雁寒潭・「知の湧水」より。

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追悼出版「知の巨人」ラストメッセージと銘打って著した「知の湧水」、戦後の教育で育った私等の時代と、昭和5年(1930)に生れ、そして15、6歳で終戦を迎えた渡部昇一氏、勉強された内容(特に歴史)が全く違うし、

戦前を知らない私にとって、興味のある記述が豊富にありました。

学者になるくらいですから、教養面、勉学のレベルは比較にはならないでしょうが、高校時代の先生が言われた事を思い出したのは「漢文」に関してです。

今の学生は漢字を知らないと批評されていたのですが、納得し次第。

多くの漢字を目にする機会がありますから!

追記

※私の小学校の先生に電話でお尋ねしたのですが、戦前、今の学制でいえば、14,5歳くらいで漢文の授業があり、教材が「十八史略」と言っていました。内容は人生訓になるようなお話を習っていたようです。

素読での勉強は江戸期、※明治期の頃になるようです。

※合気道開祖植芝盛平翁は、7,8歳でお坊さんから四書五経習っていたと自伝に記述があり、当時は幼少の頃から漢文に接する機会があったのでしょう。

高校の先生、当時で70過ぎ、明治20年代の生まれと思われます。

同じように渡部昇一氏も漢文を勉強されていたと思います。

私等の頃、漢文の授業はありましたが、大学入試にはあまり影響がないので簡単に済まされていた印象があります。

渡部昇一氏が教育を受けた時代、漢文の授業が重要視されていたのではと思わせる記述があり、第三章・鏡の東西の項に漢文の説明が出て来るのです。

書き出しは「至人の心は鏡の如し」とあり、・・・何か一心太助の刺青・腕に「一心如鏡」(いっしんにょきょう)一心如鏡は読み下せば「一心鏡の如し」-を思い起こさせます。・・・

大漢学者で白寿を祝われた宇野哲人先生が、長命のための心術として弟子たちが教えられていたのは『荘子』の内篇応帝王第七にある言葉からであった。すなわち、

不将不迎 おくらず、むかえず

応而不蔵 おうじて、おさめず

である。

「不将」とはいつまでもくよくよ考えないこと、「不迎」は取り越し苦労をしないこと、「応而」はそのことを処理する事、「不蔵」とはそのことを忘れてしまうことだという。これは荘子が至人(しじん)について言ったことで、至人の心は「鏡の如し」というのだ。・・・」

更に続けて、

「大学院生の頃、教育学の神藤克彦先生のお宅でいろいろとお話を聞いたものであったが、ある時、先生は、

雁(がん) 寒潭ヲ度(ワタ)ル

雁去ッテ潭ニ影ヲ留メズ

という言葉を紹介されて、物事にくよくよせず生きることを奨められた。当時の学生などは敗戦直後で就職も難しく、くよくよする例が多かったから、まことに適切なお話だと思う。・・・」

ここまで読んで、当時、教授と学生の交流が身近にあったと思われて、何か勉学はこうあるべきものと感じます。

この教えが後々、大変に役立ったと記してます。

「・・・この「雁 寒潭ヲ度(ワタ)ル」とい言葉は、神藤先生から教えて頂いてから30年くらいたって大いに役に立った。「1970年代から1980年代にかけて、大学紛争の余波がまだ続いていた。そして私は部落解放同盟系の言論糾弾団体から、毎週毎授業時間に糾弾を受けた。彼らは教壇を取り囲み、何だかんだと糾弾するのである。毎授業時間に廊下で待ち受け、教壇を囲んでわいわい糾弾するのだ。話しても理解する気のない団体相手だから、こちらは彼らが帰るまで――だいだい20分くらいだったと思う――目前としているわけである。そんなことが夏休みを挟んで6ヶ月くらい続いた。

この時、私は帰宅する前に、「雁寒潭」という言葉を口の中で繰り返した。そのおかげで、寝室をともにする私の家内は、私が大学で糾弾団体に攻撃されていることに最後まで気づかなかった。・・・」

大学紛争の余波とありましたが、私が大学生の頃(1968から1969)が一番ひどく、各大学では左翼暴力学生の授業妨害がおこり、彼らを排除しようと一般学生が立ち上がりその一員となり彼らを追放した経験があります。

偏向した思想を持ち、思想信条を通すためにはと「ゲバ棒」など凶器を使って傍若無人の振る舞いをしてた時代です。

その大学では、そんな授業妨害に手を打たなかったのでしょうか?

授業妨害されている側の大学当局、学生何をしていたのかと感じます。本当に身勝手な集団でした。

そのような体験が、「保守の論客」としてゆるぎない主張が生まれたのではないと推察します。

著者は、「雁寒潭」の言葉を心術として学び、困難に耐えうる心を持ち得たのでしょう。

「諺」も「心術」と捉えられますね。

私の親父は若い頃、先生(オヤジは安藤先生と言っていた、戦前の事です。)に教えられた言葉を持って「心術」としました。

熊沢蕃山、

「憂きことのなお、この上に積もれかし、限りあるみの力、試さん」

おふくろは、口癖で自身もそう思っていたのでしょう。

折に触れ、私に言い聞かせた言葉、

戦国武将、山中鹿之助 月に誓いを立てる時発した言葉「願わくは、我に七難八苦を与え給え」、今風に言えば「試練が男を磨く」

尋常小学校高等科出でも、そのように人生を歩むために心構え「心術」としての言葉を持っていました。

ネットで「雁寒潭」と検索すると、漢詩に出ていました。

菜根譚

「風来疎竹、風過而竹不留声。
雁度寒潭、雁去而潭不留影。
故君子、事来而心始現、事去而心随空。

風、疎竹(そちく)に来たるも、風過ぎて竹に声を留めず。
雁(かり)、寒潭(かんたん)を度るも、雁去りて潭(ふち)に影を留めず。
故に、君子は事(こと)来たりて、心に始めて現われ、事去りて心随(したが)って空し。

風はまばらな竹林に吹きこんでもサラサラと音をさせるが、風が止めば静かなもの。
雁(かり)が川を飛び越えて飛んでいれば、川面の影を落とすが、通り過ぎてしまえば影は川面にない。
つまり、上に立つ立派な者は、時に及んで心を動かすが、時が過ぎればさっぱりと忘れる。
言い換えれば、活人は、その時その時、その瞬間瞬間を大事にして、過ぎたことに囚われてはいけない、ということ。一日一生として生きろということ。」

大昔から、人間『心』の有り様、用い方は変わらないようですね。

だからこそ、今の時代でも通用する教えとなるのでしょう。

「くよくよするな」か!、精神衛生面でもこれからも大切な心構えではないでしょうか。

「雁寒潭」

追記

このブログを書くにあたり、丁度、アルバイトで中国人(男性28歳)が派遣されてきたので、詩を中国語で読んで貰ったのですが、彼の年代にとっては「古文」に相当するようで、「難解です。」と言っていたが意味は多少なりともわかるようです。

しかし、彼より年少の世代では分からないとも言っていた。

日本も中国も、「温故知新」が必要なようで!

 

 

 

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