弔旗 東日本大震災

昨日、商用で飯田橋へ出向きました。
あの頃の町名、飯田町は変えられたようです。
昭和30年まで住んでいたので、懐かしさも手伝って道中楽しみながらの仕事となりました。
地下鉄有楽町線飯田橋駅をおりて、地下道を抜けると高いビルが立ち並び64年前とは大きく様変わり。
ただ、変わっていないのが当然ながら神田川の流れ、そして川沿いにあった飲み屋も残っていました。
そして、子供のころ火事があったガソリンスタンドも残っていました。

約束の時刻より遅れてしまい、お客さんから時刻を3時にずらしてといわれ、その会社があるビルの所在を確認してから待つことに。

待ち時間を利用して、近所にある取引先へ行くことにしました。
その道中、見かけたのが弔旗でした。
ビル玄関前に国旗玉に黒布を覆った※弔旗が掲げられていました。

※喪章(いリボンなど)を付けて掲揚される旗。弔意の表明には半旗を掲げる方法もあるが、掲揚設備の都合(ロープでの上下ではなく竿ごと立て、また竿に巻いて収納する)などにより半旗とできない場合は弔旗とすることが多い。一般には国旗を用いるが、州旗、市旗、学校旗、部隊旗などの組織の旗も使用される。喪章の付け方は慣習(プロトコル)によるが、国または組織によっては明文化された規定が存在する。ウキペディアより。

あれから8年が過ぎ、世界の国々から支援、援助を受け力強く復興しています。
その日の朝のミーテイングで高齢のスタッフがいみじくも話したことが3.10東京大空襲の話、復興に向けて立ち上がる日本人の力強い民度を知る思いがしました。
平成に入ってすぐに起きたのが阪神淡路大震災、それ以降地震、台風災害を被りながらも復興に向けて立ち上がる日本民族、神武天皇建国以来幾たびの災害にもめげないDNAが受け継がれているのでしょう!

今日、廃液回収に来ていた50代、30代と思しき人と国旗掲揚の仕方について立ち話。
半旗を掲げる作法が弔意を示すことをなんとなく理解していたのが50代、30代と思しき青年は認識がなかったです。
国旗掲揚、国歌斉唱でもめる日本を示していると感じた次第。

このような作法を教えずに周知させないのはいかがなものか?

 

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