戦艦武蔵が見つかった!

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インターネット記事にフィリピンのシブヤン海で戦艦武蔵が発見されたと先月下旬に報じられていました。 日本が誇る超弩級戦艦、大和と並び60000トンを超える排水量、子供の頃から存在を知っていました。 不沈戦艦と言われながら、大和、武蔵は飛行機による爆撃で沈んでしまったことにがっかりした記憶があります。 昔、吉村昭氏書いた「戦艦武蔵」を読んだことがあり、その建造の様子に驚いた事があります。 昭和44年、仕事の関係で佐世保に数ヶ月滞在した時、知り合いに※建造された三菱重工造船所第三ドックを見たいとお願いして、詳しい場所は忘れましたが丘の上から「あれが第三ドックです。」教えられ、なるほど極秘に建造するには覆い隠すために漁網に使われる繊維が大量に必要だと本の記述を思い出しました。大量に買い付けたため相場が高騰したそうです。 進水では、巨大なため重さでドックに亀裂が入り、湾の水位が30㎝ほど上がったと言うのも納得です。

 

※記憶に間違いがないかと、インターネットで調べてみると、戦前は佐世保海軍工廠と言われ、戦後佐世保重工業となっていた場所を丘から見ていたようです。戦艦武蔵は記事によると「作られた戦艦武蔵(艤装)」とありました。間違いなく建造はされていたようですが艤装とあるので長崎市の三菱造船所から曳航され佐世保で艤装したということでしょう。

〇 艤装とは、船としての機能するために必要な装置や設備の総称であり、またそれらを取り付ける作業を指す。船体をおおまかに完成させ進水を終えた後に行われることが一般的である。

佐世保海軍工廠で建造された艦船

防護巡洋艦:利根、筑摩 戦艦:武蔵(艤装) 重巡洋艦:最上(航空巡洋艦への改装) 軽巡洋艦:龍田、球磨、北上、長良、由良、夕張、阿賀野、矢矧、酒匂 航空母艦:赤城(全通式飛行甲板化、近代化改装)、加賀(全通式飛行甲板化、近代化改装)、千歳(改装)、大鷹、笠置(艤装)、伊吹(艤装、未成 )駆逐艦:夕凪、睦月、三日月、東雲、浦波、朝霧、朧、暁、初春、若葉、白露、夕立、朝潮、東雲、雪風、磯風、春月、夏月 砲艦:嵯峨、鳥羽 潜水母艦:駒橋 工作艦:明石 潜水艦 特型:伊号第401潜水艦、伊号第402潜水艦ウキペディアより

あの大型潜水艦伊401は佐世保海軍工廠で造られていたんだ。

アメリカポラリス原子力潜水艦の海中からミサイル発射技術はこの潜水艦に航空機を収納する技術を生かしたと聞いたことがある。

いろいろと見聞し本を読む内容から、海戦に大きな転換が起きていたようです。 大鑑巨砲主義の戦いから、空母を主体とする艦隊構成に変わりつつありアメリカはマレー沖海戦でそれを学んだと聞いています。 「マレー沖海戦(マレーおきかいせん)とは、第二次世界大戦及び太平洋戦争の初期の1941年12月10日に、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、この方面での初期作戦上で大成功をおさめた。また、当時の「作戦行動中の新式戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆した。当時の世界の海軍戦略である大艦巨砲主義の終焉を告げる出来事として海軍史上に刻まれている。」ウキペディアより。

、大和、武蔵の建造の構想は当時の背景から考えてあながち間違っていたとは言い切れないようです。
ネット記事に下記の記述が、
「・・・戦争とは、必要な時に、必要な場所へ、必要なだけの戦力(火力)を投入できた者が勝つ-。武蔵も大和も、決戦時に巨大な46センチ(約18インチ)砲弾を敵艦にたたき込むために誕生した。その46センチという数字には大きな意味がある。大和型の構想が生まれたのは昭和9年とされる。当時はロンドン海軍軍縮条約により旧式戦艦の代艦建造はできなかったが、日本では軍縮条約の期限が切れる昭和11年に備え、新型戦艦の構想を練っていた。ひとつの“指標”となったのはパナマ運河だ。当時は大艦巨砲主義の時代。大きな砲はより遠くへ弾を飛ばせる。敵の弾が届かない位置から敵を一方的に粉砕することが可能だ。だが、巨大な砲を積むためには巨大な船体が必要となる。ただし米戦艦は、大西洋と太平洋を行き来するのにパナマ運河を使うため、運河を通れないような巨大戦艦を造るのは非常なリスクを伴う。同運河を通過できる戦艦は、当時の造艦技術では、40センチ砲搭載艦程度が限度とみられていた。・・・」。
そのために考えられたのが46センチ砲、ネット記事にその性能が詳しく書かれていた。
「・・・その46センチ砲は、最大射程4万メートル。砲身3つを収めた砲塔の重さは約2800トンで、秋月型駆逐艦1隻とほぼ同等。弾の重さは1・4トンで普通車なみの重量があった。その威力は、3万メートル先にある約40センチの装甲を破壊できたという。大和・武蔵の機銃類は鉄板で覆われているが、これは防弾用の装甲ではなく、主砲発射時の爆風から乗員を守るためのものだった。爆風盾のない甲板での影響を調査する実験では“被験者”の小動物は全滅したとされる。・・・」。
「戦艦大和砲声の謎」からその凄さを引用します。
記述によれば奇しくも、昭和16年12月7日、開戦前夜に試し撃ちがおこなわれていました。
「・・・その村田特務少尉が、「撃ち方始め」の命令で引き金を引くと、「大和」の巨体(全長263m)を大きく揺れながら、1.46㌧の砲弾を打ち出した。同時に出弾すると空気波の干渉で隣弾に影響を与えるので、九八式発砲遅延装置によって0.3秒の差で各砲が発砲する仕組みになっている。のちの沖縄特攻作戦に参加しながらも生還した村田特務少尉は、その衝撃を戦後こう回想した。「ただのひびきではない。なにか荘重で雄大な、グーンと長い衝撃だったのを、今でも覚えています。」(「戦艦大和」児島譲、文芸春秋)・・・」。
この本にはCDが付いていて戦艦大和の46センチ砲の轟音が録音されていました。
実際は後に、作られた効果音の砲声ですが、それを聞くとまさにその記述通りの轟音です。
戦艦大和、砲声が効果音技師の腕で再現されたもの、本物の同じと!!

戦艦大和、砲声が効果音技師の腕で再現されたもの、本物の同じと!!

その轟音は、YOUTUBEに公開されています。 武蔵も姉妹艦ですから46センチ砲で撃てばこんな轟音が響いたのでしょう。 日本海海戦と同じように、艦隊決戦であれば射程距離40000メートル、砲弾1,46トンその威力は凄まじく戦艦を撃沈させたことでしょう。 幕末から73年後には、欧米列国を凌ぐ造船の技術を確立した日本、種子島が伝来し一気に何十万丁の火縄銃が普及したことを考えると潜在能力はすでに存在してたと思います。

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