12日成人の日に、時代劇専門チャンネルで落語番組をやっていました。何気なく見ていると演目が一つ終わり、場面が変わって女性司会者が落語家柳家喬太郎を紹介する場面が出てきました。江戸の町のジオラマを見てとの感想から、落語家に司会者が質問、江戸時代に戻れるとしたらどんなことがしたいですかと聞くと、背景にあった屋台の天麩羅を食べたいなと回答して、会話が続き、本題に入り、柳家喬太郎が「文七元結」を語るというのです。休みの日であったので、用事もないことから聴いてみる事にしたのです。
私が落語家として最初に覚えた人が柳亭痴楽、ラジオから聞いて知ったのだとおもいます。
痴楽綴り方教室で今でも覚えているのが、「柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりずーといい男」とはじまり・・・演目が始まるのですが今でもそんな調子を覚えているくらいですから子供心にも面白く感じたのでしょう。
・・・「柳亭痴楽(りゅうていちらく)はいい男~」
角張った大きな顔の四代目柳亭痴楽(一九二一~九三年)が歌うように口火を切ると、客席は爆笑に包まれた。七五調で艶っぽさを織り交ぜた「痴楽綴方狂室(つづりかたきょうしつ)」のギャグ満載の一席は、戦災で疲れ切った庶民に自由で明るい笑いをもたらした。・・・ネット記事より。
それからテレビ時代になると、寄席番組も始まり、漫才、落語を見るようになり、当時の名跡、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生、柳家小さんなどの知り、若手では円楽、円鏡、談志、志ん朝、小三治などの落語家を知るようになりました。
やはり何といっても林家三平が印象に残ります。
落語が大好きという訳ではないのですが身近に聞く機会があってので興味は持っていたのでしょう。
でも古典落語を自分から聞くという思いは強く持っていたわけではないのですが、折に触れ聞いていたくらいのものでした。
それが、この落語を聞いていい噺だと感じ入ったのです。
年齢を重ね、人情話が身に染みるようになったのでしょうか?。
喬太郎の語りもよく、引き込まれていくのが分かりました。
噺の出だしは、
今年十七になる娘のお久がこれに心を痛め、自ら吉原の佐野槌という大見世に身を売りに行く。佐野槌から知らせを受けた長兵衛が出掛けて行くと、お内儀さんに叱責される。・・・」
翌日。旦那は文七を連れ、角樽と酒の切手を二升分買って長兵衛の家へ。
江戸ッ子がいっぺん懐から出したものを受け取れるかい……と痩せ我慢の長兵衛になんとか金を受け取らせ、金が出ました身祝いにと角樽と酒の切手を渡すと、
「お祝いってんならこれは頂戴します。好きな物だから有難え」
「肴ですが……」
「とんでもねえ旦那、肴なんざいりません」
「そういう訳にもまいりません……おい、頼むよ」
旦那が外へ声をポーンと投げかける。ヘイッという声とともに、一挺の駕籠が長兵衛の家の前へ。中から出て来たのが娘のお久。
「お久……!? お前、どうしたんだ!?」
「こちらのおじ様に見受けをされたの」
「旦那が……!?」
「この肴、お気に召しましたか」
「……大好物でございます……!」
これが縁で文七とお久がやがて夫婦になり、麹町貝坂下に元結屋を開くとたいそう繁盛したという。
『文七元結』でございます。…ネット記事より。
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