買い物待ちの時間を利用して、近所に最近できたばかりのショッピングモールの本屋に立ち寄り見つけた本です。
タイトルに惹かれ、手に取り表紙の裏に書いてあった内容紹介を読んで「そうだ」と思わせる記述が購入する動機になりました。
紹介文には次のように書かれていました。
「新聞記者はよく『新聞には一次情報が記されている』という。だが、これは『嘘』である。実際に紙面を見れば、有識者に取材して入手したコメントを載せている程度だからである。他方で近年、自らインターネット動画の番組を立ち上げて意見や情報を伝える専門家が増えている。有識者が直接、発信するのが本物の『一次情報』。人から聞いた話を伝えるのは、あくまで二次情報に過ぎない。新聞やテレビは独自の情報を持たず、結果として各社、大差のない記事や番組が横並びになる。受信料と系列支配に依存し、惰性でニュースを流すNHK、新聞社の既得権を喝破する」引用。
書かれていた言葉、一次情報、二次情報との区別に関心が行きました。
私のある体験から、新聞の記事が直接取材から書かれていないことを知ったのが13年前の事。
ブログ「ある新聞記事を読んで」のその体験を記しました。
「「2008年9月13日朝、娘が新聞を読んでいて、『お父さん、知り合いの人が記事に載っている』と私に呼びかけたのです。すぐ、その記事を読むと見出しに「教育長が酔って暴行 辞意表明 少年?の飲酒、喫煙を見て」とありました。記事掲載は9月13日毎日新聞朝刊でした。その方とは、居合を通じてお付き合いをさせて頂いた経験もあり、人となりを理解していたので『そんなはずはない』と頭を過ぎりました。」社長ブログより。
その時状況を掴むため、稽古仲間に電話をいれ「記事の事知ってる」と尋ねたところ、本人が調べていました。
●彼が言うにはニュースソースは県警から出ており、直接の取材ではないことがわかりました。
著者が言う一次情報ではなかった。
●記事には情報のクレジットの記載がない。
「例えば、記事中の引用にクレジット(引用先)を打たないのは、日本のメディアだけである。それは悪しき商慣行であり、海外ならば即刻、訴訟の対象になるであろう。」ジャーナリズム崩壊より。
これでは明らかに二次情報で又聞きとなります。
これは私の体験ですが、著者は様々なケースから、一次、二次の違いで起こる誤謬の事例を上げて批判しています。
一例を上げると、
第4章「『新聞は一次情報』という嘘」の「意見と事実のちがい」を区別できないの項では、
・・・例外はありますが、筆者は記者やジャーナリストの書くものにほとんど興味がありません。ファクトやデータが少なく、読むところが少ないからです。代わりに『東京新聞』の記者のように、意見ばかりを書く人が多い。・・・引用。
確かに現首相菅氏が官房長の時の「東京新聞」の記者がその区別をせず意見だけで質問していた報道の記憶があります。
ノンフィクション作家から地道に取材した経験談を聞いた事があります。
その経験を記したブログ。
「ノンフィクション作家~面談の申し出―斉藤充功―」
この本を書きあげるために労力、時間、お金がかかると云っていました。
記者もファクトとデータを直接取材しなければならないと思いますが。
今ではSNSユーザーを当てにして安易に済ませるようになっているようです。
テレビなどで、インターネットで事前に知ったニュースが報道されているケースがあります。
昨今、部数、広告収入が減り取材経費を減らす傾向になっていると。
事実誤認が出てくるのはそれに拠るのか?
確かに、今や個人個人が一次情報の提供者になれる時代、確かにマスメディアより信憑性があると思えるのはそのせいではないでしょうか。
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