表題の言葉は今読んでいる「名刀に挑む」の第1章に書かれていた項の見出し、私と同じ時代を生きてきた著者は、私と同じ考えを抱いていました。
鉛筆削りの話が全く同じ考えなのです。
私、小学校の時、最初鉛筆削りは「肥後守(ひごのかみ)を使って覚えました。次に現れたのが「ボンナイフ」、安全カミソリに似た刃がついていました。その後安全性を考慮した円形型のボンナイフ、刃が直接指に触れないような設計でした。
工作の時間では版木を彫刻刀で彫り、年賀状の印刷用に用いた事もあります。
彫っている時、彫刻刀を滑らして、手を切った経験も、その時先生から、版木の手前を押えて彫れば切らないよと教わりました。
今振り返れば、子供の頃は刃物を扱う機会が多くあったように思います。
それが安全に!安全に!との流れで刃物を遠ざける様になったのではないでしょうか!?
前回のブログ「刀狩り」でも書いていますが、刀への偏見が生まれて、現代の人は刀を危険物とみなすようになったと。
鉛筆削りも同様な危ないものと思わす傾向にあるのでは?
今では鉛筆削り器ががあるので、そんな意識は薄まっているでしょうが。
著者はこう述べています。
「・・・子供たちが刃物に触れいないようにすることばかりを考え、刃物をきちんと安全に扱えるようになるための教育をしない今の風潮に対しては、非常な疑問を覚えます。例えば、刃物がなければ・・・」
こんな姿勢が考えた方に歪みを生じさせると思うのです。
生きて行く上で、危険は身の回りの付きまとうものです。そのような身の回りの危険に対してどう向き合うかという初歩的な対処方法の疑似体験になるのでは?
「用心」と教えるよい体験ではないのかと思うのです。
是非は別として、アメリカは銃社会です。
偶に、テレビ映像でアメリカの子供が射的場で、射撃をする場面を観ます。
小さい頃から「身を守る事」として教えるのはアメリカの歴史的背景に思いを致せば当然ですが、危険な銃の扱い方、撃ち方を学ぶことで、危険を回避する姿勢がそれにより身に付くと思うのですが。
「・・・それに、日本だけならまだしも、海外に行ったらどうするかと言う心配もあります。問題は、犯罪被害に遭った時の話です。相手が銃や刃物を振り回しはじめても、日本人はなかなか逃げないそうです。そういうときは何を置いてもまず逃げる、と言う意識が、日本人にはほとんどないからでしょう。刃物がどれだけ切れて危ないものかということが、感覚的にわかっていないので、反応が鈍いのです。
逆に、刃物を自分で扱ったことがあり、その危険性は十分に理解していたら、相手がナイフは刃物を振りかざしたら瞬間に逃げようとするでしょう。残念なことに、日本人は、そういう反射神経も鈍ってしまっているのです。・・・」
著者は続けて記述している中に、日本人の危機管理の鈍さにおいて憂いています。すべての人がそういう反応を示すかは別にして、巷間言われることに、海外で銃声を聞くと「伏せずに日本人だけが立っていた」など聞いたことがありますが、そんな傾向は感じ取れます。
そんな生活環境から、外敵から自身で身を守る意識すら薄らぎ、国境が他国に侵犯されても反応が鈍感になっているのもその影響かもしれません。
角田です。
今日も貴重な話ありがとうございました。
長い歴史、伝統の中には、生きるための知識、知恵が醸成され続けていること
誇りある国だと思います。
日米戦争について、知り合いから紹介された本です。
アメリカの鏡・日本
著者:ヘレン・ミアーズ
訳者:伊藤 延司
発行:(株)角川学芸出版
発売:(株)角川書店
連絡有難う!
早速購入し読んでみます。
戦後72年経ち、歴史としての検証ができる環境になったと言えるでしょう。
占領政策で、義眼を取り付けられた日本人が自身で検証しないと、
国として、民族として存続が立ち行かなくなります。
日本国としての「芯」は何かと覚醒しないと。
子供の頃に、「マッカーサーは日本人の団結心、勇気を恐れて占領政策で弱くしようとした」とある大人が教えてくれたことが、
自身で検証する切っ掛けを貰ったような気がしています。