何故「修身」が戦後に無くなったか。

占領政策でそれまでの教育制度が廃止されました。
その経緯は、

この本に詳しく書かれています。
抜粋して記します。
「・・・ホルトムはアメリカの神道学者で、来日経験もあります。彼が占領政策に与えた一番大きな影響は、神道と軍国主義・超国家主義を混同し、間違った日本文化論および宗教論によって日本人の「精神的武装解除」を推進するきっかけを与えたことです。
戦後の教育改革の中で、とくに大きな影響を与えた「四大指令」というものがあります。
それは昭和20年10月から12月にかけて発令された、次の四つの指令です。

◯第一指令「日本教育制度に対する管理指令」
文部省がGHQの指令に従って政策を実施し、その結果の報告を求めた指令です。
◯第二指令「教育及び教育関係者の調査、除外、許可」
この指令によって教職員と官僚の思想調査が行われ、「軍国主義的または超国家主義的傾向」を持つ
者やGHQの政策に反対する者は解雇されたり退職勧告を受けました。
◯第三指令「神道指令」
学校で神道行事を行う事を禁じ、神道や皇室について教えることを禁じた指令です。
第四指令「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する指令。
「修身」「歴史」「地理」の授業をGHQの許可が下りるまで停止するという指令です。・・・」

この占領政策の源は、ウキぺデイアより引用すると次の通りです。
江藤は、1989年の著書『閉された言語空間』で、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)という名称はGHQの内部文書に基づくものであると論じている[7]。この名称は高橋史朗[8]藤岡信勝[9]小林よしのり[10]櫻井よしこ[11]保阪正康[12]西尾幹二[13]勝岡寛次[14]ケント・ギルバートのほか、『産経新聞[15] も使用している。

小学校の恩師の言葉を借りれば、
「敗戦するという事はこんなにも国が変わってしまうものなのですね」と嘆いておられたことを思い出します。

占領政策の目的は日本人に罪の意識を植え付けさせるのが目的だったことが分かりますね。
子供心に、なぜ日本だけがわるいのかと思っていたのは、小さい時から喧嘩両成敗と教えられていたからでしょう。

戦後、76年が経ちましたが、その間この占領政策の問題に対して出版された書籍、
自分が目にした本で、

他にも近年、占領政策の矛盾を暴く書籍、ネット記事ながどが目立ちますね。
76年がたった今でも、占領軍の罠にはまったままです。
その呪縛を解くために書籍が出てくるのでしょう。

「何故「修身」が戦後に無くなったか。」
この指令によって「修身」無くなり、伝統的に大和民族が共通の善意識として「保持」していた「大和心あるいは大和魂」が消えたのです。
◯第四指令「修身、日本歴史及び地理の停止」に関する指令。
「修身」「歴史」「地理」の授業をGHQの許可が下りるまで停止するという指令です。・・・」

「社会や国家への奉仕」を扱ったものが20、(世のため人の為)
●「家族愛」を扱ったものが18、
●「忍耐」が8、
●「遵法」「忠誠」「健康」「清潔」が5、
●「信頼」「節約」「正直」「勇敢}「独立心」などが67となっています。
八木秀次さんが出版された「尋常小学修身書」の帯に「偽」時代の今こそ学びたい、日本の徳育と記したわけも納得です。
この教育が敗戦まで実施されていました。

修身教育【しゅうしんきょういく】
第2次大戦前,近代日本の小・中学校で修身科を中心として行われた道徳教育。 忠孝仁義など儒教的道徳に立つ修身科が1880年小学校に設けられ,1890年教育勅語の発布により忠君愛国を軸とする家族国家観がその理念とされた。ウキぺデイアより。
これにより「日本人は国を愛する」気持ちが失せて、大和民族の誇り、文化、歴史を否定するようになったのです。
冒頭写真で紹介した本の著者はその事を「義眼を嵌められた日本人」と称していました。
私が最近体験した事、国を興し守る心、「尚武」の言葉を知る人(40代から50代位)が私の周りにいませんでした。
男が軟弱になったのも頷けます。
覚醒せよ、大和民族!!

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