昨日5/7、銀行に用事があり午後一番で出向き受付札を取り、本を読みながら待っていると銀行員が私のところへ来てご挨拶をしたいと申し出があり応接室へ招かれました。
名刺を頂くと肩書きが次長とありました。
新任の挨拶でした。
いつもの通り、生年月日、出身地などを聞いたのです。
私より20歳ほど年下でした。
私、名刺を持っておらずお詫びを申し上げてから会話は始まりました。
持っていた本「日本国憲法失効論」に興味を示したので推奨文を読んで内容の説明をしたのです。
読んであげた記述の一部を紹介します。
「・・・日本人は当時これを「マッカーサー憲法」と呼び、我々はこれを三流品扱いしていたが、マッカーサーは「私は日本を四等国民にする」と更に明言し、これが日本全国民に強烈に伝えられた。また更にマッカーサーは「日本人は十二歳児である」として、次々と指令を発して来た。
当時の政治家は主権も自由意思も許されない占領下で、これを認証させられてしまった。マッカーサーが占領軍最高司令官であっても、国際法に違反し、日本の正統である大日本帝国憲法を改廃し新憲法をつくり、更にその効力を占領終了以後まで持続させるような法をつくることを強要したことは、我々門外漢といえども納得できない。
今日の日本は国家の体をなしていない。あふれる情報がありながら、その対応する戦略がない。自己決定能力がない国家は崩壊する。
昭和二十六年(一九五一)九月八日、サンフランシスコ講和条約が締結され、一応、自主独立を得た日本であったが占領下に異常な長期期間中に制定されたこの日本文化 破壊のマッカーサー憲法を排し、明治の帝国憲法に戻すべきであった。
事実、解任されたマッカーサーは、昭和二十六年五月五日、米国上院の外交軍事合同委員会において「占領期間中に制定された諸法規は占領終了後には日本古来の文明に適合するように修正されてゆくであろう」と証言している。・・・」
彼はこれを聞いて「う~ん」と唸り声をあげました。
初めて知った内容と納得とで、発したのだと思えました。
本の推奨文はコピーして再読しなさいと彼に薦めました。
戦後、今の憲法を「平和憲法」と教わった私がこのような本を読むに至る経緯等を話すと不勉強を反省した様子、
彼が言うに「私はそのような事柄(戦後から今日に至る歴史)をよく知らない」と。
その時、いつものように「克己」なる文字を示して読んでみてというと、「かつみ」と読むのです。
「やっぱり」と思いつつ、意味を説明してあげると納得の様子。
最近出会った営業マン4、5人に聞いても同じ結果です。
この言葉、どうやら「死語」となりつつあるようです。
彼に古来より、日本人が大切にした心構えである事と諭しました。
20才ほど歳が違うので、仕方がない面がありますが、彼の年齢から言えば社会的には指導する側です。
そんなことではと先輩面して注意しました。
彼が生まれた頃の事件、大学紛争、三島由紀夫事件等の話をするとよくわからない様子、
大学紛争時、学園封鎖した左翼暴力学生を排除した体験談、三島由紀夫の割腹自殺など聞かせました。
応接室での会話でしたが熱心に聞いてくれたことを感謝した次第。
しかし、中年の域にいる彼らが今後後輩を指導していく事を思うと不安な気持ちになったのも事実です。
別れ際、勉強するようにと激励して帰ることとなりました。
会社へ着くと本社から電話、訂正印が必要なので銀行員が出向きますと。
しばらくすると「ピンポ~ン」と鳴って招き入れ、用意を済ませ、他行で話した内容について話題にしたのです。
世代的には「新人類」と呼ばれる生まれで40代前半。
同様に推奨分を読ませると同じ反応でした。
「そうでしたか」とやはり納得の様子、
>事実、解任されたマッカーサーは、昭和二十六年五月五日、米国上院の外交軍事合同委員会において「占領期間中に制定された諸法規は占領終了後には日本古来の文明に適合するように修正されてゆくであろう」と証言している。・・・」
この記述に特に関心がいったようで、多少啓蒙できたかなと自身に納得でした。
しかし、二人との会話から思うことは精神的な面で日本人らしさが薄まっていることは間違いありません。
両名とも「克己」が読めません。
参考資料
御貴殿の言う「新人類」です。貴殿のブログを、良く拝読させていただいておりま
す。ただ、貴殿の気に入らぬ輩であろうと思い、コメントを控えておりました。
ですが、貴殿の言う「克己」という文字を私は、読めます。何故なら、空手道の道場
訓に「克己の精神を涵養」という文言があるからです。これを「こっき」と読めない
ということは、教育の質が悪かったと言うことです。単純に国語の授業を受けてきた
と言うだけの方でしょう・・・。今時、中年にもなって、漢字が読めない方は、新聞
はおろか、ニュースも聞かないでしょう・・・。テレビでは、馬鹿が売りのタレント
が活躍して、お茶の間を賑わしております。自分の氏名を習っていないからとひらが
なで書かせるというのも、おかしな事です。小学生からこの為体ですから、教育の質
が低下している証拠です。大学生を見ても、酒を飲んだり、車に乗ったり・・・。ど
うせ親のすねをかじっているくせして、大したご身分です!幼稚園児に毛が生えた程
度の学生です。私の生まれた年には、三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、盾の
会のメンバーと共に立てこもり、関の孫六で、割腹自殺を遂げました。思想かぶれで
ある!と母親は斬って捨てました。私は、三島由紀夫の自決を本で読んだだけです。
歴史を知ることは、未来を知ることですから・・・。
駄文で恐縮ですが、私のブログではありませんので、あまり書くのも気が引けます。
最後に、私の修行したカラテの創始者「大山倍達」曰く、「実践なくんば証明され
ず、証明なくんば信用されず、信用なくんば尊敬されず」という遺訓があります。男
は、戦うところにロマンがあります。競争してこそ価値があります。貴殿の言う、
「新人類」は、競争を嫌った人間でしょう・・・。勝ち負けを超越したものを求める
前に、勝負しないといけません!よろしくご理解下さいませ。
新人類さん。
おはようございます。
コメント、また小生のブログを読んでいだき有難うございます。
>貴殿の気に入らぬ輩であろうと思い
世代の対比強調という意味でタイトルに使ったのですが、
記述からそんな思いをさせてごめんなさい。
「克己」の言葉、貴兄のようにそのような機会があると知り得ますね。
ただ、使われなくなり覚える機会が減っているような気がしています。
そのせいではないでしょうか。
最近、北海道のある大学で飲酒で学生が病院に担ぎ込まれる事件がありました。
大学側は強要があったと言っていましたが、注がれた酒は飲み干す行為は、
小生の学生時代にもありました。
しかし、対応策として飲まされる分を考え自分では飲まずに控えて飲みすぎを避けました。
そう言う点では今の大学生「幼稚」と批判されても仕方ない面がありますね。
急性アルコールで病院に担ぎ込まれたことはなかったです。
三島由紀夫自決の年に生まれたとのこと。
小生、社会人になって2年目、切腹での自決は衝撃でした。
楯の会の活動もニュースで度々紹介されていました。
小生にとって、三島由紀夫は直接目にした唯一の文化人です。
忘れもしません。学生時代日比谷映画の前で偶然出くわしたのです。
その影響もあって高い関心を寄せていただけに衝撃も強かったのだと思います。
ですから記憶から消えることはありません。
>歴史を知ることは、未来を知ることですから・・・
小生もそう考えます。
最近、三島由紀夫について書かれた本を読み彼の思想について勉強しました。
自衛隊に決起を促した思いは、当時理解できなかったのですが今になってみると、
そうなのかと教えられました。
戦後生まれと言えば当時は「若いね」と言われていましたが、
それも60代半ばを過ぎました。
一日一日を大事にせねばと思っています。