?、その目的は?、サラリーマンとは?、労組幹部とは?、学者とは?、学生とは?、自衛隊員とは?(イージス艦の事故もあり私が付記しました。)
“言下に答ふる人稀なり”でなければ幸いである。・・・・中略・・・・・
第二に”ゆるぎない自己”は”きびしさ”と表裏一体をなして、葉隠を形成している。これもまたは葉隠が現代になげかける大きな命題である。「死ぬ事と見つけたり」もこの意味で理解されねばならないものであろうか。・・・・
当時、私はこの部分を読んでただ単に死に急ぐものでなく、死ぬ気で責任を果たせという意味と理解しました。
武士の子の育て方と言う一節があります。
候文(そろうぶん)を訳す形で文章が出来ていますが、その解説の中にこう書いてありました。「・・・・この項を読むと、武士の育て方の根本は、忠とか孝という道徳律を教えこむことだけでなく、積極性、気概を育てる点にあった事が推察されて興味ふかい。・・・・」
著者が初版を出したのが昭和39年、「危機不感症的な泰平ムードの今日こそ」と言う言葉がこの本の出版の動機かなと感じます。
最近の事件で、イージス艦衝突事故を振返ると著者の見識の高さを痛感します。
まさにその言葉が当てはまっています。
私の家では、親がよく口にした言葉が”うやふじ(ご先祖様は)とぅーとぅ、とぅーとぅ(尊い)”奄美の方言でご先祖を敬え、尊いという意味です。
私の耳に奄美方言の発音で今でも残っています。子供の頃から聞いていたせいもありそういう気持ちを持つようになりました。
祖母、母、父の33回忌、27回忌、7回忌の法要をした際、お清めの席でお坊さんからこんな愚痴を聞いたことがあります。
お坊さん曰く『遺産相続争いで、一族がバラバラになり法要をしなくなって困る』。私はそれを受けてこう答えました。『農地解放で土地をとられ、貰った方が遺産相続争いで法要しなくなっちゃ、商売あがったり、これじゃ踏んだりけったりですね。』、
『その通り』と返事がありました。
平等と言うことはよいことではありますが、ケースバイケースの感じもします。一族の中心を維持しなければバラバラになって親戚付き合いがなくなってしまいます。家長制度をしっかり残さなければ『一族』と言う言葉も死語になってしまいます。私の経験から言えば、子供の頃の親戚付き合いを通して「人付き合い」を覚えたような気がします。
亡くなった親父が故郷から取り寄せた”うやふじ訓きかいじまこよみ”とい日捲りのこよみがあります。”これには昔から島に伝わっている諺が載っています。
一例を挙げますと、
『やぁしつきどう ほうしつき』、方言を大和言葉に訳すとこうなります。
訳:家庭での日常の躾け方が他方世間でもそのまま躾けが生きて現る。
『くわまごぅにぇ じんかねくりゃんてぃむ たまし くりり』
訳:子や孫たちに銭金や与えなくても、知恵や魂をあたえよ。
『わあさん どらちにえ なんぎや ほうてぃむしり』
訳:人間若い時は、難儀をいとわず、請願して貫ぬけ頑張り抜け。
昔、今日ほど教育水準が高くなくても、人生の指針となる事を折に触れ諺で諭し、祖父祖母、父母は子や孫を育てたのでしょう。
私の両親も、この諺を聞いていたでしょう。
昔からの言い伝え、諺、伝書など人としてどう生きるか指針を示しています。
今日でも、その意味が伝わるのは「人として生きること」は今も昔は同じと言うことだと思います。
口伝とは人類が言葉を持つようになってから、経験を伝え、文字を発明してから歴史が残るようになった。
しかし、この記録を充分今に生かすことを忘れているような気がする。