居合の稽古を再開して思う事。

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所有している日本刀を処分してと言われ邪魔物扱いをされるのではと稽古を思い立ったことが再開の切っ掛けとなりました。
その背景にはコロナ禍の影響が関わっており、それまでは東京へ月2回ほど奄美民謡室へ通っていたのですが、外出の自粛により中止をせざる負えなかったために、代わりに体を鍛えなおそうと。
会社では、毎朝始業前に合気剣、杖術で10分程度体慣らしをしていた事もあり術理を見直すにもいい機会ではと感じたのです。。
2020年10月に、久しぶりに智道館へ行き入門を申し出た次第です。
17,8年ぶりのことです。
稽古の再開に伴い、本棚に仕舞ってあった武道関連の本を読みかえす気持ちになりました。
その本がこれです。
目を通すと居合の技が武道鍛錬法の説明に使われていることに関心が湧き、その関連性を詳しく理解しようと熟読する気持ちが湧いてきました。

鍛錬の基となる理論が東洋医学がベースになっているので、合気道を指導する上でに参考になるのではと買った本でした。
合気道を指導していた時期が昭和52年~平成14、5年で、その間武道関連の書籍を買い求めた居た頃です。
43年前に読んで重要な記述には傍線を引いてありそれなりに勉強したようでしたが記憶には残っていなかったです。
改めて読み返すと日本武道には東洋医学の知識が生かされており現代人にとって有意義なものであると著者はプロローグとして主張しているのです。
はしがきには・・・
「・・・それは”古武道”の振興母体となっている有識者のグループや、有名流派の人びとの中に、ただ伝統の形をフィルムにおさめて保存することのみ熱心で、現代日本人の過半数を占めている”半健康人”や”非パワー体”(体力がない)の人びとのために、古武道の思想と行動則(わざ)を生かすべきか。あるいは現代人にふさわしい行動則(わざ)を創造する導火点にしよう。という古武道の真髄が置き忘れられた点です。このことは既に4世紀前の有名な兵法家・上泉伊勢守(新陰流の開祖)が喝破しているところです——「兵法は時代によって。常に新たなるべし。然からざれば戦場戦士の当用に役に立たず」(今日流にいうと、元来がサラリーマンや労働者に役に立つ武道が、サラリーマンや労働者の役に立たない)・・・」著書より引用。
日本の剣術界において最高峰に位置する兵法家の言葉に納得です。
「古武道の思想と行動則」は真理である以上、時代時代に生かすべきやり方がある事を知るべきと言ってるようにも読み取れます。

著者は冒頭はしがきにその記述を書いたのも、古武道の真の価値を活かすべきといっているのでしょう。

この記述がテーマとなって本は展開されて行きます。
そのベースになるのが東洋医学です。

東洋医学では「気・血・水」は次のような役割を人体で担っていると教えています。
「人の体は「気・血・水」によって成り立っていると考え、「気」とは人間の体を動かす根源となるエネルギーで、血液や水、臓器を動かし、自立神経系や内分泌系をつかさどる働きをもちます。
「血」は体内にある赤い液体を指し、全身に酸素や栄養を運んだり、ホルモンバランスの調整もしてくれます。
「水」は体内にある透明な液体、つまり鼻水や尿、リンパ液などの体のあらゆる水分を指し、免疫力に大きな関わりがあります。」ネット記事より。

この視点から、居合の稽古の説明がどのような関連があるのかと学習していると今まで見過ごしていた事柄を見直すになりました。
事例として初伝大森流 抜打の型が挙げられていました。

未病鍛錬法の原則に則った動作がこの型で体現されているのです。
その説明を著書の記述を引用すると。
東洋医学の考えから、体の中心に通る気血ルートを活性化する動作になるのです。
著書の説明を引用します。
「・・・鼻、口、呼吸器官のそれぞれの中心を走る線であり、呼吸はまた”気血の流れ”と一体です。気血のルートの名は「任脈」と「督脈」といい、頭を経て肛門に達し、二つのルートが上半身を一周しています。

このルートとの線上にあるポイントが「百会(ひゃくえ)」その他のツボです。
(イ)任脈は「人中」のツボから「会陰」のツボに至るルートです。
(ロ)督脈は「鼻先」(鼻の先端で、これもツボの名)から頭のてっぺんの「百会」、脊柱を通り、お尻の「長強」のツボに至る気血ルートです。以上、二つのルートは道具を使う場合は、体を動かす①タテの道すじ②円の道すじと二つに活用しています。
この抜打の形には体の中心線に走る二つにルート①②が活用され理にかなった動作となるために未病鍛錬になるのでしょう。
この技、夢想神伝流の口伝に、稽古の終わりの締めとして行うように語り継がれています。
先人はその意義を理解し伝えていたのでしょう。
極意は初伝にありと思わせられる口伝です。

東洋医学が日本に伝来したのは飛鳥時代(6世紀初め)から明治初年(19世紀半ば)まで連綿と続いてきた歴史があります。
武士たちは強壮な体造りのために、朝夕剣の素振りをしていたのです。
それも先人たちがただやみくもにやっていただけでなく、古来より伝わっていたその理論(東洋医学)に基づいていたと理解したことから、居合を通して更なる学習、研究の思いを向かわせたのだと思います。

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