その短歌は、叔母が残した「歌集 浜木綿」に載っていた。
自身が長い間、創作した短歌を還暦を機に平成2年に発行されています。
● スト参加統一はかる小会議心揺れつつ吾は黙せり
この短歌を読んで日教組との絡みと察しました。
この短歌が詠まれたのは昭和40年代、公務員はストライキができないのに法令を無視して行っていたのでしょう。
※公立学校教員には地方公務員法が適用されるが、そこではストライキは禁止されている。 すなわち、「職員は同盟罷業、怠業その他の争議行為をしてはならない。ネット記事より。
私が中学生の頃、先生たちが「勤務評定」反対とストしていたと記憶にあります。デモをしてシュプレヒコール、職場放棄で勝手そのもの、のちに学生運動が盛んになった時、評論家が「先生の真似をしている」と。
成程、子供は大人のやり方を見て真似るという事なのでしょう。
叔母は鹿児島師範学校の出身、戦後すぐとなり教員専門養成機関での教育を受け「教職」を大切に思う心を抱いていました。
この短歌からストには反対であるが当時の趨勢からその思いを言えず「吾は黙せり」という態度に出たのではと思うのです。
小生の小学校の恩師は東京師範学校卒業を前に終戦を迎え新学校制度になって卒業しています。
小学校5年の時、私の担任となって1年間、親身に生徒と接し愛情深き先生でした。
教員専門養成機関で教育を受け教師と言う仕事に誇りを持ち志高く抱くお二方と思います。
ここが今の教員制度と違うところではないでしょうか?
次に紹介するのは、
● ためらわず児ら待つ職場へ還りたりスト決行の集ひ離れて
温和な叔母がしっかりとした態度で示し、ストに参加せず大切に思う生徒のところへ戻っています。
小柄な方ですが芯の強さがあり、教師の職務を守って、信念を貫いてします。
日教組の活動に「NO」と態度で示す信念。
次は、
● 参加あり不参加もありしストの後会へば互みに寡黙となりぬ
教師仲間でも、ストに対して賛成、反対と思いが混在し互いに会話がし難い空気が醸成されるのでしょう。
昨今、教育現場で教師が「猥褻行為」で問題をおこし、教師の質が問われています。
昔から言われていた「でもしか先生」が増えて、教師として「自らを律する」覚悟を持って就く者が減っているのでしょうか?
小学校の恩師が残した言葉、
「敗戦すると言う事は国をこんなに変えてしまうものなのですね!」
クラス会の折、教育問題についてご質問した際に発せられたお言葉です。
※恩師2008年の年賀状に、
(同感、共鳴するところ、多々あり、嬉しゅうございます。)の一言が添えられています。
この年賀状を引き出しに仕舞っているので、懐かしむ時、目にして恩師を偲んでいます。
忘れられない先生です。
参考
戦後から消えた「修身教育」、心の荒廃の始まり。 | 社長ブログ、(有)フジックス | 埼玉川越 (55fujix.com)
コメントを残す