16日、取引先の会長の社葬が青山葬儀所でありました。
路線を調べると乃木坂駅5出口での下車が一番近くそこから向うことに。
乃木神社も近いことから葬儀が終わって後行くことにしました。
懐かしい場所です。
60年ほど前、親に連れられて乃木将軍夫妻自決の部屋を見学した所だからです。
おそらく親戚が来て都内見物場所にと選んだのだと思います。
あの頃の大人の方々には乃木大将は素晴らしい人格者と知られ有名な人ですからね。
青山葬儀所からの道順がわからないので、近くのカフェの店員さんに教えてもらい歩くこと10分ほど、地下鉄千代田線乃木坂駅1出口のそばにありました。
通りに面した乃木邸見つけ懐かしさが込み上げてきました。
この見学の経験から後々乃木大将に関心が向いて知識を得ることに。
亡くなった母親から「曾おじいさん」が似ていると子供の頃から聞かされていたことも影響しているかもしれません。
小学生4年の頃に切手収集が流行り、乃木大将、東郷元帥の記念切手を手に入れたこともあります。
切手には菊のご紋章が印刷されており古さを感じたもです。
通りを渡り公園となっている場所から入り乃木邸に向かうとありました。
右側の窓の部屋が自決をした場所。
近くに行こうとしたら見学用の廊下が去年の大震災で破損したために上がれませんでした。
60年前の記憶が甦えり間違い無くこの場所だったと。
当時は飯田町(現在は飯田橋)に住んでいましたから中央線に乗り代々木駅あたりで降りて向かったのでしょうか。
乃木大将、歌では「水師営の会見」を母親が歌っていました、西南戦争では官軍に属し軍旗を奪われた事、二人の息子さんが203高地の戦場で戦死、白襷隊の編成等は映画から知りました。
中学生の頃、新東宝が「明治天皇と日露大戦争」という映画を制作していました。
天皇役が嵐寛寿郎、皇后役が高倉みゆきです。
明治天皇からの信任も熱く、学習院の院長も努め孫に当たる後の昭和天皇の養育を任されました。
歌詞の解釈は下記のようです。
> 立派な人格者を得て、教育の重任に当たらせたいとの御希望でしょう。
「やまとなでしこ」は、日本の少年・青年に例えられたもの。
「おほしたつ」は、養い立つ、教育し立つの意。
「いさをある人」は、名誉ある人、立派な人格者、人の儀表たるに足る功勲ある人のこと。
「教の親」は、校長や教師のこと。ネット記事~。
今の教師に読ませたいものです。
参拝客がちらほらと。
乃木将軍ご夫妻が「神上がられまして100年」と境内に説明がありました。
1912年7月30日から明治から大正へと年号が変わりましたから。
この年に殉死されたのです。
この文章は「中朝事実」からの抜粋です。
乃木大将が後の昭和天皇にお別れを述べる件が書かれています。
天皇となられる「東宮裕仁親王殿下陸海軍少尉」に対し健やかに育たれることを願う思いが伝わってきます。
補足
私のひいおじいさん
ヒゲがそっくりです。
その印象が母にとっては強烈で乃木大将に似ていると記憶したのでしょう。
母が晩年、見つけてきた写真です。
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