前回のブログで、日本だけが、剣法(殺傷技術)なる武術を精神修養の糧と成し得たのか。
という話題に触れました。
何故に・・・・・
私、大学で合気道と出会い部活で4年間稽古しました。
その後10年程ブランクがありましたが、合気道を指導する機会を経てから再び稽古を始め指導する中で、武術に関する文献を買い求めました。指導する上で武術の歴史、精神を学ぶために。
様々の書籍を合わせると50冊ほどなるでしょうか?
その中でも50年ほど前に出版された徳間書店のビジネス向けの実用書シリーズがユニークでした。
「宮本武蔵 五輪書」「葉隠(鍋島藩武士の心得)」「甲陽軍鑑」「武道初心集」「山岡鉄舟 剣禅話」などです。
武術、武士道(武士の心得)に関する内容となっています。
この本もその中の1冊で23年程前に出版されています。
前回のブログで触れたとおり「居合」稽古の再開が切っ掛けで読む気になったのです。
本題「剣は語る」とありますが、剣法が確立されていく時代を草創期から幕末にかけて存在した名だたる剣術家を取り上げて、剣術に対する取り組み、生き方から剣を通して現れてくる精神性を語っています。一番目取り上げられていたのは「塚原卜伝」、子供の頃に知った有名な剣豪です。
序文には次のように書かれていました。
「はじめに——–命を賭して悟った、この国だけの人生修行
”たたかい”(闘い)という言葉は、人が得物(えもの)をもって”たたきあい”(叩き合い)をしたことからはじまったと云います。真偽はさておき、ずいぶん古くから人は得物を使ってきたのです。
得物はやがて刀剣となり、闘いの技術も進歩してきました。戦場では、”打物達者”と呼ばれる豪傑たちが、長大剣を使って活躍しました。しかし、戦闘形態が集団の進退中心に変わってきます。なかんずく鉄砲が出現すると、刀剣をもってする個人の働きは、あまり効果がなく、期待もされない様になりました。
さて、問題はそれからです。たとえば、同じ経過を辿った西洋の剣技は、効果がなくなるとともに廃絶しましたが、日本ではむしろ戦場から離れたところで”兵法道”(ひょうほうどう・剣法の道)として発展していきます。・・・」
何故に・・・・・、
私見ですが宗教、神道、仏教が影響しているのでは?
そして、大和民族の心性、ピュアな面が。
他国にもキリスト教、イスラム教等様々な宗教がありますので宗教が要因だけではない様に思えます。
現代になって武術(剣道、弓道、柔道、合気道)等の修行体験を綴った本がたくさん出ています。
私の蔵書の中に、「山岡鉄舟 剣禅話」高眞澄訳・徳間書店、「剣とこころ 勝海舟と直心影流」並木靖著・すずらん書房、「剣と禅」大森曹玄著・春秋社、「一射絶命・禅、弓道、そして日々の行」ケネス・クシュナー著・ベースボールマガジン社、「残心 剣に学んだ人生」井上正孝著、「柔道一本鎗・最後の柔術家木村又蔵の生涯」木村武則著・飛鳥新社、「植芝盛平口述 武産合気」高橋英雄編者があります。
「武産合気」なる言葉から分かるように古神道、古事記の影響を受けています。
この本に著された人達、武術を通して”心術・心法”の修行から見えてくる先人達の恩恵。
これが世界で唯一無二の存在となっている精神修養の道、武道。
戦後世界に普及し、今ではネットワークから世界中の武道家が稽古している様子が観ることが出来ることが、その普及の広さを示すものです。
自国には無い「武道精神」、心法・心術の向上をそれに賭けて修行する外国人を40年以上前に合気道聖地岩間の道場で観ました。
そこで知り合ったアメリカ女性が師範となって、今ではYoutubeで合気道を指導する動画が掲載される時代になっています。
昭和40年に大学で出会った合気道、こんな状況等想像すらできなかったですね。
日本人、今一度、戦後の印象操作で貶められた武道精神の本質「心法・心術」に心を向けないと、
外国人から「武道精神」を教わる羽目になるのでは?
合気道ではそんな兆候が見られます。
特に技術面で!
私が岩間でご指導を頂いた師が憂慮したことが現実になりそうです。
合気道の影響を受けた方で、ジョージ・レナード(米人)という人が、開祖が説いた理念に基づいて書き上げた書籍「サイレントパルス・宇宙の根源リズムへ旅」などは、その合気道精神の理解に関して目を見張るほどです。
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