バンクーバーオリンピック スノーボード選手騒動 「服装問題」(式の意義)

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テレビ番組で、一斉に各局が報道したのがバンクーバ-で行われているオリンピックのスノーボード競技の国母選手の服装でした。
腰パンにワイシャツを出し、ネクタイをちゃんと締めず、サングラスをして奇抜な髪型の格好だったのです。
私から見れば、なんてだらしない格好をしているのだと思いました。
「場を弁えない失礼、無礼な奴」と映ります。
例の如く、各局の番組に出ているコメンテェター諸氏がいろいろな見解を話していました。
容認派、非容認派、その中間派と様々でした。
それぞれの局の司会者は「あのような格好でもいいじゃないか」、「正式な場にふさわしい格好をしなければ」「選手個人のスタイルだろうが、やはり正式な場では・・・」などなど。
よくテレビに出る、金髪のコメンテェターは「アメリカではスノーボード選手はスキー選手よりマナーが悪く、服装もラフな格好をしている。オリンピックの視聴率を考慮しスノーボード競技を採用した」と語っていました。
容認派の司会者の一人は私と同世代、「いいじゃないのー」と話していましたが、
服装は自由との判断からでしょうが、自由のはき違いと思います。
ある女性のコメンテェターは「制服はダサいからねー」と話す始末。
この程度の意見しか言えない人が、公共性の高い場にいること自体寂しいことです。
番組編成の責任者は、どんな基準で人選しているのでしょうか。
JOCへの抗議がすさまじく、謝罪会見となりましたが、その時の態度がまた悪く、質問をされると「ちぇ、うるせぇーなー」と軽く発した言葉がマイクに入り、「反省してま~す」と答えたのです。
これで更に批判が相次ぎ、団長が弁明して出場辞退は回避されました。
この事件が切掛けで、スノーボードの競技が注目されることなり、ハーフパイプなどの言葉が全国的に知れ渡りました。視聴率などを気にするテレビ局には追い風になったのではないでしょうか。
この騒動、テレビ、新聞などで様々な立場の人の見解を述べています。
テレビで聞いたあるコメントに気になった事があります。
「腰パンファッション」の基は、囚人はバンドを使うことが許されず、バンドなしでズボンを穿くため腰までずり落ちてしまう。それを「カッコウイイ」と若者達がまねしだしたのが始まり、アメリカ南部の一部の州では法律でも規制しているなどと番組で紹介をしていたら、その番組に出ている解説者がこういったのです。
僅かなフレーズでしたが、「南部の法律でしょ! それは黒人差別ですよ」と言ったのです。「腰パンファッション」を法律で規制しているのは黒人差別との見解です。
「服装の乱れ─腰パンファッション」を禁じている法律がある州の真意は本当に差別意識なのでしょうか。
私は、「腰パンファッション」は良くないと単に規制しただけと思うのですが。
私の認識ではどちらかと言えばアメリカ南部のほうが保守的で、そう言う点にこだわる傾向にあるだけではないかと思います。
その方自身の思想的信条による発言と感じました。
恐らく人権問題にこだわっているのでしょう。
この一件、人権、人種差別問題ではなく、マナー、礼節の範疇にある「服装を正す」その意義についての事柄であり、その本質に触れ見解を述べるべきです。
番組の流れ、時間の制約もあり出来なかったかも知れませんが。
この騒動で、新聞記事にもそれぞれの立場の人たちの見解を載せていました。
〇 ファッションデザイナーの話として
「腰パン」格好悪い。
「ファッションは元々、状況とその場のルールの中で楽しむもの。オリンピックという状況で乱れた服装は恥ずかしいことで指導者側にも問題がある。・・・・・崩すことで自由な現代を象徴する意味もあるが・・・」
〇 ロサンゼルス五輪女子マラソン代表 スポーツジャーナリスト
普段ならいいけど。
「・・・オリンピックは選ばれた人のみが立てる舞台で、競技だけでなく人間性や品性も見られる。そういう意識が欠けていた。・・・」
〇 スポーツジャーナリスト
選手の権利侵害。
「自分のスタイルを通しているだけなのに、そんなに悪いのかという意識があると思う。こういう服装で自分の生き方にこだわっているつもりなら自己中心的で幼稚。とはいえ・・・・入村式、開会式を欠席させるのはやりすぎ・・・」
仕事、経験の違いで見方が変わるがある意味本人の思慮の無さは指摘している。
私が思うに、場を弁えない行動は礼儀知らずで、そのような礼儀を躾けられなかった親にも責任があるのではないでしょうか。
近年目に付く、場を弁えていない例として、通勤電車内でのお化粧、飲食等。
公私の区別を弁えていない行動です。彼等にはそのような意識が育たなかったのでしょう。親は知っているのでしょうか。
時代の流れで言えば、子供の頃、立って食べるのは行儀が悪いと注意されましたが、社会様式の変化で、それが今では食べ歩き姿も見受けます。
作法も変化していく面もありますが、だからといって何でも時流にあわせるのが良いとは思いません。
私は「場を弁える」という意識は生活の中から学んだように思います。入学式、卒業式、結婚式などなど、そういう意味では、生活の中に「けじめ」をつける慣習が薄らいでいるように思えます。
権利の侵害、人権などとは関係なく、人間社会の秩序、慣習として、礼節、礼儀がある訳ですから注意して罰を与えるのは当然です。
服装を正し「式」に出ることは、その「儀式」今回の例は「入村式、開会式」に当たりますが、その「式」の意味、意義に敬意を払うから「服装を正す」のです。
身近な例で言えば、葬式に表れています、その「式」の意味、意義を理解しているから黒の服装をして参列するのです。明るい色をした服装を着て葬式は出ません。
だから、喪章も黒なのです。赤や白などの喪章はどの国にもありません。「黒」色が持つ印象から、悲しみを表すのに人間の感性に合うからだと思います。
「白色」では、日本の場合「死を覚悟」「神聖」の意思表示として使われています。例ですが、「仇討」「切腹」などの時、着るのが白装束です。日本人の感性から生まれた慣習と思います。神聖な場所で修行する際、白の着物が用いられます。
「けじめをつける慣習が薄らいでいる」と記述しましたが、典型的な例が成人式に見られます。
毎年、その時期になると報道されます。成人式で騒ぎ、式を乱し面白がっている輩です。新しい門出となる大切な「式」なのに。
2年程前、小学校の先生と電話で話す機会があって、その会話の中で言われたお言葉を思い出します。
「今は、式がショーになっている」。
本当にそれを実感することを報道で耳にしました。私の記憶では、九州のある市で行われた成人式で、確か市長が流行歌を歌ったと言うのです。
そのような立場に居る人が何故だと私は思います。本来なら、訓話し、成人としての自覚を促すべきでしょうが。何か、迎合しているように思います。
式は遊び、ショーではないのです。
昔、武家社会では、15歳になると元服という式をしていました。現在の成人式です、前髪を剃り、月代(さかやき)のある髷に結いなおし、一人前の武士としてこれから生きていく覚悟を持たせるのです。式には厳粛な思いが込められています。
その市長に「軽さ」を感じてならないです。本分を忘れ、歌を歌った市長に「あなたは芸人ですか」と言いたくなります。
国母選手、競技中もマスコミに追いかけられ注目を浴び、一々の立ち振る舞いを報道され、マナーがどうのこうのと言われていました。
競技も終了し、インタビューなどを受け「これからも私のスタイルを貫く」
という返答をしていました。
これを聞いて、今回の騒動で何を学んだか心配になります。
これからも、好き勝手に振舞うということなのか、はたまた、スノーボードに取り組む姿勢を言っているのか。
若いからこそ、学ぶ姿勢を持ってもらいたいものです。
礼儀作法が出来てきた背景にある伝統、精神文化からの影響が大きくかかわっているように思います。
礼儀作法について書かれている本から引用し、一文を紹介し理解の一助とします。
「容儀───姿、身のこなし、言葉」と題して「葉隠聞書」を紹介しています。
「士は毎朝行水月代(さかやき)に香をとめ、手足の爪を切って軽石にてこすり、こがね草にてみがき、懈怠(けたい)なく身元のたしなみを専一とし、尤も武具一通は錆を付けず、塵埃を払い、磨き立てて召し置き候・・・」
この文の解説として、
「女性たちのマニキュアを連想してしまうような記述だが、あとを読むと武士がこのように身元の「たしなみ」に意を用いるのは決して風流のためでなく、見苦しい姿で討ち死になどしたら末代までの恥辱だから、いつ死んでもよいように気を配るのだと付け加えている。・・・・・」
子供の頃、親から下着はいつも清潔にして置きなさいと躾けられたことを思い出します。万が一の時、恥をかかないための配慮ということでしょう。
武士の生き方、考え方が、浸透していたのでしょう。
いつの時代も、たしなみは大事ということです。
参考資料 「武道の礼儀作法」著者 野中日文 合気ニュース
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