「保守とは何か」を読んで!

サブタイトル「『保守』とは、主義でなく態度である」に惹かれ、購入した本です。

著者、福田恆存氏を知ったのはテレビですがかなり前、高校生、大学生の頃かと、ずーっと後のことですが「職人衆昔はなし」「人間国宝・伝統工芸」の本の序文の寄稿を読んでその見識、日本文化の造詣の深さに感じいった次第です。

だからこそ、サブタイトルに惹かれたのでしょう。

まだ読み切ってはいませんが、目次に目を通すと、戦後、敗戦によりそれまでの価値観に否定的な風潮が社会に起きている事を質す思いから、各章、項に見解を述べて、問いかけているような気がしてきました。戦後生まれの私にとって、しっかりと戦後、戦前の社会制度、価値観の差異を見究め、これまでの考えをおさらいできる内容が書かてれいると思えたのです。

そんな思いで本をめくり、拾い読みの中から、目に付いたのが第三章、二項にあった「伝統に対する心構え」の記述で、「家族制度・家督制度」について見解が示されており、自分の考えが整理できたのです。

「・・・たとえば、今日しばしば非難の的となってゐるものに、封建制度の身分関係といはれるものがある。その最小単位は家長を中心とする家族制度ですが、人々がそこに見てゐる悪は、封建時代のそれでなく、それが明治になって近代的に変形し歪められた状態から発生したものなのです。俗に家長は威張るといふ。が、封建時代の家長は果たして威張ってゐたか。決してそんなことはなった。それは容易に推測しうることです。なぜなら、彼等は威張る必要がなかったからです。当時の生き方に一つの型があり、家長は家族といふ一集団において、長として、責任者として、一つの役割を演じるといふ約束が出来てをりました。・・・」

此処までの記述で、「えっ!」意表を突かれた気がしたところが太字の記述、私の認識では、戦後、敗戦により、今までの社会制度が否定され、それまでは家長制度が充分に機能していたように思っていた事が、明治になってと記述されていた事。

「えーそーなのか」と思いつつ、明治維新以降、それまでの社会制度、体制に西洋の新しい価値観に照らし合わせ、疑問を持つようになったのかな。

そんな視点で、幕末の動乱、混乱期に思いを起こせば、政治制度が時代にそぐわず、改革を必要とする人達の行動がそれにあたるのかもしれない。

維新により、これまでの価値観が崩れ、疑問を持つようになったのが影響したのかもしれませんね。

顕著な例は武士階級の没落かなこれが一番利いているかもしれない。

今までの価値観が通用しなくなった。

「・・・そして、その役割を疑ふものその約束を破るものがないとすれば、他に向かってわざわざその権威を誇示する必要はないわけです。威張る必要が、したがって家長制度の悪を生じたのは、明治になって家族制度の約束が怪しくなったのちのことであります。その約束が怪しくなったのは、それを善として生し保証してゐた封建制度が崩れたからであり、その約束を否定する西洋の近代思想が人々の心に植ゑつけられたからであります。・・・」

ここでいう、近代思想、・個人主義・を指しているのかな!?

個人主義(こじんしゅぎ、英: individualism、仏: individualisme)とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。 あるいは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。ネット記事より。

それまでの日本人に認識にはなかった思想、自我を強く意識するより、集団の中でどう行動するかが基準だった日本社会、その約束が壊れて来たことがと言っているのでしょう。

そういえば、私が高校生のころ、武家社会の制度、思想などの矛盾を突いた映画、「武士道残酷物語」「切腹」「上意討ち拝領妻始末」などは個人主義的な考えを前提として描かれていると感じます。

それは、戦後さらに今までの思想(封建制度における個の存在)を否定し覚醒させるためにと製作された映画なのでしょう。

高校生の時、「切腹」を観て、なんと嫌な時代だと思いましたもの。

が、著者はだからと言って、その時代に生きた人々はそうだったのか、いやそうではなく当時の約束に遵い我々が植え付けられた考えとは違う生き方をして、不自由な暮らし向きでなかったと言っているような気がします。

「・・・同様なことが男尊女卑についても言えます。大体、封建時代では、家長や男だけが自分勝手にのことをして、いつも得になるくじを引く廻り合わせになってをり、他の家族の成員、ことに女は辛い想ひをし損なくじを引きながら泣きの涙で一生を送ってゐたなどと、どうしてそんあことが考えられるのか。全く途方もない空想といふよりほかはありません。健全な常識の持ち主なら、さういふ馬鹿な仕掛けが何百年も続くわけがないと考へるはずです。そのやうに不自然な身分関係は、単なる権力をもって維持しえないはずです。思ふに、封建時代における男女の身分関係は、今日のそれの遠く及ばないほど、持ちつ持たれつの巧みな釣合を保ってゐたのに相違ありません。・・・」

私たち、歴史の勉強で封建時代、「士農工商」、「男尊女卑」を代名詞的な扱いで教わっていますが、著者は実際はそうでなく、それぞれの役割が調和を保ち、釣り合って機能していたと主張しています。

読んでなるほどと納得せざる負えません。

「伝統に対する心構え」の項を読んでいると、歴史を解読するにはその時代に生きた人達の価値観、精神文化、制度の意義をその時代に遡って考えないといけないと教わった事があります。

著者は「伝統」と言うものもそれと同じで、そのような姿勢で接しなければと言っているのではないでしょうか?

恐らくこの本が書かれていた時期は昭和3、40年代と思われます。

今までの価値観を覆す思想が蔓延り、思想的な混乱が世の中に惹起された時期、冷静になって日本の伝統、価値観を正しく観なさいと一石を投じた彼の書籍の一端と思います。

今ここにこの本が出版されたのももう一度立ち返れとのメッセージのように思えます。

 

 

 

 

 

 

 

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