戦艦大和の砲声。

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以前にも戦艦大和の砲声について書いたブログがありますが、小学校の同級生が呉にある大和ミュージアムに行ってきたとフェイスブックに掲載していたので、再び関心が湧き、休日に会社に行き事務所にある書棚から「戦艦大和砲声の謎」を取り出して拾い読みをした内容を書いた次第。

※戦艦大和要目
基準排水量:64000t
全長:263m
最大幅:38.9m
出力:150000hp
速力:27kt
航続力:16ktで7200浬(1浬1852m)
武装:46㎝3連装×3、15.5㎝×3連装砲×2、12.7㎝
12.7㎝連装高角砲×12、25㎜3連装機銃×50、13㎜連装機銃×2
搭載機:水上偵察機×6

46㎝3連装×3 この46㎝砲、砲身は長さが20m強もあり、重量は160t、砲弾は長さ2m、重さ1.5t、射程距離は東京から横須賀まで及ぶ。

このような強力な戦艦を造った技術力はすごいです。
私が物心ついた時期にその存在を知ったくらい戦後でも話題に上がる巨艦でした。
戦闘機では零戦、隼などを知っていました。
まだ大東亜戦争が終了して間もない時期、子供心に関心が向く戦艦でした。
模型も売られていて、材質は木製だったような気がします。
後にアニメにもなり、戦艦大和は「ヤマト」のなで広く知られるようになりました。

CDに録音されているマリアナ沖海戦(昭和19年6月19日20日)で発射に立ち会った戸田文雄氏の証言によると、爆風こそないが砲塔内は油圧の音、機械の軋み音、水圧の音で騒音がすさまじく、号令は大きい声で叫ばないと通らない、砲撃合図のブザーがなり、発射されるとその振動はすさまじく、失神者出るほどで、お互いに肩を叩きあって失神していないか肩を叩きあって確認しなければならなかったそうです。

想像がつきませんね!
この巨大な大砲の響きはどんなものだったのでしょう?

このような巨大戦艦をなぜ造ったか、当時の日本を取り囲む世界情勢があげられる。
その一つに、ワシントン及びロンドン海軍軍縮条約がある。
大正7年(1918年)に終わった第一次世界大戦は、勝者も敗者も疲弊させた。そのため海軍強国の間では、それぞれの保有艦数の制限をする条約が結ばれる。1922年のワシントン海軍軍縮条約(主力艦)、そして1930年の、ロンドン海軍軍縮条約(補助艦)である。日本もこの条約に批准したが、とくに主力艦(戦艦)の保有比率は、いずれ戦う相手としていた仮想敵アメリカの6割とされた。引用
「アメリカの6割とされた」これが切っ掛けとなり強力は戦艦の建造計画が行われ、「戦艦大和」の誕生となる。そして大東亜戦争開戦から8日後の、昭和16年12月16日に竣工する。

昭和16年10月22,23日に公試運転が行われ27.46ノットを記録、12月7日、「大和」にとって最後のテストとなる主砲公試が行われ46センチ主砲を発射するのである。
試射した村田特務少尉は、のちの沖縄特攻作戦から生き延びてその時の砲声のひびきを戦後回想している。

「ただのひびきではない。なにか荘重で雄大な、グーンと長い衝撃たっだのを、いまでもおぼえております」(『戦艦大和』児島譲文藝春秋社)

本のタイトル「砲声の謎」と言われている点ですが、当時の録音技術では機材装置が多すぎて(トラック1台分)艦内には運ぶことは困難で、また録音しようとして振動で針が浮き不可能だったようです。

それではその砲声はどうして存在したかというと、ラジオドラマ『戦艦大和ノ最期』(昭和40年放送)で作られた砲声だったのです。
砲声を作った音響効果の玉井和雄氏は、力をこめてこう語った、
「本当の音じゃないけれど、本当の音以上の音が作れるかもしれない。そこに挑戦したわけですよ。本物以上に再現できたと、私は思います」
「戦艦大和の砲声」
何故か胸に響いてきます。
戦艦大和と共にして海底に眠る我々の同胞の鎮魂とも思われる「ひびき」を感じます。

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