子供の頃に誰とはなく教わった訳ではないですが、「大和魂」とは勇猛果敢な敢闘精神と理解していました。
戦後の風潮として、「愛国心」と並び、封建的で軍国主義につながる言葉として忌避される傾向にあったと記憶し、「武士道」なる言葉も同様な扱いをされていたと思います。
そのような影響の一端なのでしょうか、時代劇映画にも変化が出てきました。
昭和30年代半ばになって、今までとは趣の違う時代劇映画が創られるようになりました。
それまでの時代劇映画は娯楽・エンターテイメント性のある物語で、「テーマ」は勧善懲悪、娯楽性が高く楽しめるものでした。そのような時代劇映画を制作していた会社が東映でした。東映の時代劇映画を見ようと、子供の頃、神楽坂にある映画館に行ったものでした。
「笛吹童子」「紅孔雀」など他にもありますが、幼い頃に観て記憶に残っています。
それが社会派と呼ばれる監督が時代劇を作るようになると、作風は一変し重苦しいテーマを取り上げ、印象的に暗い感じの時代劇に変わっていくのです。
高校時代に観た映画「切腹」監督小林正樹、主演仲代達矢、製作が1962年(昭和37年)配給は松竹、封建的身分制度の矛盾をテーマにした物語、他にテレビ放送で見た「上意討ち拝領妻始末記」監督小林正樹、主演三船敏郎1967年(昭和42年)配給東宝、観ていませんが「武士道残酷物語」監督今井正、主演中村錦之助、製作が1963年(昭和38年)配給は松竹、タイトルからも分かるように映画が封建制度を批判する内容になっています。
武家社会へのアンチテーゼとしての作り、まだ知識のない私には武士の暮らしが辛いものと映りました。
戦後の教育の影響もあり、封建制度はいい物とは思えず、今の世は自由な環境にある時代と理解し、「大和魂」「武士道」と呼ばれる精神に対して印象的には同じものと記憶しています。
そのような認識の中、ボクシング中継を見ていた時でした。
1967年4月、世界スーパーライト級タイトルマッチ、サンドロ・ロポポロVS藤猛(日系3世)戦、藤猛はチャンピョンを2回KOで屠って勝利し、リングで叫んだ言葉が※「岡山のおばあちゃん」「大和魂」「勝ってもかぶってもオシメ(勝って兜の緒を締めよ)」、この時「大和魂」の言葉を聞いた時、「あれー」と意外に思い、日系3世の人にまだ語りつがれていた事に驚いたのです。
※当時は流行語にもなった。
日本では巷間で口することが憚れていた頃でした。
それがテレビで流れたのです。
この経験が「大和魂」を見直す切っ掛けとなりました。
大学生になり、合気道部に入り武道を稽古する経験をしたことから、武道で学ぶ精神性について僅かではありますが関心を持つようになっていました。
そんな折、社会人となったその年、仕事柄、大阪で過ごす時期があり、或る時、京都へ出かける機会がありふらっと本屋に立ち寄って見つけた本が「葉隠」でした。
昭和44年5月30日購入と本に記してありました。
「葉隠」昭和44年2月10日14刷、原著■山本常朝 田代陣基(つらもと) 編訳■神子侃(ただし)
この本に関心が行ったのは、葉隠の「武士道といふは死ぬことと見附けたり」という言葉が、※戦時中若者を戦地に赴かせたと聞いていたので「真意」はどんな事なのかと調べてみたかったからです。
※編者は「はしがき」で次のように書いています。
「・・・佐賀藩に伝わる武士道秘本『葉隠(はがくれ)』が「武士道といふは死ぬことと見附けたり」の一節によってのみ記憶され、戦時中、若者たちを死地に駆り立てたるスローガンとして乱用されたことのために、この古典が現在、正当な評価を受けていないのは、やむを得ないことであったろう。終戦直後、占領軍の目をおそれてこの本を焼いたものもあったと聞く・・・」
斜線部の記述、後に占領軍が自国に都合の悪い書物を「焚書」していた事を知り、占領軍が如何に情報統制し正当化していたかを示す証と思えます。
更に続けて、
「・・・葉隠が書き記されたのは、徳川政権が確立して約百年、人々は泰平ムードに安住しつつあるときであった。その中で忘却されようとする厳しい生き方—–葉隠はそれを示している。もちろん、葉隠は封建制度を絶対的なものとして容認している。その成立条件を考慮することなく、現代に再生しようとすることは、ミイラに口紅をさすにひとしい。だが、危機不感症的な泰平ムードの今日こそ、葉隠の中から前向きにくみとるべきものが少なくないのではあるまいか。・・・」
この本で取り上げた聞書第一から第十一に様々な状況における身の処し方が書かれています。
今風に言えば、人生の処世訓と言えるのでないでしょうか。
聞書第一の項に、「男性の女性化を嘆く」という記述がありました。
編者は解説に、「・・・天下大平の安定のムードのなかでは男性の女性化が進行するのは昔からのことらしい・・・」とありましたが、今のご時世を見るにつけ納得です。
約300年前に書かれた鍋島藩の武士の心得、主君に仕える道が書かれたのが「葉隠」、戦国時代とは違い、戦乱が無く、天下太平の御代の武士道なのでしょう。
当時、各諸藩も家来に対して、同じような心構えで仕えるように奨励していたと想像します。
「武士の掟」ともいえるのでしょうか?
「武士道といふは死ぬことと見附けたり」の言葉の裏には「身命を以って使命果たせ」と言っているようです。曲解された生命軽視とは違うようです。
「魂」広辞苑に拠れば、「動物の肉体に宿って心の働きをつかさどると考えられるもの」とあります。
武家社会中心に築かれた社会制度は明治維新によって、新時代を迎え門閥的な制度は無くなりました。
しかし、長きわたり武士社会で育まれた心性はこの新時代にも受け継がれるのです。
それを集約した本が新渡戸稲造が書いた「武士道」、日本人の道徳観を世界に知らしめようと1899年に米国で刊行されたもの。英語で書かれ、題名が「Bushido The soul of Japan」世界でベストセラーに!
三島由紀夫の言葉を借りて著すならば、
「武士道は長期間熟成培養されて、自然に出来上がった日本独特の道徳である」と言えるでしょう。
武士道と武道精神は混同されがちですが、武士道は公における行動則、武道は生死を賭けて戦う上での心構えを練り上げる個の行動則と思います。
このような心性を日本人は大事な道徳観として継承してきたのですが、大東亜戦争の敗戦により冒頭で説明したように価値観が180度変わってしまうのです。
今になれば、占領政策で崇高な精神が「悪」とレッテルを貼られ貶められる結果になったのです。
10数年前ですが、小学校の恩師に戦前の道徳教育「修身」という授業が何故無くなったのですかと聞いたことがありました。
ご返事は「マッカーサーが大和魂を貶めるため」と言われたのです。
占領政策の目的が日本を4流国家に貶めるため。
小国日本が世界を相手に「アジア解放」の大義を掲げ戦い抜いた精神の根源は何かと気づいたのでしょう。
子供の頃、ある大人に聞かされた言葉「坊や、マッカーサーは日本人の勇気と団結心をおそれ占領政策で弱くしようとしている」でした。
このような経験から、マッカーサーが実施した占領政策の意図が理解できたのです。
現在の日本人、マッカーサーにより、大和民族の「誇り」「自尊」を消去されたまま75年が過ぎてしまいました。
三島由紀夫曰く「日本のような国には、愛国心という言葉はそぐわないのではないか。(中略)大和魂で十分ではないか。」
合気道家 望月稔氏は著書「日本傳柔術」に次のように記していました。
大和心の説明に、
「・・・これは『やまとこころ』と読むのが普通であるが、『いやあまたこころ』の転化である。それを今様にいうならば最大多数者の共通的善意識ということになる。いあやまた(非常に、多くの人人の)心(真心)である。この『大和心』―――いやあまた人の共感としての真心―――これこそが日本精神文化の華たる『武士道』なのである。・・・」と。
このように書籍、見聞などから日本人が、大事な心構え、道徳の徳目をひっくるめて「大和魂」と呼んだのではないでしょうか。
戦前までの日本人が大切した心なのでしょう。
今の日本人の心の再生は「教育勅語」にあるように思えて来た昨今です。
教師をしていた叔母が「今でも通用する教育の指針」であると言っていたことが思い出されます。
日本人が大切にした心を一言で言えば「誠」ですね。
占領政策で、見失ったものを見つめ直す時期ではないでしょうか。
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