高齢者の素行が問題化!?

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「窃盗、暴力、性…まるで“老成”していない高齢者たちの『裏社会』」

との見出しのネット記事が!、

メディアが報じていますが、度々目にする記事になるくらい問題になっているのかと関心が高まります。

以前にも私のブログ「老人が『古老』と呼ばれていた頃!」で老人ついての感想を書きましたが、 また、「老人問題」がネット記事が取り上げているとはかなり事態が深刻なのかな?

私が成人前後の頃、父方の祖父は親父の末弟が世話をし看取りましたし、祖母は父が最終的には葬儀を出す役目を負いました。

いろいろな家庭の事情はあったようですが、記事に出ているような所業を聞いたことはありません。 それは一般家庭では普通の様子だと思います。

戦後、家族制度、家長制度、家督制度と呼ばれるような体系は崩れ、工業社会化によって核家族が進み現在に至っています。 それが壊れて居場所、相談相手などの家族構成がなく、孤老となる状況が起り易くなっているような気がします。

たまたま、今日、本社工場で修理に来ていた同世代の方(一人は一級下、もう一人は同年)に、この事が話題になっているが、どう思うと?聞いてみると「団塊の世代人口が多いから悪い人も出て来る」との返答、成程とは思うが、我々が小さい頃の老人と違っていると返答しました。

そんな環境が引き起こすのか、記事にこんな事件が紹介されていました。 「2015年11月、宮崎県で71歳の男が、飼育調査に来た県職員に激高して自宅の檻に居たニホンザルを鉄パイプで撲殺して逮捕される事件があった。15年12月2日にも佐賀県で、万引きを注意されてた77歳の男が逆上し、相手の男性が抱いていた生後10ヶ月の赤ん坊を傘の先で殴打して逮捕された。・・・」と記事に。

更に続けて”老成の沙汰”とは思えないとの感想が!

ニホンザルの撲殺はなんかは「八つ当たり」?、

赤ん坊を叩く老人、孫を持っていないのかな?

いたいけな「赤ちゃん」まで叩くとは、人としての情緒は?

まして理性など持ち合わせていないようだ。

「粗野で乱暴な老人、自己中心的で傲慢な高齢者の暴行事件は、現代ではすでに”日常化した感すらある。・・・」、

”老成の沙汰”、この老成の意義は、辞書で引けば「経験を積んで、巧みななること。老熟。老練。」とありますが、人生経験を積んで分別を持ち、世間の対応が上手になるとも解釈できます。

「小人閑居して不善をなす」との諺がありますが、それかいな?

※「小人」とは、「君子」に対する語であり、教養や人徳のない人のこと。 「閑居」とは、暇を持て余し何もせず日々を過ごすこと。

統計資料を引用して、 その多さを示していました。 「・・・65歳以上の検挙人員は20年前と比較して約4倍・・・罪名別でも「遺失物等横領」を除く「殺人」「強盗」「障害」「暴行」「窃盗」・・・中でも「暴行」は1995年の77人から14年の3478人と、20年間で実におよそ45倍へ急伸している。・・・」 この記事から、高齢者の時代背景の違いを想起させらました。

小学校の先生(戦前は師範学校で学び、戦後学制の変化で新制大学出)が言われた「戦後の風潮、自由平等の履き違え、平等という名の悪平等」、そして修身教育の廃止が原因ではないかと思えたのです。

なぜかと言えば、1995年で65歳とすれば1930年生まれ、終戦を迎えたのは15歳、※修身を道徳教育で受けた世代、公徳心などの認識もあり節操を知る世代、それが2015年で65歳と言えば1950年生まれ、戦後の教育制度で育った世代、この点が大きく影響していると思われます。

※1890年の教育勅語発布から、1945年の敗戦までの道徳教育、小学校の先生に拠れば毎週月曜日、第一時限目に行われていたそうです。

この世相を反映した科白が「ぶらりぶらぶら物語」にありました。

1962年東宝が製作。

「・・・浮浪者(役小林圭樹)が嘆きます。 乞食をして「お恵み」と乞うても恵んでくれず、「今の世間は薄情になった、誰も恵んでくれない」と。 それを受けて泥棒(役三木のり平)が言ったセリフが日教組批判。 「道徳を教えなくなったからな~、日教組は何してんだー」と言うようなセリフでした。 1962年と言えば私は高校生です。」、

当時の映画でも道徳教育の喪失を訴えていました。

また、こんな考えを持つにいたる事の裏付けになった本が「日本をダメにした戦後教育」「教育黒書」「学校の先生が国を滅ぼす」など、私自身が認識していた事柄(教育に関する事)に確信を持たせることに!

そして、大学生時代、ゲバ棒をふるい自分たちの思想の正当性を主張するため暴力行為を持って暴れた当時のゲバ学生(ゲバはドイツ語ゲバルトの略)の自己中心的(イデオロギーにかぶれ)な行動も思い出され、戦後教育の弊害を反映した当時の若者が高齢者となり、このような結果に至ったと感じます。

私自身は、たまたま部活に合気道という武道を選び先人らの言葉、本を読むなどした経験が多少なりとも利いていると自覚しています。

 

日本人が敬老精神を持つに行った背景には農耕民族であった歴史的背景もあると思いますが、工業国への変貌を遂げる過程での問題としても観ることもできるのかな?

 

 

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