吉見百穴へ

4日、長野上田にでもと予定をしていたのですが、目的の秋和鉱泉が予約制なので日帰り温泉、食事が出来ないことが分かり近場の吉見百穴に行くことに!

昼頃でて向こうで昼食をとる予定で出発、地元に住んで行く機会がなかったのでいてみようと言うことになりました。途中渋滞があるものの1時間強で到着、連休で近場の観光客は少ないのではと思っていましたが結構それなりに混んでいました。

駐車場に車を止め、入場ということで入口に向かいました。

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丘の中腹に掘られた穴が見えています。

※ 吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群遺跡1923年3月7日に国の史跡に指定された。2012年現在、有料で一般公開されている。ウキペディアより

入口脇に立っていた案内板に軍需工場跡地、中島飛行場とあり「えぇ~」と関心が一気に高まりました。

意表を突かれた感じ、早速その場所へ。

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縦横に掘られたと説明がありましたが、ここで大東亜戦争時飛行機の部品などが製造されたと思うと必死に戦っていた当時の様子が想像されました。

入るとヒンヤリとした空気感が漂い、一瞬わずかな緊張が走りここで製造していたのかと思いがよぎります。

勝利のためと、こんな場所で飛行機の部品造りをとセンチメンタルになりました。

 

近代戦は国家上げての総力戦だと言われますが、開戦当時空襲を受けてこんな山奥に工場を造るとは誰が想像しえてでしょうか?

昭和17年開戦2年目までは連合軍を圧倒していたのですから、返す返すもミッドウエー海戦の敗北は残念でなりません。

「失敗の本質」では作戦に2面性とその敗北原因を分析していますが、護衛のため飛んでいたゼロ戦とワイルドキャットの空戦の最中、その間隙をぬって、米爆撃隊が空襲、折しも兵装転換中甲板には爆弾を抱えて待機中であった爆撃機が攻撃により誘発、空母は次々と沈められました。

勝敗は時の運、運は味方しなかったというわけです。

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百穴と言いますが200以上の穴がありました。

穴の中は、

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こんな様子。

墓の数から察して何世紀にもわたって造られたものなのか?

 ※多くの穴に古墳と同様の台座状構造があり、ここに棺桶を安置したとされる。なお、台座は穴によっては複数存在しており、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられている。多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、ここには緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の蓋がはめ込まれていた。これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、複数の台座状構造と合わせて同一の穴に追葬が行われたことを示すものと考えられている。場所の位置によって穴の並びが整然、不規則と各箇所で差がある。不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられている。殆どの穴を自由に入り見学できるが、心ない者により遺跡の損壊が行われた例もある。ウキペディアより。

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百穴を背景に撮影。

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ヒカリゴケが寄生している洞窟、関東地域では珍しいそうです。

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勾玉、埴輪造りの体験教室もやっていました。

 観光地があるのですが、地元とということで意外と出かけることがなく新鮮に印象を持ちました。

機会を作って地元の名所旧跡巡りでもすると楽しいかもしれません。。

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