4月18日、私の先輩が主催する合気道演武会を観てきました。
天候が不順で、寒かったり、暖かかったり、41年ぶりの春の雪が降ったりと心配していたのですが、当日は晴天となりました。
娘も浜離宮で開催されることから多少関心があったようで一緒に向かいました。
開催主旨を「浜離宮恩賜庭園 国際文化交流 観桜と合気道演武祭」とパンフレットに書かれていました。
昼頃、浜離宮に着き、先輩に挨拶を済ませ、演武会までは時間が有ったので、八重桜の観賞と洒落込みました。
元甲府藩の下屋敷だったそうです。明治維新以降宮内庁の管理となり、浜離宮と名称を変え、戦後都の公園となりました。
天気も良く、桜の色が冴えて映り、とても気分の良い花見となりました。
散策しながら、写真を撮り、喉の渇きを覚えたので売店でたこ焼きとビールを買い、一息入れることにしました。
長椅子に腰掛けて、風景を楽しみました。
公園の周りは高層ビルばかりなのですが、この一角だけは緑がたくさん、この対称がかえって自然を感じさせます。
公園の見学者、親子連れ、外人観光客、様々な人達が訪れていました。
ある外人親子、焼きそばを買い求め、割り箸を上手に使っていました。
子供は箸を割った後、箸の先端を擦り合わせして、ばりをとっていました。
普段から使い慣れている様子。
日本食が海外普及していることを知らされました。
そろそろ、演武会の開始時間が迫ってきたので、開催場所へと向かい、演武を見ることしました。
演武者は、先輩らの知り合い、合気道部先輩、後輩の弟子達です。他にミャンマーの研修生2名が参加していました。
年齢層は幅広く、男女、20代から70代の人が演じました。
護身術としての武術を、健康にも良いと喧伝した結果でしょう。
私が合気道を始めた昭和40年ごろ普及の端緒についた時期で、合気道は未だ良く知られていませんでしたが、今では世界中に普及しています。
インターネットで配信される動画を見ると、それがよく分かります。
米国俳優のスティーブン セガールは若き頃大阪で合気道を修行し、合気道を取り入れたアクションは有名です。
開祖 植芝盛平翁を間近に見たのが大学1年の時、本部道場でした。
開祖がお話をされる時、正座をしなければなりません。お話の内容を聞いても良く分からず困惑し、足の痺れを我慢することでした。
記紀 日本書紀、古事記の物語から合気道の精神、世界観を説明されていましたから、神々の名前が出てきました。
理解できたのはその程度でした。しかし、年齢を重ねるごとに開祖の考えなりを理解したいと思うようになりました。
この経験が合気道を通じて、記紀に関心を持たせる結果となりそれに関連する書籍を入手して手元の置いてあります。
徒然に気が向くと読んでいます。
演武は一時間ほどで終わり、後片付けが終わる間、他の先輩とお話をする時間がもて、様々な話し合いが出来ました。
その先輩、海外での指導をされていた事もあり、外国人が合気道をやる背景に、武士道精神、大和魂の理解が目的と説明されていました。
武士道と大和魂の違いは何かと真摯に聞かれることもあったそうです。
今の日本人には、分からない精神文化と思います。
外国人が何で惹かれるのでしょう。
その後打ち上げパーティーも予定されていて、出席するようにと言われていましたので娘共々参加しました。
会場は先輩が所有のビル3階で行われました。
まずは演武会の成功を祝し、乾杯から行い、総評が語られ、その後挨拶代わりにと自己紹介が始まりました。
合気道と関わりの有る方々なので、それぞれ自己紹介を兼ねながら、合気道の関わりの一端を語られていました。
かなりご高齢と思われる方が語った中に、陸軍中野学校では必修する武術でしたと説明されていました。
戦前、陸軍戸山学校で指導されていたことと関わりがあってのでしょう。
合気道技術書の中に、陸軍士官、学校関連者との記念写真が紹介されています。
昭和6年と説明がありました。
武器が無くても、徒手で対処できる技術が評価されていたのでしょう。
酒が進んできたのか、参加者全員が饒舌となり会が盛り上がって、カラオケが始まりました。それぞれ持ち歌を披露して、とても雰囲気の良いパーティーとなりました。
主催した先輩、キャリアとしてはかなりの実業家です。
10数年ほど前から、他の会の縁でお付き合いするようになっていました。
学生時代は、ほとんど話す機会も無く、今日に至り合気道の縁で改めて、近しくお話できるようになり、人となりを理解できるようになりました。
縁は異な物といいますが、合気道部に入部していて良かったと感じた次第です。
大学時代、何か真剣に取り組むものを持つほうが間違いなく良いです。
開祖が合気道を修行する人たちに対してのメッセージは一言で言えば「和合」です。
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