銅御殿の女王、柳原白蓮さんの嫁入調度を作った指物師!

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指物師恒造放談 職人衆昔ばなしより。

2015/ 3/23 11:57

「指物師茂上恒造、明治28年生、柔らか物の和家具で花柳界や歌舞伎俳優から人気があった茅町「富村」の出。「小物の茂上」で聞こえ、天皇北海道行幸の際の居間の電灯笠などを下命されている。不知火の女王・柳原白蓮の嫁入調度。タンス長持から硯箱まで指物一切は恒造若き日の仕事である。今は若い静かな奥さんに絵付けさせて秋草の硯箱などを作っている。」

この頃の指物師、どんなものを作るか。

語り口調で書かれている記述から、

「・・・さァ、指物師が作るものってえば、茶棚、飾り棚、玄関棚からタンス、チャブ台、椅子、衝立、簿記台からウィスキーなんぞを呑むカウンターなんてもんまで作るんだけど、あたしは小物が好きだね。電気スタンド、電気の笠、莨盆(たばこぼん)、硯箱、脇息から半襟箱に旅ダンス、寝覚め――――となると、今の若い人は知らねえだろうが、小物じゃア作らなくなくなったものが随分あるね。例えば半襟を二つ折りにして入れる半襟箱だの、腰紐や足袋を入れとく旅ダンスなんてものは、和服がすくなっち待ったから作ったって売れやしねや。若い客にゃァ『寝覚め』なんてのはなんのことかさえ分からなくなっちまってる。昼夜時計うぃはめこんでチリ紙入れと水差しが付いていて、夜半の寝覚めに引き寄せる――――なんて粋な箱は、ネグリジェだ、パジャマだァなんてご時世じゃ用はねえわさ。・・・」

「寝覚め」、枕元に置いている入れ物のようです。なるほど、時計も付いているなんて専用に作ったものですね。

「職人衆昔ばなし」が書かれた昭和30年代半ば頃、日本は工業国として大量生産方式をとるようになり、職人の手作り製品は段々と衰退していた時期だと思います。そんな時期に伝統的に受け継がれていた匠の心を書き残そうかと企画された本のように思えてきます。

とにかく、「仕事と職人の面目がもっとも大事」と意気込む当時の職人さんの心意気が伝わる本になっています。

取材されている職人さんは明治生まれ、気骨、男気、気性を知り、その時代の空気、時代的な背景を感じます。

花子とアン』、NHKの総合テレビジョンとBSプレミアムで放送された連続テレビ小説テレビドラマに出て来る「葉山蓮子」のモデルとなった柳原白蓮の嫁入調度品について書かれた一節を紹介します。

「・・・エ? あたしの仕事? たいしたこたアねえよ。そう、『銅御殿の女王』柳原白蓮さんの嫁入り調度はあたしが富村にいた時の仕事だ。タンス長持から鏡台・針箱・硯箱。下駄箱・本箱・机・衣桁まで、大八車に積み上げて〆て八台あったっけが、四斗俵一俵14円って時に、3万円の勘定を貰った。ナアニ柳原は貧乏公家さんだから払ったのはもちろん花婿さんの爺さま伊藤伝右衛門。政略結婚だか、人身御供だかしらねえけれど、こちとらは良い仕事を指してくれる人の方がありがてえや。一介の炭抗夫から九州の炭坑王。華族の若いお姫(ひ)い様を嫁さんにしたら本望だろうと、そんなことを考えながら仕事したが、やっぱり駄目だったねえ。無理はいけねえや。宮崎隆介って革命家というのが現れて、『不知火の女王』が駆け落ちした、って聞いて、まっ先に考えたのはあの調度さア。こちとらはあいつに命を打ち込んでいるんだからね。調度を持った主人公より、主人公が持った調度の方が、こちとらにとちゃ主人公なんだ。あの精根込めたタンス長持そのほか品々は、いったいどうなったんだろうア---。そいつがまずピンとくらア。あれだけの品だア、伝右衛門さんが『不貞の女房の身の廻り品なんぞ見たくもねえ!』

って叩き売ったあと、その品々がどんな運命を辿ったとか―――。いや炭坑王なら売りなんぞしねえでブチ壊しちまったかなァ、なんぞ、当座はいろいろ考えたもんさ。・・・」

本人曰く、そのような嫁入り道具を作れる指物師は、そう何人もいないだろうと。

戦後は終わったと言われた昭和30年、大量生産方式が幅を利かす時代となっていました。徐々に手作りの品は安い量産品におされて、その姿を消し始めた頃と思います。

著者、斎藤隆介氏が「あとがき」に書いてある内容に関心が向きました。

「・・・『今のように労働基準法だのミンシュシュギだの言ってたんじゃァ仕事が半チクになっちまうわァ』 と口をそろえて語る名人上手を、ただ頭が古いホーケン的だといってみても始まりません。徒弟制度の弊害は分かりすぎるほど分かっても、この人たちの仕事と人生はピカピカ光っているのですから―――。この方の人生を、この語り口で、もう一度われわれは聞いてそして考える必要があるんじゃなかろうか。『伝統技術の保存・継承・発展』なぞと、四角い言葉で考えるとこぼれ落ちるものが、この人たちの汗と涙のしみこんだ話からまるまる掬い上げられるのではなかろうか。私はそう思って書き続けました。・・・」

戦後大きく価値観の変化が起こりました。

ミンシュ、ホーケン的、ジンケンと騒いで戦後の価値観は作られてきましたが、そんな時流から見失ったものがこの世界にはあったようです。

 

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