戦前までは、2月11日を「紀元節」と呼んでいました。
しかし、戦争に負け、占領軍の日本解体が行われ、その一環で連綿と続いた慣習である「紀元節」の呼称は「建国記念の日」と変えられてしまいました。
そして戦後の教育を受けた日本人は、古来より言い伝えれていたご先祖の思いと伝統の意義を忘却し「大和民族としての精神文化」を喪失し現在に至っています。
戦前までは、少年少女は日本人としての自覚材料(教化)として、「國の初り」の神話が教えられて「日本人としての自覚」を持つ事が出来たのです。この本に拠れば、その意義は次のように書かれていました。
「・・・神武天皇とその皇后、媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を祭神に祀る橿原神宮(かしわらじんぐう)。毎年2月11日の建国記念の日(紀元節)には、荘厳な「紀元祭」が執り行われる。
その橿原神宮の祭儀部長・久保田禰宜は、日本の「まつりごと」の原点をこう語る『神武天皇は、天照大神がニニギノミコトの「天孫降臨に際し、賜った天壌無窮のご神勅を奉じ、天の下の政治をおこなうべく、日向国の高千穂の宮から幾多の困難を乗り越えて、日本(やまと)の建国を成し遂げ、この橿原の宮で即位の礼を上げました。このときに、神武天皇はご先祖様の神々に御礼をし、感謝の意を表しておられます。つまり、日本で最初の政治、まつりごととは、この橿原において、先祖の神への感謝と御礼から始まるのです。振り返って、いまの日本の政治はどうでしょうか。先祖の日本人たちに感謝や御礼も捧げず、”日本は日本人だけのものではない”とか、外国人参政権をおこなうようにする。というような自らをかえりみない政治は、本来の日本のまつりごととは違うと確信しています。・・・」
この記述から思う事、
戦前のように、教化資料として「國の初り」を教え、日本(大和)の国がどのようにして生まれたかを教え大和民族として自覚を促し、日本国を護持する覚悟させないと國が乱れるのです。
乱れを強く感じるものに「戦後教育」があります。
これに強い思いを抱くのは小学校の恩師の言葉が影響しています。
何度も小生の社長ブログに書いていますが、恩師の言葉、戦前まであった修身教育の廃止目的が「大和魂の喪失」、マッカーサーの狙いと聞いていたからです。
昨今の日本人の行いは、
老人は老害扱い、「老(臣下の長)の意」と呼ばれる価値を貶め、子は親を殺し、親は子を殺し、教師は猥褻行為に走り、女子中学生、高校生、大学生は「パパ活」と称し売春をおこなう世の中に。
その教育の原典となるのが「教育勅語」でした。
マッカーサーは日本の強さの基は、教育にありと修身教育を廃止させ、教育勅語を否定したのです。
戦勝国アメリカが敷いた占領政策の国の仕組みを後生大事に78年間もの維持して、改革しようとの気運が生まれないのは戦後教育の歪みでしょう。
いま思えば、三島由紀夫が昭和45年11月25日市ヶ谷駐屯地で死を賭けて訴えた檄文にその意義が書かれています。
「※われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるを夢見た。しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。— 三島由紀夫「檄」」ウキペディアより。
私が社会人となって1年目の出来事、平和教育、平和憲法と教わっていた私にはその意義をその時、理解できませんでした。
戦争を避けるためにも「国軍」として自衛隊を改革すべきと訴えているのです。
今や、ロシア侵略の暴挙を見るにつけ、三島由紀夫は言い放った「国軍」の意義が理解できます。
今でも軍備をすると日本は戦争するという短絡的な政治家か多数いますが、「国民の安全」を本気で守る決意を持った政治家でしょうか。
戦後「愛国心」は戦争の原因と言って排斥し、国体護持の揺らぎをもたらし、ウクライナのようになった時どう責任を取るのでしょうか。
その後、自分なりに戦後体制の見直しができた時、明確にその意義を理解しました。
真の独立国家として立ち還るには「自主憲法制定」からでしょう。
奴隷的な根性を捨てて、ウクライナ人の志を知るべきです。
平和憲法を遵守して真の独立国家とはなりえない。
戦禍を回避するためにも独立国家が何たるべきか今こそ、自問自答する時と思います。
戦争をしないためにも。
「有備無憂」・・・・・・
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